もう一度、文章を書くことに挑戦したい
もし自分でなんでも仕事を選べるなら、私はアイドルでも敏腕弁護士でもなく、文章を書く人になりたい。
29歳の誕生日を前に、20代最後の年にしたいことを考えてみた。
もしも、したいと思ったことがなんだって実現するのなら、私は「文章を書いてお金を稼ぎたい」と思った。
※20代最後の年にしたいことを考えるに至った経緯は以下
私は元々、本が大好きだった。
世界の童話に始まり、講談社の青い鳥文庫、シートン動物記、明智小五郎シリーズと、本好きの子供なら大抵は通る道を通ってきた。
小学生の時、図書室の本棚の一番上にある分厚い本を取ろうと梯子を登っていると、「そんな所にある本を読まないでしょ」と先生に注意されたことがある。するとクラスメートたちが、「総務部長(私)なら読むよ」と言い返してくれた。それくらい、いつも本を読んでいた。
文章を書くのも好きで、小学生の頃から自分で考えたお話を書いていた。将来は小説家になろうと思っていたし、なれると信じていた。
大学は当然のように文学部に進学。在学中、何度か自作の小説を文学賞に応募したが、一度だけ最終選考に残ったのが自己最高記録で、自信をもっていた私の文章は、出版社に認められるほどのものではなかった。
それでもなにかしら文章に関わる仕事がしたいと、大学4年生の時ライターの求人に応募した。一次面接、二次面接とクリアし、最終選考。これはいけるぞと思っていた。
そして、最終選考当日。一次選考では数十名いた応募者も、最終選考では私ともう一人だけになっていた。
ライターの選考とあって、最終選考では文章を書く課題が与えられた。しかし、私は時間内に課題の文章を書き終えることができなかった。
後日、企業側から電話がかかってきた。ライターはダメだけど営業職に興味はないかと打診をされたが、よく考えもしないまま断った。
悔しくて、自分に自信をもてなくなった。時間内に文章を書けなかっただけではない。私の書いた原稿に目を通した、選考者の表情は今でも覚えている。ライターに求められる閃きや、人を惹きつける文章の輝きが私にはないのだということは、その表情を見ればわかった。
文章に関すること以外に興味を惹かれるものを、当時の私はもっていなかった。いや、正直に言おう。私は就職活動に疲れていた。たった一度の挫折で心が折れ、もう誰かから評価を下されるのが嫌になっていたのだ。
その後も就職活動はあまりうまくいかず、中には書類選考で落とされることもあった。
大人になった今なら、それくらい誰にでもあることだとわかるのだが、成績優秀で自信過剰な学生だった私は、自分は自分で思っているほど価値のある人間ではないのだと感じた。
そしてそんな私は、その後最初に内定を出してくれた企業に就職を決め、新卒採用という一生に一度しかない機会を最後まで頑張り抜くこともせず、就職活動を終えた。
ちなみに、その時就職を決めた企業は俗にいうブラック企業で、私はまた別の会社に再就職することになるのだが、その話は別の機会に……。
これからの人生をなにに使うか
時は流れ、ブラック企業を退職後再就職した会社も退職し、私は妊娠して子供を産んだ。
子供ももうすぐ1歳。社会復帰をどうしようか考えた時、私はこれまでの人生を振り返った。ちょうど就職活動をする大学生が、自己分析をするように。
私はなにがしたいのか。これから先の長い人生、なにを仕事にして生きていきたいのか。
そして、思い出した。自分は本当は文章を書く仕事がしたかったのだと。
私はその頃ちょうど29歳の誕生日を迎えようとしており、「20代最後の年にしたいこと」はなにかということを考えていた。
社会復帰に繋がるかわからないが、20代最後の年に、もう一度自分の文章で勝負をしたいと思った。
子供の頃、文章だけは誰にも負けないという自信があった。国語のテストは大抵満点だったし、作文コンクールも受賞した。
私よりいい文章を書ける人が大勢いることはわかっている。けれど、文章を書き続けることなら、私は苦にならない。「努力する者は楽しむ者に勝てない」という言葉もある。
どうすれば文章を書いてお金を稼げるのかわからないが、とにかくなにかを書こう。文章で成功した先人たちも、ただひたすら書いて書いて書き続けてその人生を生きたはずだ。幸い、今はプラットフォームが沢山ある。
noteを始めたばかりなので具体的にどんなことができるのかわかっていないが、マガジンでエッセイを書くことにした。
有料設定にすれば「文章でお金を稼ぐ」近道だとは思うが、最初のうちは、すべて無料で公開するつもりだ。
というのも、先述した通り自分の人生を振り返った時、これまで意識してこなかったが、自分は大勢の人に支えられて生きてきたのだと実感した(そんな風に感じたのは、恐らく出産を終えてセンチメンタルになっていたからだろう)。
同時に感じたのが、これからの人生、会社員として働いていた頃のように私もまた誰かの役に立ちたいということだった。
これまで私を支えてくれた人たち。そのほとんどは、もう二度と会うことのない人たちだ(実際、二度と会えない場所に行ってしまった人もいる)。
彼らに対し直接恩返しをすることはできない。それなら、今身近にいる人たち、これから出会う人たちの役に立ち、なにかを返したいと思ったのだ。そしてそれこそが、人や社会との理想的な関わり方なのではないかと。
……とはいえ、人生は慈善事業ではなく、先立つ物がなければ家族を幸せにできない。だから、目標は「人の役に立つ」こと、目的は「文章でお金を稼ぐ」こととする。
調べると、noteでの収益化のメソッドは色々あるようなのだが、あえてそういった方法はとらないことにした。人の役に立つ文章が書ければ、自然とお金も入ってくるはずだ。
最後に
ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら、心から感謝申し上げます。
この記事を書くまで、人の役に立つ文章というのはどんな文章なのか、沢山沢山考えました。
その答えは、実を言うと今も見つかっていません。人の役に立つというのは、簡単なことではないですね。まして、文章だけで誰かを助けるのは、難しいことです。
けれど前述した通り、20代最後の年、私はなにかを書き続けることに使おうと思います。
情報で溢れるこの世界、なにが誰の役に立つのかは読めないことがあるな、と感じることがあります。100人中99人にとって無意味な文章でも、残りの1人にとっては必要な文章というのも、あると思っています。
私の書く文章が、99人のための文章なのか、1人のための文章なのか、それさえもわかっていませんが、とにかく色々書いてみるので、時々覗きにきてくださると嬉しいです。