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ある公園で2時間人間たちを見続けて思ったこと

“the hardest place to be is right where you are
                in the space between the finish and the start ”

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公園に行くことは目的ではなかった。
友人と用事を済ませ、せっかくだし、と近くのカフェに寄った。予想外に混んでいたので、テイクアウトすることにした。
Googleマップで調べたら、すぐ近くに公園があった。私が頼んだエスプレッソには蓋を付けてもらえなくて、こぼしそうになりながら歩いた。

その公園は、おそらく50m四方ぐらいの広さで、中央にペンキで塗られた山のようなものがあって(穴が空いていたり、ぼこぼこしている部分があったりする、公園によくあるあれだ)、ブランコも、砂場も、それ以外の遊具も満遍なくある理想的な公園だった。走り回れるスペースが広く確保されているため、色んな年代の子供達が縦横無尽に走り回り、何十組の親子がそれぞれの時を過ごし、何個ものボールが行き交っていた。
私たちはコーヒーを片手に、その公園にその日のその時間に集まり、思い思いに過ごす人間たちを眺めていた。

ジープのラジコンで遊ぶ女の子とお父さん。
彼女の頭より大きいジープは、同じ軌跡でぐるぐる回り続けていた。お父さんは口出しすることなく、女の子の後ろでその様子を眺めている。突然、その女の子より小さな男の子がジープの後ろを追いかけ始めた。男の子のお父さんも近くにやってきた。てっきり男の子を止めるのかと思ったが、その様子はない。すると女の子は、ジープをまっすぐ走らせ始めた。右に走らせ、左にバックさせ、カーブさせた。男の子は、楽しそうにそれを追いかけた。しばらくして、男の子は飽きた様子で離れていった。男の子のお父さんはそれを追いかけていった。女の子は、またジープを延々とぐるぐる回し始めた。女の子のお父さんは、変わらず女の子を見守っていた。

1人でサッカーボールを蹴り続けている男の子。
たくさんの子供がいるけれど、1人で遊んでいる子はその子ぐらいだったので、なんだか目立っていた。中学生ぐらいの男の子たちがどこからともなくやってきて、男の子の近くのベンチに座った。お兄さんらしく、ビニール袋から炭酸飲料を出して飲んだり、スマホをいじったりしている。男の子はベンチの近くの段差を壁がわりに、ひたすらボールを蹴り続けていた。中学生の1人が、すっと立って男の子のボールを蹴り返した。男の子は動揺した様子もなく、そのボールを蹴り返した。中学生も蹴り返した。ラリーがしばらく続いたのち、他の中学生も加わった。誰が何も言わずとも遊びは進化した。ドリブル合戦やロングパスを経て、始まりと同じく突然に、中学生たちは去っていった。男の子は何事もなかったように、また1人でボールを蹴りはじめた。

幼稚園ぐらいの息子と、ぷよぷよのボールでパスラリーを続けるお父さん。
その年頃の子供がいる親にしては、少々歳を重ねているお父さんだったが、ボールを蹴る動きにはかなりキレがあった。途中、先述した男の子と中学生たちが蹴っていたボールがお父さんのところに行ってしまった時も、無言で華麗に蹴り返していた。息子も結構上手い。彼らから少し目を離した隙に、親子の遊びは野球に切り替わっていた。息子がバットを握り、お父さんが小さなボールを投げた。ボールは、息子の頭より高い位置に軌道を描いた。
「パパ高すぎ!」
息子が叫ぶ。もう一回投げる。いい感じだったが、息子が空振った。
「ぼくがだめだあ!」
お父さんが、もう一回やってみよう、みたいなことを言ってから再び投げた。ボールは再び息子のストライクゾーンをゆうに超えて飛んでいった。こんな小さなバッターに投げるのは難しいだろう。
「今のはパパが悪い!」
ふむ、彼は責任の所在を明らかにするタイプの幼稚園児のようだ。かなり将来有望と見た。

かわいい編み込みをしてもらって、一生懸命ハンドドリブルを続ける女の子。右手と一緒に、左手もドリフみたいに動いている。かわいい。横をスクーターがすごいスピードで走り抜けて行った。今時のスクーターは七色に光るんだなあ。雰囲気が正反対の二人の女子中学生がやってきた。一人は髪を高いところで結んで、バスケのユニフォームのようなタンクトップを着ている。もう一人はメガネをかけて襟付きのブラウスを着ている。小さなボールでキャッチボールを始めたのだが、二人ともびっくりするぐらい上手だった。肩がしっかり入っていて、結構なスピードの球だった。あれ、その後ろで男子小学生たちが投げ合っているのは、先ほどの将来有望幼稚園児のぷよぷよボールではないか?幼稚園児とパパは、全く気にしている様子がない。最終的にそのボールは木の根元に転がされて、幼稚園児も小学生も帰ってしまった。なんとあのボールは、誰のものでもなかったらしい。

私が特定のグループを観察している間も、グループ同士は入り乱れ、交流しては離れ、やってきては去る。パスを続ける円の中に、別のボールが行き交う。鬼ごっこの中に、別の鬼ごっこが混じる。過剰に反応するでもなく、無視するわけでもなく、受け入れる。
私は、有機体を見ている気分だった。その時、その場でしか生まれない、有機体。出会い、というには淡白だけど、名前をつけないわけにはいかない、小さな交流。
そしておそらく私も、この有機体の一部だった。誰の親でも兄弟でもなさそうな私たちを避けるでもなく、隣のベンチには色んな人が座って去った。子供たちは風を感じるほどの距離を走り抜けた。

人間は、生まれ、成長し、死んでいく。ぶつからないくらいの距離で、入り乱れ、行き交い、時々パスを出し合いながら、それぞれの人生を進んでいく。

私が億万長者だったら、こんな公園をたくさん建てて、一日中ベンチでこうやって眺めていたい、と友人に言ったら、そうして、と言われた。


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