静かなセミ
「ミーン、ミーン、ミーーーン・・・!!!」
「ミーン、ミーン、ミン、ミン、ミーーーーーーーン・・・!!!」
うだるような暑さの中、鳴り響く音。そう、それはセミの鳴き声です。
夏真っ盛りであることを告げるとともに、暑くてだるい身体でこの声を聞くと、げんなりするのもまた事実です。セミの声は、人の気力を減退させます。
よくない効果を及ぼしているのは、人間だけではないようです。
セミが大きな声で鳴いている大木の幹の下にいる、小さい小さい彼も、被害者のひとりでした。
「ああ、暑い・・・。なんて暑いんだ。
こんな日にも仕事をしなくちゃいけないなんて、どうかしている。そこにまたあのセミだ・・・。暑くてバテているのに、あんな大きな声をずっと聞かされてはたまらない」
そうぼやいているのは、ありです。ありは餌を取りに巣から出て、この灼熱の大地を闊歩しなくてはならないという労働を課せられています。
その労働をさらに過酷にし、イライラさせるのは割れんばかりの声で鳴く、あのセミです。
僕ら人間だって、仕事で集中したいときに、そばで大きな音を立てられては迷惑でしょう。まさにこのありはそんな気持ちでした。
「セミの寿命は短いと聞く。その間にパートナーを見つけ、子孫を残すため、あんな大きな声で鳴いて、パートナーに求愛しているそうだ。
まさに命がけ、彼の気持ちはわかるし、できればその邪魔はしたくない。しかしこう大きな声を立てられては迷惑なのもまた事実。少し話をしてみよう」
ありはこう思い、大木にしがみつき、必死で叫ぶセミに声をかけました。
「セミさん、セミさん。忙しいところ申し訳ないけどね・・・」
「ミーン、ミン、ミン・・・!!! ゼエゼエ。
・・・ん?なんだね、君は。私は見ての通り忙しい。邪魔しないでくれたまえ、ハアハア。ミーン、ミン、ミン!!」
セミは鳴くのに必死で、ありの相手をしている暇はなさそうです。
ここで引き下がっては、また仕事中に大きな声で鳴かれてしまう。ありは申し訳なさそうにもう一度セミに話しかけました。
「申し訳ないね、セミさん。忙しいとは思うのだけれど、少し私の話も聞いてくれないかね。」
「ミーン、ミン、ミン!!ハアハア。・・・なんだね、また君か!まだいたのかね!ゼエゼエ・・・」
「大丈夫かい?苦しそうだけど。そんな大きな声で一日中鳴いていたら、それは疲れるだろうよ」
「馬鹿言っちゃいけない。これが私の仕事なのだよ。子孫を残すため、パートナーを射止めなきゃいかん。射止めるためには私は命を捨てる覚悟だ」
セミのつぶらな黒い目は真剣です。本当にそう思っているのでしょう。
大きな声を出さないよう、注意をしたかったありですが、段々とこのセミに興味が出てきました。なぜそこまで頑張るのだろうかと。
「セミさん、そんなに頑張るあなたはすごいと思いますよ。でも、はっきり言わせてもらうと、迷惑なんですよ。私たちだって、日々生きるために餌を取ったり巣を作ったり忙しい。そんな時に大きな声でミンミン言われたら迷惑なんですよ。もう少し声のボリュームを下げられませんかね」
セミは自分の行為を否定されたと受け取り、猛抗議しました。
「なんてことを言うんだ!私の仕事の邪魔をするのかね!鳴くなというのかね。鳴かないと私の存在をメスにアピールできず、パートナーを見つけられず子孫を残せず死んでしまう。君はそれを増長することを言っているんだぞ、わかっているのか!ミンミン!」
「いやいや、わかるよ、あなたが必死だし真面目に自分の仕事をしていることは。ただ周りにももう少し配慮が欲しい、そう言っているだけなんだよ」
「いやこれは、個人の自由の侵害だ!警察か!?裁判所か!?出るところ出てもいいんだぞ!ああ、腹が立つ、なんてことを言うんだ、このあり公は!ミンミン!」
話は平行線のまま折り合いがつきません。
そこに大木の近くにある小さい池の中から、年老いた亀が顔を出しました。
ありはその亀と目が合いました。
「・・・・・・・・ボソボソ」
「ん?」
なにか言っているようですが、声が小さすぎて聞き取れません。しかもまだセミは怒り狂って大きな声でまくしたててくるので、さらに聞き取れません。ありは少しセミから離れ、その亀に近づきました。
「こんにちは、亀さん。さわがしくて申し訳ないね。どうかしましたか」
ありは亀に話しかけると、亀はゆっくりと小さい声で話し始めました。
「彼・・・あのセミのことじゃな。彼の言うことはわかる。わしはもう何十年もこの池で暮らしおる。セミも毎年この夏の時期になると土から出てきて木の上で鳴く。そして1週間かそこらで死ぬ。その何倍もの時間を土の中で過ごしているのに、地上に出てくるとすぐ死ぬのじゃ。哀れじゃのう」
亀は遠い目をしてそう話しました。
ありは亀に問います。
「しかし亀さん。セミさんには同情をしますが、私たちありのことも考えてください。こんな暑い日にあんな大きな声で鳴かれたらたまったものじゃないですよ」
ありは少し自分の語気が強くなっているのを感じました。セミから猛反論を受けていたので、少し苛立っていたのかもしれません。
「ありくん、君の気持ちもわかる。わしも若い頃は、セミの声があまりにもうるさくてイラついたものじゃ。
ここでありくん、セミくん。二人とも幸せになる秘訣があるのじゃが、知りたいかね」
亀はニヤリとありに笑いかけました。
「そんな方法があるのですか!?」
「あるとも。わしはさっき言ったようにここに何十年も生きておる。そしてセミくんたちが頑張る姿を何十遍も見てきておるのじゃ。
そこでわしは気付いたのじゃよ。モテるセミとモテないセミの違いをのう!」
なんとこの亀は自分の経験上、モテるセミとモテないセミを違いを見つけ出したというのです。
「亀さん、一体それは何が両者で違ったのでしょうか」
「ふふふ・・・、よいか。ここで鳴いているセミ以外に、隣の木、そのまた隣の木にも何十匹、何百匹のセミがおる。見てわかるように、みんな狂ったように大きな声を張り上げて鳴いておる。」
「はい、うるさくてかないません」
「そうじゃろうな。その気持ちはセミのメス側も同じかもしれん。どのセミも大きな声で鳴いていては正直区別がつかん。もっとも大きな声を出しているのをパートナーとして選ぶとしたら、それは熾烈な争いじゃ。まあ体力勝負じゃな。一番大きな身体をもつセミがパートナーと子孫を残せる」
「それは厳しそうですね。私はありの中でも身体が小さい方ですから、おそらくセミの世界では生きていけないでしょう」
ありは少し落胆した様子で言葉を吐きました。
「そう気を落とすな、ありくん。わしが見てきた中で必ずしも身体が大きなセミがパートーナーを見つけていったわけじゃないんじゃ。身体が小さかったりするセミは彼ら独自の方法でメスに求愛しておった。
例えば、わしは声が小さいじゃろう?身体が小さいセミも、自分の身体に合わず大きな声を出すのではなく、自分に合った声で求愛しておった。そのセミにとっては自分に合った方法で求愛しておっただけじゃと思うが、メスから見れば、張り裂けんばかりに声を出す輩に比べ、そのセミだけは物静かに語っておる。まずここで目を引く。」
確かに、大きな声の中、一人だけ声が小さければ、ん、なんだろうと目を引きます。
「しかし亀さん。メスからしたら元気がないセミだなと思われて、そっぽ向かれる可能性があるのではないでしょうか」
「その通りじゃ。この作戦は万”セミ”受けはせん。お主が言うように、このセミ元気ないわね、と思われてフラれる可能性ももちろんある。
しかしじゃ、あるメスゼミにとっては、大声でアプローチしてくる体育会系の男子ではなく、物静かでクールな文化系の方が好みである可能性がある」
ありはうんうんと黒い頭を縦に振りました。確かにありの世界でも、身体が大きなありが餌を運んだりするとき重宝されますが、身体が小さいありも、狭いところを潜ったりする時に活躍したりします。
「適材適所ということなんでしょうか」
「そうじゃな、まあ何かを正として自分に合わないのに無理に当てはめるのはやめた方がいいということじゃな。あのセミくんも身体は小さい。それに羽も少し欠けている。身体で勝負するのはやめた方が良いし、彼自身もそれを望んでおらんだろう」
ありはなるほどと思いました。これはセミの話をしてくれたのですが、ありである自分にも当てはまることだと思いました。
そしてふと周りが静かになっていることに気が付きました。セミがいつの間にか鳴き止んでいたのです。セミはさっきとはうって代わって、静かで落ちついた声で話しました。
「・・・ありくん、亀さん。今の話、聞かせてもらったよ。確かに私は本分を忘れ、こうあるべきというやり方に固執していたのかもしれない。大きな声で鳴いていれば、必ず報われる。そう思っていました。しかしもう3日も鳴き続けていますが、ちっともメスは振り向いてくれません。どうしようかと焦っていました」
これで必死にセミが鳴き続けていた理由がわかりました。
亀は小さいながらも、しっかりとした口調でセミに話しかけました。
「セミくん、自分を信じたまえ。君ならできる。自分を信じてやってみたらどうじゃ。」
セミはしばらく黙っていました。今までの喧騒が嘘のようです。そしてしばらくした後、口を開きました。
「私は元々口下手なんです。こんな大きな声を出すのは好きじゃない。私は私のやり方でやってみます」
セミは真っ直ぐとした目で亀を見て言いました。
それからセミはやり方を変え、自分に合った声量でメスへの求愛を続けました。
最初はやはり周りの大きなセミの声でかき消され、全く進捗はよくなりませんでした。
しかし根気強く自分のやり方で鳴き続けた結果、ある素敵なメスが彼の求愛に応じました。彼の目的は達成されたのです。
そして子孫を残し、彼は8日目の朝に死にました。ありと亀はセミと会ったあの大木の前でまた会いました。
「セミさんは幸せだったんでしょうか」
ありは亀に話しかけました。
「彼は彼のやり方を突き通し、彼を支持するパートナーと出会えた。これを幸せじゃなくてなんというんじゃ?」
そう、セミは幸せに違いありません。しかし小さいありの胸の中で渦巻く、この気持ちはなんでしょうか。
「亀さん、もしかしたら僕はセミさんに嫉妬しているのかもしれません。彼は自分のやり方を突き通し、それに対し結果も出せた。こんな幸せなことはありません。
しかしそれに比べて僕ははたから鑑賞しているだけ。僕は一体何をしているのだろうか」
ありは天を仰ぎました。
「ありくん、そう思っておるだけで立派だと思うぞ。今度は君の番なんじゃないかね」
亀はニヤリと笑いました。もしかしたらセミの時と同じように、モテるありとモテないありの違いも、この亀は知っているかもしれません。しかしありはそれを聞くのを止めました。
「亀さん、いろいろとありがとうございました。とてもいい勉強になったと思います」
ありはペコリと亀におじきをし、自分の巣に戻って行きました。その身体はセミよりももっと小さかったのですが、なんだか頼り甲斐があるように思えました。
亀はそれを見て安心して池に戻って行きました。
夏が終わりそろそろ秋がやってくる季節に差しかかっていました。
<おわり>