「かわいい」より「かっこいい」のが嬉しい理由
なんか中学生くらいのときから、「かわいい」って言われるより「かっこいい」って言われるほうが嬉しいと感じるようになった。
それは私の趣味が男の子寄りだったというのも多少あると思うが、それだけではないらしかった。
かわいいは相対的
人を「かわいい」と褒めるとき、そこには無意識に比較対象がいる気がする。
「(このクラスで一番)かわいいね」
「(モデルの○○に似ていて)かわいいね」
誰かと比べて「かわいい」というのは、
つまり自分も知らないところで誰かと比較されている
という一抹の不安を覚える。
だからなんか嫌だったのかも。
「かっこいい」は絶対的
対して、人の容姿に関して「かっこいい」ってあまり使わない気がする。
「顔が好き」「イケメン」「尊い」という言葉で形容することが多く、あまり「かっこいい」とは言わないのではないだろうか。
他人に対して「かっこいい」というとき、それは容姿よりも「生き様」「考え方」に対してだったり、「憧れ」「尊敬」の意味が含まれている。
誰かと比べてかっこいいのではなく、ただあなたをあなたたらしめるモノが「かっこいい」。
私が言われた「かっこいい」はたいていそんな意味だった。
女の子の言う「かわいい」
よく「女の言うかわいいが分からん」という男性がいる。
女の子の言う「かわいい」は、その人にとって「愛おしい」「守ってあげたい」「私のモノにしたい」「変わっていて面白い」などなど、いろんな意味が含まれている。
女の子の「かわいい」は割と絶対的な意味を含んでいるのではないか。
少なくとも、誰かの容姿と比較する意図はあまり含まれていない。
だから男性に言われる「かわいい」よりも、
女性に言われる「かわいい」の方が私は安心感を覚える。
絶対的な誉め言葉の方が心地が良い
たとえば、「おもしろい」も絶対的な誉め言葉だと思う。
そこに比較対象はおらず、ただその人のツボだったというだけである。
それに対し、「センスがある」という誉め言葉は相対的だ。
「ある」という言葉があるように、おのずと「センスがない」人が背景に存在することになる。
もちろん、そういった相対的な誉め言葉が失礼だとは限らない。
でも私の感覚としては、
「あなたはかわいい顔をしている」
「あなたにはセンスがある」
という相対的かつ評価的な誉め言葉よりも、
「私はその考え方かっこいいと思う」
「私はあなたを面白いと思う」
という絶対的かつ序列をつけ得ない誉め言葉のほうが
手放しで喜べるなぁと思う。
…私、元優等生だからね。気になっちゃうのよ、順位とか。
だから背景に「比較対象」のいない誉められ方は、
評価されている不安を感じ得ないので、すごく心地が良い。
そういった意味では、「好き」が一番うれしいかもしれない。
「その考え方好きだよ」「生き方が好きだよ」「顔が好きだよ」「表情が好きだよ」
「誉めたのに怒られる…」という人は、評価や比較対象が存在しない誉め言葉を心がけてみるといいのかもしれない。
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