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地方の広告就職 中途採用 ㊟2002年版

結婚直後はすぐには働かず、まずは自動車学校で免許を取ることにした移住コピーライター中村です。日課は家事と教習所という気楽な毎日。

取り込んだ洗濯物のワイシャツにアイロンをかけていた、ある静かな夕暮れのことです。ふと「部屋とYシャツと私」という、平松愛理の歌が頭に浮かびました。

その瞬間、私はアイロンを放り投げたくなりました。こんなのイヤ。こんなことしてる場合じゃない。

一気に就職活動開始

まずは元上司の知り合いであるA社の方を紹介してもらい、電話をかけ、会う約束をとりつけました。次に高松に本社や支社を置く広告代理店のウェブサイトを見て、B社とC社に履歴書と職務経歴書を送付します。

B社からは、「面接は面接で行うのですが、それとは別に大型プレゼンがあるので仕事を手伝ってもらえませんか」と電話がありました。これって新しいタイプの就職試験だろうか?打ち合わせに行き、ピンでの広告仕事が始まりました。

C社からも連絡があり、会社訪問することになりました。対応してくれたのは制作局ではなく営業局の局長です。「恐るべきさぬきうどん」の本の話や高松の印象、好きな広告人はデビット・オグルビーだという話をして約1時間。帰り際、なぜか制作フロアではなく営業フロアを見せてもらい、「今からうどんを食べに行こう」と急にお昼をご一緒することに。車に乗せられて「るみちゃんうどん」でかけうどんをご馳走になりました。外で食べるうどんのおいしさ!お礼を言うと「100円もせんので」と笑われて、次は香西農協の裏のうどん店へ。うどんのはしごをしてしまったのです。

これには驚きました。だって初めて会った、しかも面接官ですよ?採用不採用の返事はどうなるんやろ?なのにこの距離感。大丈夫なんだろうか?
C社からの帰り道は竜宮城から帰ってきたみたいに頭がクラクラしました。その足で書店に立ち寄り、営業局長が出ているという「恐るべきさぬきうどん」の本を買って帰ったのです。

前後してA社の面談もありました。「採用はしていない」と言われ、「ですよね~」と退散したのですが、帰宅途中で携帯に電話があり、支社長が会いたいとのこと。再度別日で訪問することになりました。支社長・副支社長との面談で「通常は支社では採用していないのだけど、大阪での役員会で、採用できるように議題にのせる」ということになりました。

私はその時に言われた言葉をはっきりと覚えています。「あなたが競合として同じ市場にいるのは恐ろしい」。

自分はどこの会社に入りたいのか。

選択肢が急に増えて、自分はどこに行きたいのかを冷静に考える必要が出てきました。頭は「A社一択。それが広告人の王道の選択」と言っています。が、心は違いました。

私はどうやら面白い会社に入りたい。「面白い」とはつまり、面白い人がいる会社である。なぜなら広告は人がつくるものだから。面白い人がいる会社では、きっと面白い広告の仕事ができるはず。

そうなると答えはC社なのです。営業局長の「うどんでクロージングする方法」には度肝を抜かれて面白かった。A社に「あなたが恐ろしい」と言われたことで、私の小さな自尊心は大いに満足していました。だったら、本音で生きようと思ったのです。

とはいえ迷いに迷いました。他の広告人にも聞きました。みんな答えは「A社かB社」。「A社のよさってどこやろ?」と聞くと「A社だから」。笑ってしまったけど、それが広告業界の常識でした。毎日毎日迷い、それぞれの長所短所を紙に書き出してみたりもしました。

迷っても出てくる解は変わらない。

そんな中、高松のまちなかにある中央公園で開催されていたビール祭りに行きました。仕事帰りの夫と待ち合わせて、生ビールを注文する金曜日夕方の開放感。「本当はC社が面白そう。A社のほうがいいんだろうけど、C社に行きたいんだよね~」。
高松の空は夕方のやさしい青色をしていました。生ビールの透明な黄色もお祝い的に見えました。
そのとき、私自身とてもクリアな気持ちでした。そしてC社に行くことに決めたのです。

A社B社ともに、条件付きで内定をもらいました。私はその「条件」を言い訳にして、両社にお断りを入れました。B社でのプレゼンの結果はまだ出ていませんでした。

かくして「部屋とYシャツと私」の夏は終わりました。

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