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なんだか今なら 愛されるより愛したいとさえ思う3月

やっぱり最終日になってしまう60分note。今月も参ります。タイトルに引用した歌詞は緑黄色社会のSabotageから。長屋晴子さんオールナイトニッポンXパーソナリティ就任おめでとう。

まず思ったのは承認する欲求と承認される欲求について。マズローの欲求ピラミッドを知ったことも重なり、「世の中褒められたい人に対して、日常的に何かを褒めている人って少ないのでは?」と疑問を持った。褒めと褒められの需要と供給が明らかに釣り合っていないのだ。

私は実家暮らし無職で人様から褒められるような行動をしていないのと、インプットジャンキーであらゆるコンテンツを浴びるほど摂取したい気持ちの強さもあって、承認欲求が人より少なく、被・承認欲求?(=褒めたい欲)が人より多い…と思う。打算も含まれるが、褒め言葉は相手にとって次の作品の意欲になり、自分は好きな作品を享受できる。褒めて褒められて、幸せな循環の一部を担える。盲目的に持ち上げて内向きになるのはそれはそれでよろしくないが、ひとまずwinwinだと思う。

だからもっとみんな人のこと褒めない?と思った矢先に、期せずしてゼレンスキー氏の演説があった。復興支援をして欲しいことやふるさとを失った人々のことに触れ、日本人に響くワードとして原発とサリンに言及し、TSUNAMIの比喩を使い、察する文化や感謝されたい気持ちをくんで練り込まれた文言が並んだ。それを予定調和のスタンディングオベーションで迎え入れ、命を顧みず戦うことに感動したという発言と、ダレた姿勢の外務大臣の大あくびを私はテレビで見た。褒めたい側でありたいという欲は、相手を意のままにしたいという一番危険な欲でもあると思った。

戦争は一度始めると終結させるのが難しく、途方もない量の命や物質や時間を軽く扱っていいもののように費やしてしまうことを、私はにじさんじのARK戦争で知っている。エンタメ化された戦争でも、物資確保のために配信の有無を問わずARKに住むほど張りついて何日も過ごしていたライバーがいたことを覚えている。

戦争にハッピーエンドなんて絶対にない。失われる命は等しく重く、そこに死因の差はない。戦争は老人が始めて若者が犠牲になると落合陽一氏が言っていた。ブラッククローバーにもほぼ同じ台詞があって驚いた。だからこそ、一人でも多くの命が守られ、力による支配に脅かされることがないように、関心を持ち続けて戦争反対と言い続けたい。理想主義でも意気地無しでも、非国民だと言われても、戦争には参加したくない。同調圧力の国ニッポンでそれがどれだけ難しいか、どんなに悪く想像してもそれを上回りそうで怖い。

様々な意見や複雑な背景、機に乗じての言ったもん勝ち発言や凄惨なニュース映像が毎日のように見られる中で、なんとか正気を保っていたい。死にたくないし、運動音痴だし、家でYouTube観てたいのだ。遊べることは平和の象徴で、だからこそ米津玄師の POP SONG には反戦のメッセージも(こじつけではあるが)読み取ることが出来ると思った。武器より楽器かコントローラーを持ちたい。もう一生遊ぼうぜ。

想像力は知識より大切だとアインシュタインが言っていたそうだ。テレ東のコロコロ装置の番組で知った。高校の同級生に久しぶりに会うからと卒アルを引っ張り出したら、自分の写真の下には旅路と淋しで韻を踏んだ若干イタ…味わい深いフレーズと共に「想像力を常に持て」と書いてあって、過去の自分に襟を正される気分になった。

想像力こそが素晴らしい熱と感動を生む。想像力こそが芸術を飛躍させる。今月は特にそれを実感した。千と千尋の舞台に行き、別な日にはディズニーシーでソアリンに乗ったのだ。帝国劇場でただただ圧倒されてマスクの中の口はあけっぱなしのまま、この途方もなくクリエイティブで、愛と工夫に満たされていて、生のエネルギーを存分に浴びられて、感動を通り越して神秘的にすら思える舞台のことをどれだけ覚えていられるだろうかと不安になるくらい、強く刻みつけたい日になった。

ディズニーシーに行った日はDオタの友達が1日のプランをコーディネートしてくれて、ソアリンの直後に花火を見た流れがとても完璧だった。イマジネーションの海で空を飛び、花火を見て充足感に浸りながら少し平和を祈り、ご満悦な友達の横顔を見てこちらも嬉しくなった。(ここで1時間)

カジュアルに好きを伝える姿勢は星野源から学びたいと思っていたのに、人を褒めたい欲があるはずなのに、なかなかうまく言えなかった。こんなんされたら好きになっちゃうわーとか、言えたら良かったのに。さらっとスマホを向けて この流れ出来たらいい顔しちゃうよね とか、写真撮れれば良かったのに。とかく団体行動に慣れてなさすぎる。向いてないんじゃなくて、慣れてないだけと言いたい。

まだまだ書きたいことがあるので明日延長戦を書きます。すでにプラス何分書いてんだオイ。

閉園ギリギリのパークを歩くみんなが絵になっていて、青春だと思った。イベントの終わる直前の名残惜しさがエモの魔法をかける。過去にもそんなシーンは何回かあって、暗い所をみんなで歩いていると青春だと思うフシがあるらしい。何でかなと思って記憶から出てきたのは恩田陸の 夜のピクニック だった。繋ぎ留めておきたい、この時間を。

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