SMとは「最愛なるメモリー」の略。
最愛の人を失った時、人はその喪失感をどう埋めるのか?
今までにそういった主題を扱った古今東西全ての映画をデータ化したら、それこそ何億テラバイトのメモリを必要とするのか?
そして、その膨大なデータの中に自分にとっての正解は保存されているのか?そして、その正解は生涯上書きされることなくずっと自分にとっての正解のままなのか?
「犬はパンツなんか履かない」という英題を持つ映画「ブレスレス」を観た。
率直にいえば「ドラゴンタトゥーの女」を安易に想像させるビジュアルと制作背景だけども、当たり前だが全然違う。良くも悪くも、全然違う。
何が全然違うのかは観てもらわないと判らないだろうが、タイトルに書いた通り”SMとは「最愛なるメモリー」の略”なんだなと思わされた。
そして、冒頭に書いたように、その「最愛なるメモリー」とは生涯上書きされることなく記憶され続けるのだろうか?と考えさせられる内容だった。
人は生きていく上で、自覚的にも無自覚的にも、愛するモノコトヒトという対象を日々上書きしているんだな。
よく、残虐な内容や過酷な状況を描いた映像を評価する時に「ひりつく空気感」とか「ザラつく肌触り」といった表現を使いたがる評論家が多いけど、この映画はむしろ「ヌメっとした湿度」や「柔らかそうな衣擦れ」を静かに切り取っているからこそ、その奥にある「ホントはどうなの?」という人間の心理を尖った何かで突いてくる感じがした。
その不穏さは「最愛なるメモリー」は不変なのか?と自分に問い直されているように感じるから不安なんだろうな。
今日までは最愛なる人も明日もまだ最愛であるのか?その最愛なる人は明日もまだ居てくれるのか?
どうなんだろうか?
最後に一言、邦題「ブレスレス」の意味は、観れば絶対に判ります。判ります、というか、、、、自分もそうなっちゃいます。
12月11日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
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