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秋から新生活 / ただのエッセイ


今年も残すところ2ヶ月ほどでして、
この1ヶ月は野暮用に追われて働く間もなく終わりそうな感じ。
夏からお仕事もほぼお休みしている
応募していた仕事の選考にも無事落選して、
〝やらなければいけない仕事〟みたいなのは特に無いから自分の野暮用とNetflixでアニメを見ることに全力を注いでいる。

それでも長期計画的な生存本能で
「1円くらい稼げよ、食いっぱぐれるぞ。」と僕の中の一社会人的人格が語りかけてきたけれど、そんな矢先、引っ越しで荷物を片付けていたタンスからいつかのへそくりが数万円出てきてラッキー。

数万円を握りしめた途端、
「まだ来月もなんとか生きれるぜ!よし仲間たちよ俺が焼肉を奢って差し上げよう!」とNetflix廃人のニート人格が出てきてその日のうちに思いもよらない大出費をしていた。
こんなことしてるままじゃ、流石に年は越せそうにないから何か働かないといけないのだろうけど、行きたかった会社落ちてしまったショックは人前でヘラヘラしていても少なからず大きい。

かといって引きずっている余裕はやはりない。
てめえの仕事はどうした?と会う人たちにはよく聞かれるけれど僕のやっている地方の小すぎる古着店は引っ越しや円安の影響を少なからず受けまして現在休止中だ。
資金難に直面しているというわけ。
とりあえずメルカリでもヤフオクでも店頭でもいいから在庫処分していくしかないのね。
それとは別で食いぶちを作る意味で働く必要は絶対にある。
だけど、どうだ飯が食えたら満足なのか、活動資金まで稼げたら満足なのか、サラリーマン時代のように仕事にやりがいを求めるのか、おれはどうなりたいのか。生きがいは何なんだ


友達に焼き肉おごった図


なぜ恐いのかはまだよくわからないけどなぜか恐いという新感覚ホラーイベント、クリスマスが迫っているということを独り身にしか備わっていない肌感覚で感じ始めている。
多分この感覚は爬虫類にしか感じれないとかクジラにしか聞こえないとかそういうの。
次の恋でもしてりゃ辛くないし、そうすりゃ爬虫類にもクジラにもならないで済む。
ラッキーな時は時は2倍笑い2倍顔にシワを残すんだ。

ってな具合で人類として生まれた最大のミッションとして子孫繁栄すべきであろう。それを祝うのがクリスマスだという認識であり、この時期になるとフェロモンを出したり感じたりする器官が独り身は発達するのではないかと考えている。
そうそんな風に自分が持っていないもの、現実にはすごく執着していないもの、持ち得ないとすら思ってしまうものに妙な憧れを抱いてモンモンとしていたら野暮用と共に時間だけが過ぎてテンションは全く上がることなく面白い話の1つもできず酒が身を滅ぼすだけの1ヶ月だったのだ。

当たり前に当事者である俺が1番つまらなかったし、どんどん「生きるってなんだろ?生きるってなあに?」と笑う犬のコントが頭の中で始まりだして、終わる頃には俺何悩んでたっけ?と毎日をすり減らして、知らず知らずのうちに心が翳っていって、昨晩悪夢を立て続けに3本立てで見て朝方に滝汗かいて飛び起きたところで鬱ぽくなっていることに気がついた。
そして俺はこの改善策を知っていて、やはりそれは買い物をすることだったり、キスをすることだったりする。そういえばキングオブコントのいぬのネタ最高だったな。
さあて、クリスマスまでに仕事が見つかって彼女できるかな。
できなくても馬鹿なこと考えるなよ
俺には立派な愛すべきともだちが沢山いる


最近できた変な友達



10月7日から43歳のおじさんと2人暮らしを始めた。
大きな道路沿いの部屋は24時間聞こえるトラックの音と白い光が差し込む北窓にはまだ慣れないし、もし彼女ができたら、もし引っ越したくなったら、そんな将来にも一抹の不安を沢山抱えつつアラサーでもフラジャイルな今を生きている。
引っ越しの数日前にIKEAまで自転車で行って、新生活グッズを見た。
夫婦や家族が「それ絶対要らないよ」なんて言っている光景がとても眩しかった。
僕は43歳のおじさんと2人暮らしを想像しているし単純に貧乏で欲しい物なんて買えなかった。


「たかが暮らしを戦いと呼ばされ、生きる」
(GEZAN/萃点)

暮れなずむポーアイ
暮れなずむポーアイ2



IKEAの帰り道、
日没のポートアイランドはどこか明け方の東南アジアの団地の景色のようだと感じた。
ポーアイは今お年寄りがすごく多く、不謹慎ながら20年後くらいには空き家が増えていることだろうし、外国人居留地的なのをブランディングしてみたら面白そうだと思った。
空港、大学、大病院、大型家具屋、研究施設、そしてウィーケンドマーケットみたいなね。
少しエスニックな香りが漂う近未来型人工島ってきっとカオスでカッコいいよね。
そのためには、移民受け入れとか日本の古い法律やら、国の政治はまじで色々なんとかしないとね。
先の未来を子どもが自由帳に落書きして空想するみたいに考えたけど、
今でも色んな場所は見方や知識を増やして見るだけで十分毎日フレッシュな光景に見えるなとポートアイランドは新生活の前に教えてくれた気がした。
そんな気がしたよ。

最近、生きがいを見失い、テンションが上がらず、IKEAで買いたい家具も買えず、人間にもなれず山犬にも山芋にもなれなかった僕へのご褒美のような時間だった。


ポーアイからの帰り道
ポートライナー



あとTHE 1975の新譜がすごくいい。
About YouっていうDavid Bowieみたいなシューゲイズした曲が最高すぎる。ここ最近なかった感じで少しテンション上がった。
このバンドは僕のHeroesでしかない。
こないだのサマソニも数年ぶりにLIVE見れて涙ちょちょぎれた。
ビートルズにもオアシスにも間に合わなかったけど、THE 1975に間に合った。

写真や動画見返したら、この時の光と新しい部屋に入ってくる光が似てると感じた。
具体的な要素は言葉にならないけれど、
あの日に近い光を毎日浴びれるならば僕は何度だって頑張れるかもしれない。
常に新しい見方をというポーアイの教えがすでに生きてくる。

LIVEの和訳は暮らす・住む・生きる。
生きてまたTHE 1975に会おう。
また一緒に楽しめる仲間と会おう。
つまり毎日がLIVEなわけだな。
なんじゃそりゃ

THE 1975 ライブの空気感
Love It If We Made It

そういえば昔東京でマネージメントしてた音楽ユニットが解散した。
生きていたらこういうことは多々ある。
あの頃、ズタボロにされた心が何年経っても未だ癒えない部分があってたまに夢に見たりする。
音楽でも人としてもすごく励ましてくれたアーティストだったしか解散は悲しいけれど、僕の傷が少しずつ回復に向かうような気がした。
最近、転んで怪我したところの治りがすごく遅くて歳とったなと思ったところだった。過去は消えないから傷な残るけど、新しい皮膚、新しい気持ち、受け入れて生きたい。
兄さんたちはそれぞれアーティスト活動続けるみたいだがら遠くで見守ることにする。
熱い日もあれば寒い日もあり、
今日のように何も感じない日もあり、
LIVEは続くのだ。


長々と彼女と仕事が欲しいというのも日々への言い訳みたいなものだし、あれしないとこれしないとって生きるが何かわからないままADHDが大暴走
結局のところ特に言いたいことは無い

今日も誰かのためになれたら。
生きがいを探し求めてアルバイトに行ってきます。

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