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60分一本勝負 失った後で気付く2021

ワンドロのように文章を書く。作文の筋トレだ。

まず気付く自分が失ったものは言語化能力。だから来年はもう少し本を読んだり音楽を聴いたりしたい。ろくに部屋の掃除もせず、YouTubeのプレイリストにMVを溜めたまま年を越す。1日の1%は15分と言う数字表現を知って、読書習慣をつけたいと思った。三体一気買いしたい。そしてnoteを書く時間をとる。そういう生活を送りたい。

2021年を振り返って私が失ったものはたぶん「若さ」だろう。どうしたって人は老いるし、年月を経れば脳は経験値と引き換えに頑固になる。形あるものは壊れるし形ないものは忘れる、これは落合陽一氏がテレビで言っていた。同じことを何度も言う父に「それ前も聞いたよ」と言えず、また父は同じことを言う。会話が貧しくなる。同じ人と同じ内容の会話。カウンセリングで話すのはラジオのエピソードトークに近い。用意したものを話すだけでもあり、用意した話にたどり着けないまま時間が終わる。

毎年律儀に干支ダジャレを考え、トラディショナルという単語を思いついたが、年始の挨拶はLINEで済まそうとしている。新年早々に自己矛盾をかます気満々である。

興味のあるものばかりが増え、有限の時間に入り切らず、流され続けていく。未だに見ていないあれやこれやを、脳がわざわざリソースを割いてずっと覚えている。時間がとれないのは自分の時間の使い方が下手だから。下手じゃなかったらこのnoteだって昼夜逆転の午前5時に書いてない。部屋もスマホの中もレコーダーの中も、脳までゴミ屋敷だ。脳が情報に触れれば触れるほど、将来認知症になりやすいのではと思うことがある。ソルフェジオ周波数でアミロイドβは掃除されるのだろうか。

失ったものばかり数えるなと海侠のジンベエに怒られそうだが自己の探索にはそういう方向に思慮を巡らすのもアリだ。

そしてcovid19の話。このままだと大して効かないオミクロン非対応のワクチンをブースターで打つことになる。流されるように打ったワクチンの効果も分からないまま。20代男性やせ型外出少なめなのでリスクは比較的少なく、一応人より長く手は洗っている…はず。更にADEとか抗原原罪とか、テレビが言わないことを言う医者のツイートとかも見てしまう。ネットを信じてテレビを信じないとかではなく、全てにグラデーションを設けて判断したい。

こんな時勢でもトイレの後の手洗いが指先を濡らすだけの人はいるのだ。人間は習慣の生き物だからエスカレーターは片側に乗るし今年の漢字は金になったし、Abemaでアニメを見忘れる。最後のは自分の話。

今は完全にオミクロン株が拡大傾向にある中で、イベントも帰省も中止されない。中止にしろとは言わないし、あらゆるイベントは何も起こらずつつがなく終わって欲しいが、飛行機の中は換気がされづらいのも事実だ。空港検疫すり抜けから追えない感染が始まる。キャンプシュワブの検査なし入国問題も知らなかった。

ワクチン接種証明が何になるのだ。マイナンバーカードが何になるのだ。イベントの参加者/主催者ともに最大限に対策をしたとしても、ウイルスは空気を読んでくれない。ここだけはエゴ丸出しだが、折角チケットの当たったイベント達に行きづらい理由が積まれてゆく。そりゃ当たったもんは行きたいに決まっている。ウイルスだけを見れば緊急事態宣言なんていつも後出しだが、その一日の後先でイベントが飛ぶかどうか決まるのは理不尽だ。関わる全ての人が不幸になる。

感染者を1人でも少なくするという方針が立っていないのだから、感染者が増えるのは当たり前だ。これは前にも書いたことだが、経路不明感染が経路不明感染を生み、感染者が増えれば重症患者や自宅療養を生む。自宅療養が家庭内感染を生む。仕事を休めない人や受験を控えた人は、検査を受けづらい。そのうちデパートや工場が閉まり、巨大な損失が視界を覆う。ビルが経っていてもテナントが空なら焼け野原と大差ない。戦争に向かう描写が細かい解像度で差し込まれた朝ドラを思い出す。(朝ドラも溜めてる)

たばこの銘柄がチェリーから桜になったように、ハーベストの枚数が減る。野球用語を言い換えるように、お徳用チータラのグラム数が減る。ラジオが戦果だけを連日伝えるように、維新と読売が手を組む。運動音痴だから役に立たないという理由で、戦争に行かなくて済みますようにと、ふわり思う。

大規模な財政出動で内需を思いきり喚起すれば円安もぶっ飛ばせるのだろうか。選挙で票を投じた若い政治家のいる政党は、選挙が終わったら嫌いな政党にすり寄り始めた。その若い政治家のTwitter、チェックしてないな。

テレビやネットでカジノの広告をよく見るようになった。テキサスホールデムを推しているサミーは、たぶんカジノ運営に一枚噛んでいる。スロットとか開発してるし。

失ってから気付くという言葉をタイトルにしたのは、ウーマンラッシュアワーの村本さんに触発されたからだ。THE MANZAIもいつの話だよという感じだが。もう来年のTHE MANZAIにウーマンラッシュアワーは出ない。

参院選が終われば自民党は本気を出す。芸能人の不審シ(あまり触れたくない)も、政治家の不祥事も、真相が明かされることはない。それでも声を出し続けたいが、二の足を踏む理由を探してしまう。

真空ジェシカの知的なネタが伸び悩んだのは、人々がバカを求めているからかもしれない。それはもしかしたら余裕のなくなった世情の副産物のようにも思える。余裕がないから政治に興味がもてず、会見大好き人間が「何もしません」と言うだけの会見をテレビで見て「頑張ってる」となんとなく思い、あるいはネットニュースの見出しで顔と名前を知り、単純接触効果で彼らに票が行く。(ここまでで1時間)

アディショナルタイムにあとがきを書いて締める。
そもそもこんなものが午前5時に生まれてしまうのも私が実家暮らし無職で暇を持て余し、昼夜逆転を許されているからだ。失ったものは思い出せないから、ひとつでも多く覚えていたい。だからアウトプットして思考の跡を残すことは大事なのだ。ワンドロならぬワンアワーライティング、定期的にトライしたい。一応ワンライも存在する言葉だったけど分野が違う感じだったのでタグはつけません。


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