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のどぐろ、同伴を添えて

「Baby チャンチャンチャンカパーナ 
        チャンカパーナ 人生で一番美味しいもの」

NEWS・チャンカパーナ



小学校低学年ぐらいの頃だったか、珍しく家族で出かけた日があった。母が夙川の桜を見に行きたいと言い出して、みんなで阪急に乗って行ったのである。
桜のことはあんまり覚えていないけれど、お昼に食べたのどぐろの七輪焼きがびっくりするほど美味しかったことははっきり覚えている。
小学生の私に「のどぐろ」は「めっちゃおいしい魚」として強烈に刻まれた。

社会人になり、地元を離れ一人暮らしをしている。幸い、気の置けない友人がいい感じの距離にいるので、数ヶ月に一回は会って適当な話をする。
ご飯を選ぶ時は「東京でしか食べられないもの」を意識しているのだが、ある時友人が見つけてきたのが、のどぐろの一本焼きとしゃぶしゃぶのコースがあるお店だった。例の思い出が蘇ってきて、すごくセンチメンタルな気持ちになった。あれ以来のどぐろを食べていないけれど、今になってもやはりおいしいのだろうか。

しかしまあ相当なお値段だ。友人は、私よりも食へのこだわりが強いのだが、さすがに少し遠慮がちにリンクを送ってきた。東京だからこそ、価格の高さが美味しさを保証してくれるわけではない、とは薄々気づいてきている。これだけ出して微妙だったらどうしよう。ディズニー1回行けるなあ、と思いながらも、自分である程度稼げるようになってきたからこそ、もう一度のどぐろを食べてみたいという好奇心があった。何より、自分に贅沢にお金を使ってあげれる時期なんていつまで続くかわからない。ていうかお前ディズニーなんて誰と行くんだよ。
互いに覚悟を決めて、新宿、夜の7時、あるお店に乗り込んだ。

店舗はあるビルの地下にあって、階段を下りドアを開けると、すぐカウンターになっていた。コの字型のカウンターには、ちらほら客が座っているが、ほとんどがカップルだった。カウンターに囲まれた空間には、店員さんが2人座っていて、目の前の網で食材を焼いている。もちろん炭火だ。カップルとカップルの間に通されて、少々居心地の悪さを感じながら席についた。

コースを予約していたので、料理が出てくるまで手持ち無沙汰になった私たちは、カウンターに座っているがゆえにいつもの感じで話すこともできず、ただ周囲を観察していた。
あるカップルの彼女が席を立った。彼氏の方が即座に彼女のおちょこに酒を注いだ。献身的な彼氏だな。服装が少しビジュアル系なのが気になるけど。
隣に座るカップルから「お誕生日おめでとう〜」という声が聞こえてきた。誕生日にのどぐろ?結構渋いな、別にいいけど。
新しくカップルが入ってきた。彼氏が着ていたジャケットを店員さんがハンガーに掛けてくれたのだが、店員さんが去った瞬間に彼氏が再度掛け直していた。大事なジャケットなんだろうか、そんなに気になるほどでもなかったけど。
あとさっきから、誕生日カップルの彼氏のスマホ画面がずっと視界に入ってくる。彼氏は私の隣に座っているのだが、向こう隣の彼女には絶対に見せたくないと言わんばかりに、画面をほぼカウンターと垂直にしているからだ。人のスマホを覗くのは悪趣味だとは重々承知しているが、見えてしまうのだから仕方ない。
びっくりするくらいのLINEの通知の量だった。
トーク画面をスクロールすれどもすれども、通知の山。
ここで私はやっと気づいた。
私たちは同伴に囲まれている。

料理が出てきた。まずはお造り。
本当に、びっくりするほど美味しかった。マグロ、サーモン、鰹、ヒラマサ、ホタテ。鰹を食べたらマグロだった。マグロを食べたら大トロだった。つまり、これまでの刺身の概念を覆された。「口の中で溶けるっていうのはこういうことか...」と友人と小声で盛り上がる。すると、カウンターの中で座っている店員さんが、巨大な木べらを「どうぞ」と差し出してきた。上に載っているものを取っていいらしい。上品な小皿には逆さになった椎茸が載っていて、笠の内側には出汁が煌めいている。軸を持って出汁を吸ってから笠を食べるらしい。「なんじゃこれは」「こんな食べ方が許されるとは」とわいわい言いながら食べる。なるほど、出汁とは本来こういうものなんですね。椎茸特有の臭みは消えているのに、旨味はしっかり残っていて、出汁がその旨味を後押ししている。
刺身と椎茸がこれほど美味しいなら、目当てののどぐろへの期待値も上がるというものだ。期待値に比例してテンションも上がってきた私たちは、同伴に囲まれていることなんてどうでも良くなってきて、気づけばいつも通りの声量で美味い美味いと言い合っていた。カップルたちはお互いを見つめるのに忙しいのか、ほとんど料理の感想は聞こえてこない。

ついにのどぐろのしゃぶしゃぶが運ばれてきた。薄ピンクが掛かった切り身は、まるで桜貝のようだ。
「どれくらいしゃぶしゃぶしたらいいん」
「知らんな」
「とりあえずタラの鍋みたいな感じで、くるってなるまでやってみる?」
「いやええ魚やから最低限でいけるやろ」
「いけるか」
「おそらく生でいっても死なんし」
出汁に通した水菜とネギと一緒にいただく。最初の切り身を飲み込んだ瞬間、今日のことは一生忘れないだろう、と思った。貧困な語彙力が悔やまれるが、本当に、心から、めちゃくちゃおいしい。お好みで、と渡されたぽん酢も試してみる。言わずもがなおいしい。
「おいしすぎてもったいなくなってきた」
「それな」
「一旦休憩しよ」
二人で箸を置いて頭を抱えた。すると、まだしゃぶしゃぶが終わっていないのに、次の料理の玉ねぎの丸焼きが木べらに載せて差し出された。私たちの会話を聞いて、気を遣ってくださったのだろう。まあこの空間で聞こえる声量で会話している客は私たちしかいないのだから、気を遣わせた、という言い方が正しいのかもしれない。ちなみにさっき、あるカップルの男同士がトイレに行く際ぶつかるというハプニングがあったが、不自然なくらいに丁寧に謝りあっていた。同業って色々気を遣いますよね。
玉ねぎも、ただただ美味しかった。まあ炭火で焼いてある時点で美味しいのは分かりきっているのだが、椎茸然り、玉ねぎ然り、丹精込めて丁寧に調理されていることが伝わりすぎて、自分の日々の食への姿勢を反省した。朝ご飯と晩ご飯に、それぞれ決まったメニューを1年以上食べ続けている私には、あまりにも眩しすぎた。

そんなこんなで、しゃぶしゃぶを食べ終えた私たちは、名残惜しすぎて、しゃぶしゃぶの出汁だけを飲んでいた。玉ねぎが前倒しされたからか、次の料理が来るまで間が空いたのである。
「うま...」
「うま...」
茶碗を口に運ぶ姿勢だけは上品であろうとしていたので、そこまで行儀が悪くは見えていなかったと信じたい。せめて味見を繰り返す主婦のように見えていてくれ。

目の前の店員さんが、のどぐろの一本焼きを木べらに載せた。さっきから獺祭と思われる酒を瓶ごと流しかけながら焼いているなとは思っていたが、やはり。
ついにここにたどり着いた私たちは、終わりが見えてしまった寂しさと、待ち望んでいたものが現れた喜びという相反する感情をどう処理していいか分からなくなっていた。
「来たな...」
「来た...」
「とりあえず出汁飲むか」
「飲もう」
心を落ち着かせるために、再度出汁を飲んでいると、今まで業務連絡しかしてこなかったカウンター内の店員さんが話しかけてくださった。
「一本焼きの骨とかアラを入れて、一回沸騰させたらもっとおいしいっすよ」
なぜか小声だった。
「そんなことやっていいんですか...」
「はい、全然」
「ほんとですか...」
「...食べるか」
「行くか」
その頃にはなぜか周囲のカップルたちの話もひと段落していたようで、店員さんと、異常に興奮する私たちの秘密の会話がコの字のカウンターを支配していた。
そこからはお察しの通り、まあ本当に美味しかった。土鍋で炊いたご飯、あおさの味噌汁、松前漬けまで出てきて、のどぐろに華を添えた。ご飯に、松前漬けとのどぐろを載せて、再度沸騰させた出汁をかける“のどぐろ松前茶漬け”を友人が発見した時は、天才すぎて怖くなった。

終盤に近づいて、私たちがあまりにも残念そうにするのを見かねた店員さんが「目も食べれますよ」と教えてくれた。
「ちょっと好みがあるかもしれないすけど」
「いや、いかせてください」
「ちょうど左右で2個あるんで」
ここまで楽しませていただいたからには、どこまでもついて行きます、という気持ちだった。
「あ、確かにこりこりする」
「普段あんまり食べんからな」
「でも、なんかあれやな、さすがやな」
「うん、塩が効いてる」
正直、他の魚の目と同じ味だった。
さすがののどぐろでも、目は同じ味だった。
「なんかえぐみがないな」
「ない」
「さすがおいしいです」
「よかったです」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
私たちは、新宿という街で、ホストの同伴に囲まれながら、のどぐろの目の感想を絞り出した。

最後のひとかけらまで攫いきって、りんごシャーベットまでいただいて、店を後にした。
今まで、家族のお出かけの象徴だったのどぐろは、男女の意味ありげなお出かけの象徴になった。
おいしさは思い出補正で、実はそんなになのではないかという心配はしていたが、これは予想外だった。
まあ、私も大人になったということか。


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