頭の中のモヤモヤに名前がついたら、輪郭がみえてきた
「ストーカー」という言葉がまだなかった1991年のころの話。
この文章のなかに、今から約30年ほど前の日本の社会を表しているドラマの一コマが書かれている。
この当時は、「ストーカー」という言葉が存在しなかった。
言葉が存在しないから、その概念も共有できなかった。
そしてその行為を正しく(?)怖がることができなかった。
そのような行為は今までもあったんだから、「あー、このことを『ストーカー』って呼ぶのね!」となる。公共の電波やSNSに乗って、【行為+言葉】でどんどんと広まっていく。「あー、私が今まで何度も受けてきた、あのことを『ストーカー』と呼んでいいんだね。』
「言葉」ができてそれが広がれば、その概念も広まり多くの人がそれを共有する。そうすると、わざわざ詳しく説明する必要がなくなり便利になる。
私の目に見えているこの世界は本当に存在するの?
幼い頃からよくこんなことを考えてた。
と。
だけど、読書を通じてわかった。
こういうことは、昔から考えている人がたくさんいて、それらに名前を付けていると。
なるほど。
こうやって「こう考えることはこういうことだ」と名前を与えられると、今まで頭の中でモヤモヤしていたものに、【輪郭】が与えられる。
ふむふむ、なるほど。その通りだ。
なにかの事象があり、それらに名前が与えられる。
後から名前が付くこともあるし、後から名前があることに気づくこともある。
どちらにせよ、事象に名前がつくことにより、輪郭が与えられる。
モヤモヤだったり、ただの「そういうようなこと」だったりした時には、それを手で掬って相手に渡そうとしても掬うことさえ難しい。
だけど、名前がつき、【輪郭】ができたことにより、それは誰の手でもほぼ同じように掬うことができるようになる。そして、それを相手に渡したりできるようになるということだ。
やっぱり「言葉」ってすごい!
言語教師バンザーイ! ヽ(´ー`)ノ
眠いんだけど書きたいし、書きたいんだけど眠いし…
最後は無理やり終わらせた感がやばい…
染