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弱みの向こうにあるもの


私は時々「作家」と
紹介されることがあるが

自分は自分が作家である
とは思っていない。

「いつかそうなれたらいいな」

「なるかも知れないな」

とは思っているが

今は著者ではあるが
作家とはちょっと違うかな
と思っている。

「綜海さん、自分に厳しいですね。」

と言われるかも
知れないが

別に厳しいつもりはない。

私は自分の書いたものが
好きだし、

文章を書く才能も
それなりにあると思っている。

多くの実際自分では
文章を書かずに

口頭でのインタビューを
文字起こしした後に
ライターさんが
書いてまとめている

そんな人たちも
まわりには結構いて、

彼らも自身を「作家」と
呼んでいるのだから

実際文章を書いている私が
自分をそう呼んでも
いいと思う人も
いるかも知れない。

それでも私は自分を
まだ作家になっていない、

と思っている。

そう。

「まだ」

なんだ。

それは私が「作家」
という言葉に

子供の頃から
憧れを持っているからかも
知れない。

だからと言って

「作家になるのが夢」

と思ったことは
最近までなかった。

「本を出せたらいいな」

「仕事の役に立ったらいいな」

くらいの感じで。


それにこうしてブログや
Facebookに向かって

文章を書き続けるだけでも
結構な満足感がある。

行き先を求めず
ただ書きたいときに書く、

それを読んでくれる人いる、

なんなら共感までしてくれて
いいね!ボタンを押してくれる、

それだけでも十分
幸せだ。


それで自分自身が
曲がりなりにも一冊の本を
書き下ろして見て

身に染みてわかったことは

「文章を書く才能」

人はそれだけでは
「作家にはなれない」

ということだ。

それは私が23歳の時に
ロンドンのデザイナーの
プレス(広報)の仕事を
した時に理解したことに

近かった。

デザイナーに必要なのは
「デザインする力」だけだと

デザインの現場を知らない人は
思うことだろう。

だが、デザインというのは
形になって初めて

その力を発揮する。

つまり頭の中で描いているものを
紙に書き、

それが「洋服」という形に
なるまでに様々な力が
必要なのだ、

ということなのだ。

自分の頭にあるものを
パターンも引かずに
1人で全部
チクチク縫ってしまうような
人たちは別だが、

そういう人でも
もしそれを商品にしようと
するのだったら

そこにはコミュニュケーションの
能力なども含まれる。

作家になるための能力は
基本1人でできるので
コミュニュケーション力などは

そこまで必要ないかも知れないが
ただ文章を書ける、

文体が素敵だ、

と言う以外の能力が
必要なのだと言うことだ。

文章を書いて
まとめる才能や

期限内に書き終える才能や
体裁を整える才能も
必要だ。

特に

「一冊の本にまとめる」

と言うのは、
ブログなどに書き綴るのとは
別次元の能力を必要とする

と薄いながらも一冊の本を

書き下ろしてみて初めてわかった。

能力、でなければ

「コミットメント」

「集中力」

だろうか。

そしてADHDである私の
最大のチャレンジは

「集中力に欠ける」

ということだ。

講座やヒーリングの現場などでは
何時間も

ものすごい集中を見せるので
私の

「集中力がない」

という弱点を語っても
また自分に厳しいと
思われるかも知れないが

もし私の生活を
覗き見して見たら

その拡散力(笑)に
驚くことだろう。

集中が本当に短い時間しか
続かない。

「作家になりたい」

そう思っている自分には
これはもう本当に
泣きたいくらい残念なことで

自分の脳を呪いたく
なったりした瞬間もあれど

面白いことの人の才能というのは
欠点や弱みというところで
成り立っているところも
あるから、

その人ならではの
創造が現れるのだ。

そんな私の最初の本

「あなたがここのいることの意味」

は、そんな私だから書けた
短い文章たちの集まりである。

これを

「行ける!」

と思ったクローバー出版
小田実紀 編集長はすごい!

さすが奥平亜美衣さんを
見出した人である。

この本は今も少しづつ
売れ続けており

お伝えするタイミングを
失ってしまっていたのだが
なんと

増刷4刷、となっている。

それでも私の中に
いつか自分を「作家」

と呼べるような作品を
書きたいと言う想いがある。

たぶんそれは
小説という形だろう。

それはまだそれほど

「熱い想い」

でもない。

今すぐやらないと
「死ぬ」

という感じでもない。

「死ぬ」

というならもう
いつ死んでもいいくらい
今世はがんばったしね。

今世の中では
ライバー、YouTube、TikTok
と動画が大流行りだ。

文章を書くのが好きな
私でさえ

動画で喋っちゃうのは
楽だなあ、と感じる。

特にライブは
出てくるままに

垂れ流すような感じでも
十分私の中に育っているものを
表現できてしまえたりするので
短時間にスッキリする。

(笑)

それでもこうやって1人
深夜にキーボードを叩く
その時間の方が

私の魂にとっては
栄養と感じているようだ。

私の中にざっくりと分けて
2人の全く別方向のパーソナリティが
ある。

1人は外向的で
誰にでもオープンな社交家。

もう1人は
静かに1人でいることを
好む瞑想家で芸術家。

その2人は
それぞれを思う存分
表現することで

それぞれを深めることを
助け合っている。

そしてどちらが私の
本質に近いかと言えば

後者の方である。

孤独を最大の友として
闇の中で耳を澄ます
自分の方である。

だから私は
人の気配が消える深夜に
1人起きていることを好む。

たとえ起きている人の
人数は同じだとしても

早朝明るくなると
命が動き出す音が
うるさく感じられるからだ。

と言って
わかる人はどれくらい
いるだろう?

もちろん朝の光や空気の
清らかさが
捨てがたいとしても。


私の初著作はこちら

書き下ろした二冊目はこちら


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