2024年12月のよんだ みた きいた
年が明けてしまって10日も過ぎたが、一度止まってしまうともう再開できないと思うので、続けることにする。なんというか、この冒頭の駄文を書くときだけが、何も気にせずにいられるような気がする。取り繕わず、カッコつけず、ただただそのままに。だからフォロワーも全然増えない。しょうがない。
12月は嬉しい出会いに恵まれた。台湾の方で、二日間を共に過ごした。世代もほぼ同じなので、話題が合う。村上春樹やレディオヘッドの話をした。もっと言葉が話せたら、マイク・ミルズとアキ・カウリスマキの話がしたかった。ソフィア・コッポラなら初期から「SOMEWHERE」あたりまでがいいとか、ウェス・アンダーソンなら「ライフ・アクアティック」がいいとか、そういう話で盛り上がりたかった。
秋に、インド式の占いをしてもらったことがある。そこでは、マネジメント、書くこと、話すことが仕事になっていくだろう、とのことだった。そんなことあるかい、と思っていたのだが、それがそうなりそうで面白い。
中旬には、久しぶりに友人とランチをした。お互いの近況報告をしながら、これが特別ではないということを存分に味わった。生き残らなければならない。
疲れ切った身体と心は年末年始の休暇で少しマシになった。何も考えずに毎日を過ごした。晴れた日には家族でドライブをした。紅白で星野源をじっくり観た(ベストアクトは文句なしに氷川きよしだった)。年が明けていつもの黒磯でSHOZOを味わった。別に必要じゃないのにスツールを買った。
「なくても生きていけるけど、なかったらその人らしく生きていけないもの」。それを僕は必需嗜好品と呼ぶ。必需嗜好品は人によって違う。一人で飲む一杯のコーヒー。仲間と飲むレモンサワー。フィービー・ブリジャーズの歌声。リー・ウーファンのシルクスクリーンのレプリカポスター。海で拾った石。自販機で買うお汁粉。なんでも、どこでも、いつでも、必需嗜好品はそこにある。それらに囲まれている。
「どんな時代のどんな場所でも、おんなじようにみえるように。」と歌ったのはヒロトだ。必需嗜好品は、どんな時代のどんな場所でも対象を変えながらおんなじように輝いて見える。「歩く花」という歌が僕にとってそうであるように。
12月は仕事が忙しかったので、あまりカルチャーを摂取していない。
みた
シビル・ウォー アメリカ最後の日
いやー、めっちゃよかった。
A24ってこんな大きなスケールで映画作るんだ、と思った。
キルスティン・ダンストがめちゃくちゃ大人になっていた。エリザベス・タウンの時や、コッポラ初期の頃のイメージが強かったが、渋い顔をさせるとこの人は輝く。笑顔よりも険しい顔が似合うというか。
きいた
The National /Roma
The Nationalは、いつも心の大事な場所をキープしている。だれにでもそういうものがあるだろう。BOXERを聴いたのは確か2008年くらいなので、もう15年くらいの付き合いになる。
ライブ盤のベストセットリスト、というところだろうか。Gospelも入れて欲しかったな。色気があるようで実は全然ない、というのがNationalのいいところだと思う。