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立ち止まって、はじめたこと

 病気になって、1年の抱負や展望を失った上に、やめなければならないことにまで気付かされて、イジケてパズルを解いたりして時間をやり過ごしていたが、体調が回復してくると不思議なもので、カーテンの隙間から差し込む夏の太陽の陽射しを、もうそろそろ浴びてもいいんじゃないかという気になった。
 最初は、終わりに向かって始めるべきこと、を始めなきゃ、という気持ちだった。時間がない、気分が乗らないなどを言い訳に放ったらかしてあるものが幾つもある。それらを今後(恐らく10年くらいかけて)捨てたり片付けたりしていく。気分は重い。後向きといえば後向きだ。
 気分が沈んだついでに1つ、パンドラの匣を開けた。数年前に開設したNISA口座。いわゆる塩漬け株が入っている。ここ2年で1分間くらいしかみていない口座を見てみた。塩漬けのはずの株が大化けしていた、ということはなく、一部は目を疑うような酷い株価になっており、もう儲かることはないことを悟った。
 普通ならそこで、閉じるのかもしれない。画面を閉じるなり、口座を閉じるなり。しかし私は、生来の博打気質にまで陽射しを浴びせてしまったようだ。
 実は証券口座を開設してまもない内に、株主優待を受け、配当も得た上に、数万円のキャピタルゲインを得るという成功体験をしている。一方で、成功体験ゆえの塩漬け株があり、投資から遠ざかっていた。収入がない、時間はある、という今、この塩漬け株の教訓を糧に、少しならプラスを得ることができるのではないか、いやきっとできるはず…これが博打気質の思考回路なんだろう。
 そうして日々は忙しくなった。日々の家事、後向きな家事、闘志(投資?)ギラギラの9時〜15時。そして3ヶ月後には、パートに出ようと決めた。
 パートに出る、つまり働いて収入を得ることを再び始めようと決めた。これは株式投資で大損したからではない。しかし投資経験が無関係なのでもない。
 生きていくのにずっとお金が必要だったのに関わらず、お金を最低限必要なだけ稼いだり使ったりして貯蓄体質ではない自分の計り知れないところに、何かを学んだり考えたりして自分で使いきれないくらいのお金を得ている人が存在することを知った。FIREを知って驚いたし羨ましいが、私は既に健康はお金で買えないことも知っているので、多額なお金を稼ごうなどという野望はない。しかし、学び次第でちょっとした運用益を得られる術があることを知ったことは、大きな収穫だった。突然立ち止まることになって、自分で働いて収入を得ることは喜びであることがわかったし、さらに稼いだお金の正しい使い道を知ったような気がして、もう働くしかない、となったのだ。

 貯蓄体質ではない自分が病気をし、まとまったお金が必要になったが、数十年前に入っていた保険と国の健康保健制度と高額医療制度で命を繋げてもらった。思えば夫婦と子ども2人の家族で、決して人様に、ましては親にも、言えないくらいの貯蓄しかない生活の中、家を買い、子ども2人を奨学金なしで大学に通わせたのは自分を褒めたいくらいだが、なぜそれが可能だったのか、という答え合わせをするために、そしてこれから迎える老後のために、あと、ただ1つでいいから国家資格を保有したいという思いもあり、ファイナンシャルプランナーの勉強を始め、3月(1月試験)に3級を、7月(5月試験)に2級を取得した。
 現在は、突然立ち止まることになった自分には、想像のつかなかない自分になっていると思う。違う意味の想像がつかない、にならなかったことに感謝しつつ、新たな自分を大事に抱えて、また、はじめていく。


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