現象と向き合う 〜オトナ仮説 その2〜
まだまだコドモな僕が、オトナであるとはどういうことかを考え、仮説を立てていくシリーズその2。
この文章の問いと仮説は、いつか僕も大人になれたらいいなという願いと祈りでもある。
オトナであるための仮説 その2
・現象と向き合う
オトナだなと感じる人、プロフェッショナルを感じる人はこれができているイメージだ。
まだ上手く説明できないが、ある人やものが何かしらの問題を引き起こしている場合、その人自身をどうにかしよう、ではなく、感情的・主観的なジャッジを排除し、その人の取り巻く環境や起きている問題や事実そのものに目を向けて原因を分析し、外側からの実行可能な対処法を考える、みたいな。
ことわざで言うと「罪を憎んで人を憎まず」。
簡単に言うけどこれが結構難しい。
人間関係や仕事のトラブルにおいてその原因や責任は人にあると思ってしまうしその人を責めて解決しようとしてしまう。
だがそれは「因果」で言うと「果」と「因」の終点のみに着目しているアプローチである。
「因」は時間軸で見ると「果」に至るまでの間に、空間軸で見るとその人の周りの環境にもたくさん散らばっていたはずであり、そこと向き合おうとする姿勢こそが、現象と向き合うということであり、オトナであるということではないだろうか。
もちろん自分の感情を排してものごとを見るということがいつも正しいという訳ではないはずだ。感情・主観を大事にするという姿勢を「コドモ」とするなら、むしろ日常生活においてコドモであることは何よりも大切なことだと僕は思う。
どういう局面ではオトナであるべきで、コドモであるべきなのか、これも今後検証していきたい。
ところで多分全然関係はないが、「現象学」という学問がある。どういう内容かは全然知らないが、ハイデガーの本を読んでいた時にちょろっと出てきて気になったのでこれを機にちょこっとかじってみたい。
【仮説を検証するために】
・感情・主観を排して状況を見てみる→実行可能な解決策を考える
・現象学に関する本を読む