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一緒に走ろうな!で置いて行かれる謎の現象について


みなさま。本現象を一度は体験したことがありますでしょうか。
その時、みなさまはどちら側に立っていますでしょうか。

裏切られる側か、裏切るか側か…
すでに過去の思い出と化している方は、
一度掘り起こしてみてください。
ちなみに私は学生時代に両方やってた大悪党でした。

1.そもそもなんでそんなこと言うの?

早速そもそも論に入りましょう。
なぜ「一緒に走ろう」なんて言葉を言うのでしょうか?

そもそもの理由や、その発言をするパターンを整理しました。
そんな私の解釈としては、以下です。

「一緒に走ろうな!」で分解できる人格比率(独断と偏見)

分かりやすいのは図上の3つかと思います。
ちなみに私が加害者デビューした時は、こっそりダサい層でした。

しかし、右下の通り、いるのです。結構な割合のウルトラCが。

ココから共感できるかできないかで、みなさまの友達関係が危ぶまれます。
誰も心当たりのないことを祈って次項で掲載します。

2.「一緒に走ろう」の約半分はこれ

件のウルトラCは、「こっそり見下している人」です。

こっそりダサい人よりよっぽどダサい、
見下してる人

このタイプが一定数人間社会には存在するため、学校や社会などの団体環境では”カースト”と呼ばれるものが存在するのでしょう…笑

さて、そんな見下し層は何を考えているのか。

見下す人が入る攻守の保険

3.裏切る友達とは長続きしないのか

…完全に私の主観ですが、大方合っているのではないかと思います。
そうです。割と最低さんなのです。

なんとなく軽薄そうな印象を持った友達が、「一緒に走ろう」と言ったとき、あなたはその瞬間からただの手段、保険でしかありません。
そこにいち早く気付けるかが勝負です。

そして、このウルトラCタイプのさらに質の悪いところは、『友人関係にヒビを入れたもん負け』なのです。頭の回転が速いみなさまなら分かるでしょう。

「一緒に走ろう」と言った提案者に置いていかれたとしましょう。
仮にそこで提案者を責めたら、「何をそんなに本気になってるんだ」と、まくしたてられ、あたかも自分が悪者になってしまう。

つまりあなたは、よっぽど走るペースが一緒でない限り、仮に一緒に走っても良いタイムを残すことも出来なければ、怒ることもできない、理不尽な罰を受ける立場にあるのです。

3.の表題にもありますが、「そんな友達とは長続きしないのか」。これは確実にイエスとは言えませんが、少なくともその関係は、良好ではないはずです。

友達なら、お互いが求める結果を出せるように動きましょう。
そのベクトルが異なるならば、そもそも一緒には走らないこと。

これはマラソンだけに言えたことではありません故、頭の隅にでも置いて頂けたらと。笑

4.あなたが置いて行かれたとしたら

これまで置いて去る側に言及してきましたが、仮に。
仮にもしあなたが置いて行かれたとしたら、そのあと置いて行った相手をいじっても、素直に謝る or 反論しなければ、その方はまだ最低さんと断言するには少し早いかもしれません。

自分のしたことに対して、小さなことでも非を認め、謝ることができる。簡単なようで、とても難しいことです。学生さんならばなおのこと。

そんなことができる人であれば、情状酌量の余地を認めてあげてください。
みなさまの広い心で。笑

本日は以上でございます。お疲れ様でございました。

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