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この仕事、広告賞とれますか?【地方広告と賞②】

30代、3回の出産を経験した移住コピーライター中村です。

3回の出産ということは、3回の育児休暇を取得したということ。まるまる3年間+出産前は全く、広告人として稼働していません。
コピーライターにとって大事な30代に、何も仕事をしていない。つまり、広告賞に応募する作品がない。特にTCC新人賞は5作品を応募せよとのことでしたので、質に加えて量も必要。

じゃあ休むのやめて仕事すればいいじゃん。となると思うのですが、赤ちゃんってそう言ってられないぐらい手間がかかる存在なんですよ…。余談ですが、私の母は弟を出産した際に3か月で仕事復帰していましたが、保育所待機中はベビーシッターさんが来ていました。お金持ちでもなんでもない普通の家に、ですよ。後で聞くと、当時のお給料を全部つぎこんだのだそう。自分が出産してわかりました。母と同じことはできません!

仕事復帰した私が何を思ったのか。それは、まずは質の担保でした。

賞をとりやすそうな仕事とはあるもので、地方では、自治体の観光キャンペーンの広告とか、いいこと言いそうな公共性の高い広告とか、とにかく「公的な」「おっきな」仕事。逆にチラシとか通販広告とか冊子ものとか、いわゆる販売促進(セールスプロモーション)ではとれそうにもない。
そうなるとおのずと、仕事の話がやってきても「それって広告賞をとれますか?」という視点で見るようになってきたのです。そして取捨選択が始まります。

でもさー。動機が不純やん?

動機が賞獲りなので、広告として「効くか?」ということは見ないふりする。つまり広告屋として完全に間違っている。

と、今は心から思うのですが、当時は広告屋としてやっていくためには賞をとらねばと思っているので、「広告人として正しい道のひとつだ」ぐらいの勢いで考えているのです。

しかし、そんなにうまい具合に仕事が来るわけもありません。当時、私は「社内ひとり編集部か!」と言ってたぐらい、広報誌やパンフレットなどの冊子ものの仕事の話を多くいただいていました。冊子ものは手間がかかるんですよ。でも賞はとれない。冊子の仕事は楽しくて好きで燃えるんだけど、広告人として行くべき方向ではないんだろう…。そんなジレンマも抱えながら仕事をしていました。

そして賞を狙うと何をしなくなるかというと(㊟私の場合。すごい人は違うと思います)

リスクを取らなくなったのです

間違いのないものを作ろうとして、80点を取るような仕事はできるのですが、500点とかの突き抜け力のあるクリエイティブはできなくなってしまいました。逆に4点も取らない。

自分がどうしたいかという視点は全くなくなり、どうする「べき」かしか考えない。したいことが分からない!

こうなるとクリエイティブは終わり。本当に。

誰も私に面白いものを作ってくれなんて言わなくなる。無難と思われて、間違いなく作るような仕事しか来なくなる。

楽しそうに仕事をする同世代の営業さんを横目に、私は30代にして「あー窓際族の人ってこんな感じかな・・・」と、会社員として終わった感にあふれていました。

そんなある日、偶然見つけたウディ・アレンの言葉。「もしあなたが最近あまり失敗していないのなら、それは何も革新的なことをしていないということだ」If you’re not failing every now and again, it’s a sign you’re not doing anything very innovative.

まさに今の自分がこの通りだと思いました。広告には目的があって、それを叶えるために何か革新的なことをしたときに、はじめて評価される。賞も含めて。

「でも、どうしようもない…」。目の前に広がる砂漠を見て立ち尽くすような感じ。他人の手前、精力的に元気に仕事しているように見せていたと思うけど、心の中は広がる砂漠でした。

そしてそのまま、3人目の妊娠がわかり、再び産休に突入するのです。

その時私は、もう広告の仕事はやめようと考えていました。いやウソ。もっと違うこと、モノを売るために、広告企画とは別の仕事をしようと考えていました。会社もそのうち、やめることになるんだろうなと思っていました(育休を取るのに…苦笑)。

当時、アメリカではオバマ大統領が就任し、その選挙活動にツイッターを使った広告をしたことが話題になっていました。とても興味があったけど、日本ではそんな情報は広告業界誌にも詳しく出ていなかった。なので産休中に家でパソコンを開いて、読めもしない英語でオバマの選挙広告の情報を探し、読み始めました。広告表現というより、「何かを実現させるためのコミュニケーションの仕組み」に興味がありました。

そして育休明けの会社復帰目前。もう私に仕事を頼むような営業さんはいないだろう、そうなった時に会社員として何をするか考えねばならないな…と思いながら、営業フロアに復帰直前の挨拶に行ったのです。2010年3月のことでした。

(つづきます。これ長いよ・・・。ごめんなさいね)

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