はつみみ
あるところに男がおったそうな。
男は愛する人と結婚し、子どもを作った。
男は生涯を通じて幸せであったが、一つ思うことがあった。
「これは、、、、話が違う、、、、、。」
何が違うかというと、自分の予想と違ったのである。
まず子どもを作ったとあるが、想像以上に子育ては大変であった。
男は、少しくらい子育てを手伝えばそれで済むと思っていたが、子育ては妻と半々、そして苦手だった家事にも苦しめられた。
稼ぎのための仕事に集中して、子育てと家事は少しくらいやるつもりの魂胆であったが、それは覆された。もしかすると仕事よりも、子育て・家事の方が大変なのではないか。こんなことは聞いてない。想定外だ、と男は思いながら人生を送っていた。
もちろん幸せであるのだが、こんなにも子育てが大変だとは聞いてなかった。初耳である。自分は好きな女と一緒になり、本能に従い子作りをしただけである。それは人として当然のことである。それでなぜこんなに大変な目にあうのか。男はずっと不満に思っていた。
子育てをしていて思うことは、突発的なことがよく起こるということだ。
例えば、食事を出し子どもたちは食べるが、その食べ終わったあと、コップを倒してしまって、それを拭かなければいけなくなったり。
あとは、洗い物をしていても、話しかけられてその対応をしなければいけなくなったり。
つまり思ったことをその通りにできず、邪魔が入るのである。
これは思っている以上にしんどい。体力・気力が削られると共に、予想しようがないから対策も取りづらい。
昔、聖徳太子は一度に何人からの話を聞くことができたという。その数8人。8人同時に話をされても、その話をそれぞれ理解できたというのだ。
男も子育てをしていて、子どもたちからいっぺんにいくつも話をされていて、てんやわんやになっていた。男は、聖徳太子みたいに、一度に8個のことを聞けるような耳を持ってみたいものだと思っていた。
そして子育ての後半になる頃には、聖徳太子のように、子どもたちからの色々な要望を一度に聞けるようになっていた。8個のことも聞ける耳を持てるようになっていた。
そして男はとうとう人生を終えることとなる。人生を終えて目を覚ますと、男は天国にいた。向こう側にきらきらと光る人のようなものが見える。あれが神か。
「ご苦労であった。仕事、子育てと努力し、頑張っていたそうじゃな。」
神は男の人生を労った。そして神は続けて男に質問した。
「してどうじゃった、お主の人生は。子育てにえらい苦労していたそうじゃが、感想や、何か子育てをする上でコツみたいなものはあったのか。」
男は自分の人生を反芻した。子育ては本当に大変であった。予想にはるかに上回り、こんな大変なの聞いてない、初耳だ。それが感想であった。
そして子育てのコツはなんであっただろうかと考えた。それはやはり一度に複数のことを聞けるようになることであった。そう聖徳太子のように8つの耳を持つことである。
問いに男はこう答えた。
「私は充実した人生を送りました。子育ては大変でしたが、子どもたちといれて本当に幸せでした。
強いて申せば、子育ての感想・コツ共に
「はつみみ」( 初耳 ・ 8(は)つ耳 )
でございます。」
ー終ー