愛犬の日
大切にしていた飼い犬がいた。名前をくりん、愛称をくーちゃんという。
くーちゃんが亡くなってから、もう4年目になる。彼女のことが愛おしいのは今も変わらないけれど、流石に毎日思い出すということは少なくなった。
帰宅してから少しだけ外へ出た。一気に夏日になったので、夜風は生温く、どこからか虫の鳴き声がする。近くにあったブロックに腰掛けて、ふぅと一息ついたときだった。ふと、幼い頃夜中によく実家の玄関先に出ていたことを思い出した。実家は埼玉の田舎なので、夏が近づくと空気がそれはそれはもったりとする。煙草を吸いながら庭の花の様子を見る父を眺めながら、わたしも一緒に外へ出ていた。そのときの空気と、今夜の空気はよく似ていた。
決まって足元に愛犬はすり寄ってきていた。
くーちゃんは足の下が好きだったから、わたしや父が玄関先で座っているとその隙間に入り込んできた。大きくなってもやめなかったので、換毛期は服が毛だらけになった。
もう、繊細な感触を思い出せない。足の下が好きだったなということは覚えているのに、どんな風にすり寄ってきたか、どんな毛の流れだったか、どんな風に撫でられるのが好きで、どんな風にうっとりとした顔を見せていたか、ぼんやりとしか思い出せない。
思い返すとたまらなくなって、すぐに家の中に引き返した。一瞬のことだったのに涙がぼろぼろと飛び出してくる。わたしはもう、犬を飼えないかもしれない。いや少し違う。犬を飼うことはきっとこの先あるかもしれないけれど、それでもくーちゃんを失った悲しみが和らぐことはない、と言った方が正しい。
カメラロールを何度もスワイプしないと、もうくーちゃんには出会えない。こんなに些細なことで思い出してしまうのに、感触は確実に忘れていっている。そんな自分が、すこし憎い。