見出し画像

私が日本語教師になるまで『挫折編』

このストーリーは3部構成です。
第一部「挫折」
第二部「本屋での運命の出会い」
第三部「決心」


第一部「挫折」



大学4年の就職活動

大学3年次に、1年休学して私費留学していました。
留学から帰ってきて、早速就職活動。
漠然と「英語が使える仕事に就こうかなー。」と考えていた私。

紹介予定派遣会社に登録したところ、
早速、品川にある貿易会社へ派遣されることに。

紹介予定派遣は、派遣先の企業に直接雇用されることを前提としています。派遣期間中に、直接雇用の契約を結ぶかどうかを企業と派遣社員がそれぞれ検討し、双方の合意が得られた場合はそのまま直接雇用となります。いわば、派遣期間が試用期間となるわけです。
https://www.adecco.co.jp/useful/work_style_38

私は「英語」は大好きでしたが、
というか「英語」しか好きなものがありませんでした。
なので、
大学4年生になっても「絶対にこんな仕事がしたい!」
というものが見つからず、なんとなーく就職活動をしていました。

当時2000年代。
大学を卒業したら、会社に就職するのが普通の流れ。

派遣期間の3ヶ月間は、
英語をバリバリ使って、メールや電話対応。
大好きな英語を使って働いている自分に、
「いい感じ!ここで働きたい!」と思っていました。

派遣期間が終わり、最後の面接。
英語で自分の想いや、ここで働きたいことを伝えました。
あちらからの返事は、
「4月から一緒に頑張りましょう!」。
無事に内定となったのです。



4月入社直前のどんでん返し

内定が出たことで、気分はルンルン!
家族も「いい所に就職できたね。おめでとう!」と言ってくれました。

そんな3月のある日、派遣会社から一本の電話が。
「大変お伝えしにくいのですが…
先方のご都合で、
4月からの新入社員の内定が全て取り消しになりました…

「ん???」
頭の中が文字通り真っ白に。

時は2000年代初期。
つまり、「就職超氷河期」と呼ばれている時代だったのです。

就職氷河期は、一般的には1993年〜2005年までの就職難であった約10年間を指します。バブル期に大量募集や一斉採用を行っていた企業は、1990年のバブル崩壊に伴い人件費削減を実施。
さらに1990年代後半〜2000年頃は金融不安、ITバブル崩壊によりさらに景気の悪化が進み、「超氷河期」と称されるほど就職活動が絶望的になったのです。
https://www.kaonavi.jp/dictionary/syusyokuhyogakisedai/

こうして私は、
入社の4月を直前にして、いきなり「無職」決定となったのです。



路頭に迷い、酒とタバコを始める


そんな訳で、
私は「酒+タバコ」を始め、自暴自棄になりました。

当時は「新卒」が命。
新卒の時期は1度だけ。
それを逃してしまった私。

これからどうしよう。
タバコは不味いが、吸ってやる。


明日は、
第二部「本屋で運命の出会い」をお届けします。


いいなと思ったら応援しよう!