自分が選んでいる

「人に嫌われたくない」
「好かれよう」


と言う
行動に出れば出るほど

他者は無意識のうちに
あなたの足元を見て
たいして好かれない確率が
上がる。

たとえ好かれたとしても
それはあくまで
あなたが嫌われないために
あなた自身を裏切って
行動した結果でしかない。

つまりありのままの
あなたでは愛されないのだ。

ただその

「好かれよう」

と言うのが
意識的である場合は
ちょっと変わってくる。

あなたはあなた自身を
裏切るのではなく

意図的にそう言う行動を
選んでいるからだ。

あなた自身が

「選んでいる」

そのような意識が
はっきりしていると

あなたはそれだけで
被害者ではなくなる。

でももしもあなたが
無意識のうちに
またはわかっていても
絶望的な気持ちで
愛されようとすれば

あなたはいつだって
力なきもので居続けて

他人に舐められ

続けるのだよ。

誇り高き、気高き
神なる自己を思い出せ!

それは決して
傲慢ではない。

あなた自身の
内なる神に
敬意を表すだけ。

あなたは自分を
取るに足らないものと
することで

あの親子関係を
生き延びて来た。

なんとか今日まで
やれて来た。

そしてあなたはもう大人だ。

自分自身の面倒は
それなりに見られるだから。

低い位置を取るのは
もう辞めよう。

それは偉そうにする
と言うのは違うし

目上や立場のある人を
敬わないと言うとも違う。

あなたがあなた自身への尊厳を
取り戻すと、

最悪これまでのように
好かれない、

最悪これまでのように
お誘いがかからない、

最悪仲間はずれになる、
かも知れない。

だからどうした!

あなたが恐れから
媚びるのをやめ

神である自分も
同時に取るに足らない
もしかしたら相当なポンコツの
自分自身も

そのまま許し愛し
自分の足で立ち続ければ

やがてそれに
ふさわしい人たちが
周りに集まってくるだろう。



Photo by 白石 和恵 (カブール)

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