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GIRLS, PLEASE DON'T CRY.

今日、11/24は「オサムグッズ」で有名な原田治さんの命日。

ボクのポップアートへの目覚めはアンディ・ウォーホルよりも先にオサムグッズだった。

きっかけはミスドのノベルティーだったのか、近所のファンシーショップで見かけたハンカチだったのか、、、

学校を休んでガンプラの発売日に隣町まで自転車で遠征もするような健全な童貞だったし、セックス・ピストルズとの出会いでパンクロックとの初体験も済ませたチェリーボーイだったけど、ボクの中に深く根付いているキャラクター愛、可愛いモノ愛も同じ熱量で第二次性徴期の厨房だった。

原田さんの描くポップで溌剌とした陰りのないキャラクターの眩しさは、そのままアメリカ文化への憧れでボクの目には眩しかった。のちに、それはポップアートと呼ばれる美術ジャンルであると知る前から、アンディ・ウォーホルやリキテンシュタインという名前を知る前から、ボクにポップアートという趣味嗜好を根付かせてくれたのがオサムグッズであり、生みの親、原田治さんというイラストレーターだった。(おそらく、イラストレーターという肩書きも初めて知ったんだろうな)

高校へ進学して先輩や友達の影響で、よりパンク/ロック嗜好が強くなってライダースジャケットにブラックジーンズを穿くようになっても、ミッフィーのシルエットの弁当箱で、その弁当箱入れはオサムグッズの巾着袋だった。その頃から自分のデザイン性というか、デザイン(に限らず恋愛観や死生観やら人生全て)の趣味嗜好の多重人格ぶり、バラバラの中でのバランスの取り方、つまりは「ステレオタイプを嫌う」という根っからの天の邪鬼気質は16歳にして既に形成されていたんだなと改めて思う。

この天の邪鬼気質は結局そのまま35年以上も続き、未だ音楽にもファッションにもデザインにも全て影響を与えていると思うと、若い頃に受けた影響の深さに恐ろしささえ感じる。

その一旦を担ったのが原田治さんだと言っても良いのでは?と思うくらい、影となり日向となりボクに影響を与え続けてくれていた存在です。

亡くなる数年前から書かれていたブログで、あの「オサムグッズ」の世界だけでは決して気付けない、見られない原田さんのシスサイド(ダークな側面)を時折拝見することが嬉しくて仕方なかったです。

生まれ育ちの本来の品の良さをベースにして、多くの知識や経験に基づく独自の視点での毒舌は、世間一般の「オサムグッズ」信者、そして、その生みの親である原田さん本人のキャラクターへのステレオタイプな誤解や過度の清廉潔白さを求める視線への痛烈なアッカンベーだったんじゃないかな、と思う。

これこそ、ボクの理想とするパンク精神の表現方法だ。


晩年、ある知人を介して原田さんの動向を知る機会ができたが、実際にお会いすることは叶わなかった。

キヨシローに会える機会がゼロだったわけじゃなかったけど、実際にはキヨシローに会うことができなかったのと同じ理由だとボクは勝手に思っている。

それは神様の計らい、なんだと。

会えたらきっと天にも登る嬉しさやらなんやらで舞い上がって、多分何ひとつ面白いことも言えないだろうから、そんな敬愛する相手から「つまらないフツーの奴だな」と思われないようにしてくれた神様の計らい、なんだと思っている。


原田治さんもキヨシローもシャイだけど芯が強くて毒舌。自信家だけど繊細で傷つきやすい。

そういうボクの希望的妄想のまま、神様みたいな存在の人はファンタジーの中のキャラクター同様、永遠にボクの中で生き続ける憧れの100点満点の人でいい。


その妄想の延長で言わせてもらいます。


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「泣いててもブサイクなだけだから、もう泣かないでいいよ。」


追伸

「僕へのオマージュとして描いたモノをいちいち著作権侵害とか言うのもブサイクだからね」

と原田さんなら言ってくれるだろうな!

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SOMETHING WRONG MAGAZINE (The Seventh Ghost Records) / TLGF
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