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地面師の香水

「I still love キミの言葉が まだはなれないの 
                       あの日あの場所で 凍りついた時間が」

Perfume・パーフェクトスター・パーフェクトスタイル


突然ですが、あなたは「話しかけてくる店員さん」をどう思いますか?
私は、接客業のバイトを経験してから、自分なりに対処できるようになった。
これは勝手な考えだが、店員さんにも「話しかけたい派」と「話しかけたくない派」がいて、「話しかけたくない派」は、ただ仕事だからという理由だけで客に話しかけているにすぎない。間に合ってます、という微笑みを返せば、分かる〜、というようにしずしずと去っていく。
「話しかけたい派」は、本当に商品をおすすめしたい、という店員さんの可能性が高く、話を聞いてお礼を言えば引き下がってくれる。
客側があからさまに放っといて欲しそうなのに話し続ける店員さんは、別問題。そういう人はプライベートでもそういう面があるはずで、その人を「店員あるある」としてしまうのは、あまりにも他の店員が浮かばれない。

長々と書いてしまったが、ここで考えたいのは、じゃあ「最初から最後まで店員さんがついてくださるタイプの店」ではどうするか、だ。
こっちがやんわりと拒否しても、少し後ろで控えていてくださる。そういう決まりだからしょうがない。
例えば、黒茶色のパッケージで統一された、スキンケアや香水を取り扱うあのブランドなんて、文字通りずっと店員さんと一緒だ。
これは、先日友人とそのブランドの店舗に行った時の話である。

彼女とは高校以来の付き合いで、彼女の実家は料亭を経営している。まあ料亭出身だからどうというわけではなく、小学生の時にテストで百点を取ったら、おばあちゃんが百万円くれたというようなエピソードがある程度だ。
あとは高校時代から今も髪の毛がずっと短い。ハンサムショートなんて言葉じゃ足りないくらいの、本当のショートだ。高校時代、美容師さんに勝手に刈り上げられて、いわゆるツーブロックみたいになってしまった時には、登校した日の昼休みに職員会議が開かれた。うちの学校は校則が厳しく、男子はツーブロックを禁止されていたが、女子のツーブロックを禁止する校則がなかったからだ。結果「次からは避けるように」というお言葉をいただき、校則は改訂された。
なぜ髪が短いかと言うと、中学まで本気の野球チームに入っていたからで、その名残か声が大きくてよく通る。ちなみに高校時代は私と一緒に帰宅部に所属していた。
まとめると、最高の友達だと言うことだ。

彼女はこの例のブランドが大好きで、ハンドソープやらハンドクリームやら、色々と集めている。
その日は、ずっと気になっている香水があるということで、私は何もわからないままついていった。
お昼にロシア料理を食べたのだが、ピロシキもビーフストロガノフもボルシチも全部試したくて全部食べた結果、お腹がいっぱいすぎて気持ち悪くなっていた。
この歳になってそんなことになるなんて、非常に不甲斐ない。

私たちが行った店舗は比較的広く、商品を試す水場が複数ある贅沢な作りだった。(狭い店舗なら中央の一箇所にしかなかったりする)
私たちが店舗に足を踏み入れた瞬間、清潔感の権化みたいなお兄さんが挨拶をしてくださった。私はその時点でかなり引け目を感じていたのだが、さすが料亭の娘、どんどん話を進めていく。
彼女がここのハンドクリームを使っている、という話になって、これが最近新しく出たんですけど、と清潔感の権化が紫色のハンドクリームを手に取った。権化自身の手にクリームを取り、友人に嗅がせる。よろければ、と私にも勧められたので、恐縮して嗅がせていただく。ラベンダー系の香りだが、さすがこのブランド特有のすっきり感がある。よければお試しされますか?という話になり、せっかくなら、とスクラブとクリームパックまで試すことになった。
まずはスクラブから試しましょう、手を出してください、と言われて、てっきり製品を手に出してくれるのかと思ったら、なんと権化直々に手を洗ってくださるようだ。友人と私は、互い違いに手を洗われ、ふわふわのタオルで宝物を扱うように拭かれ、丁寧にクリームを塗られた。
友人は堂々としていたが、私は申し訳なさと恥ずかしさで、内心非常に慄いていた。それが伝わったのか、権化が「うちのブランドではスタッフがお客さまの手を洗わせていただいています」とわざわざ説明してくれた。
一瞬、やばい人かと思ってしまってすみません。

「塗った手と塗ってない手を比べていただくと、透明感がでて肌がやわらかくなっていることがわかると思います」と権化が言う。
店員さんにこう言うことを言われると非常に困る。違いがわかる時はいいのだが、正直わからない時もあるからだ。でも今回は幸い本当に違いを感じたので「確かにそうですね」と返すことができた。彼女は「すごい!」と無邪気に感動している。
「お客さまたちみたいに小顔の方だと、いわゆるパックって全顔覆えなかったりするじゃないですか、でもクリームパックなら目のキワまで覆えるんです」と権化が言う。
またまた、こういうことを言われると非常に困る。セールストークだとは十分分かっているけれど、褒められている事実を無視することもできず、いつも「ああいや、、へへ」みたいな気持ち悪いリアクションを挟んでしまう。しかしさすがの料亭の娘、全くのノーリアクションで使用頻度について質問している。なんと三日に一回程度でいいらしい。

「めっちゃいいなこれ」と彼女が私に言った。「そやな」と私は返した。この時点で、私はもう彼女の態度に倣うことを決めた。他のお客さんとは距離があるから迷惑にはならないだろう。
どんなおしゃれなお店にいたとしても、私たちは私たちだ。

新作のハンドクリームの話が一息ついたときに、彼女が「実は今日は〇〇を試したくて来たんです」と切り出した。気になっていた香水だ。「いいですね!僕も好きな香りです」と権化が肯定してくれる。白いカードに一吹きして、彼女と私に一枚づつ渡してくれた。
おお、すごい大人な感じの香りだ。ウッディで、ちょっとタバコっぽい感じがするけど、重すぎず、底辺にかすかに甘みが漂う。
彼女が、普段通りのよく通る声で「いいにお!」と言った。「い、まで言いや」と思わず言ってしまった。
やばい、客同士で話が弾んでいる時ほど、店員が気まずい瞬間はないぞ、と権化を見やると、変わらない笑顔で佇んでいる。なるほど、単に清潔感だけでやってきたわけではないようだ。
権化が黙って見ていてくれるので、私もどんどん緊張がほぐれてきた。

「□□も結構好きで、ずっと迷ってるんです」と彼女が言い出した。権化がそれもカードに一拭きして、私たちに渡してくれた。
よって私たちは、左手に□□、右手に〇〇を持ち、互い違いに無言で嗅ぎ比べるマシーンと化した。いい匂いすぎてずっと嗅いでいたい。
「やばいな」
「うんやばいな」
「□□は、いわゆるこのお店!って感じのにおいやな」
「そうですね、一番人気のものですね」
彼女に話しかけたつもりだったんですが、拾っていただいて恐縮です。
「この二つを比べるなら、□□のほうがどんなシーンでもお使いいただける感じですね」
「え、〇〇は普段使いできない感じなんですか」
「普段使いというか、スーツを着るようなお仕事の方にはちょっと重い香りになってしまうかと」
なるほど〜、と私たちは納得した。
確かに仕事中に嗅ぐ香りとしては、少々印象的すぎるかもしれない。
「じゃあ私はやめといたほうがいいかな」
「いや、そんな厳しい会社ちゃうやろ、ええんちゃう」
「この香りは、雰囲気を出したい方が付けられているイメージですね、たとえば古着屋をされている方とか」
古着屋か、確かにぴったりだ。でももっと夜の感じがする気もする、アルコールと、暗闇と熱が入り乱れる感じ、つまり
「地面師とか?」
やばい、てっきりいつもの感じで思ったことを口から出してしまった。
「地面師、確かにイメージとしてぴったりです!」
「わかるわ!」
清潔感の権化も、料亭の娘も、両手をあげて賛成してくれた。
もう私たちを止められるものはなにもない。

「前嗅いだ時とちょっと違う気がする」と彼女が言い出した。
「前お試しいただいた時って、夏ですか?」
「そうですね、7月ぐらい」
「湿度とかで微妙に香りが変わるんです、ちょっと外に出てみますか?外だと香りの感じも変わりますよ」
そんなことして良いんだ、と思いながら、三人で店の外に出る。
権化が、私たちの手首に地面師を付けてくれた。手をぶんぶん振って、香りを空気と馴染ませる。
「確かに、人気な方はちょっと『洗剤の良い匂い感?』が出るな、地面師は外出した地面師になった程度やけど」
「ほんまやな、□□はこういう人時々すれ違うよなって感じ」
「□□は、地面師に比べればポピュラーな香りですからね」
「やっぱり地面師は人選ぶんかな」
「でも、お客さまには本当に合っていると思いますよ、今日のお洋服、赤のワンピースって難しいと思うんですけど、すごく軽く着こなされているじゃないですか、人と違う、という状態がすごくナチュラルというか。僕も赤好きで、休みの日は絶っっ対にどこか一部に赤を取り入れるようにしているんですけど、全体に赤ができる方ってなかなかいないと思います」
なんか今さらっと面白いこと言わなかったか?
「そうですかね、それだったらいいんですけど」
「うん、めっちゃ合ってると思うよ」
「自分の肌の香りとの相性もあるっていうけど、どうなんやろ」
「嗅いだろか」
ふむ、別に変な感じはない。
彼女に私の手も嗅いでもらった。
「え!なんか私のより甘くない?」
「多分、私のもともとの香水と混じったんかも」
「すご!めっちゃ良い感じやん」
「素晴らしいですね!」
「お兄さんも嗅いでみてください!」
さすが料亭の娘、怖いものなしか。
嗅がれている間、手を洗われるより恥ずかしかった。
「確かにすごくマッチされてますね!こういう感じのを使われてるんですか?」
「そうなんです、バニラっぽいのが好きで」
「こういう甘めなのがお好きなら、こちらもお好きかと」
さすが権化、流れるように新しい香りを勧めてきた。
「やばい、私の好みど真ん中です」
本当にびっくりするぐらい理想の香りだった。
「フランキンセンス、という若返りの精油が使われています」
「正直今の香水、好きではあるんですけど甘さに飽きてきてたんで、これはこのお店らしいスッキリ感がきちんとあるので最高です」
「え、買おうよ」
彼女が私を巻き込んでこようとしている。何も買うつもりはなかったのだが、揺れて来た。
「え、買う?そっちは?」
「勢いで買っていい値段じゃないのは分かってるけど、もし買わんと帰ったら、絶対ネットで買ってまうと思う」
権化は何も言わず、腹を探り合う私たちを見つめている。
「買うなら地面師?」
「□□と地面師なら地面師やけど、次はこの甘いやつとで迷ってきた」
いや、あなたにもヒットしてたんかい。
「それでしたら、お二人が会われる時に、香りを交換されてはいかがですか?」
「なるほど、一緒にいると香りが混ざりますもんね!」と彼女が同意する。
「そうです、再会の時にハイタッチなんかしていただければ、お互いの香りを交換して楽しめますし、この二つの相性ももちろん素晴らしいです」
「こんな感じやな!イェーイ!」
反射的にハイタッチに応えてしまったけれど、なんであなたはシームレスに対応できるんだ。ちょっと待ってくれ。お兄さん、なんかおかしくなってるぞ。

結局、その勢いで彼女は地面師を、私は甘いやつを購入した。
店を出てから、権化が提案した「香りの交換ハイタッチ」の話題になった。
「多分お兄さんも、私たちに合わせようとして無理してくれてたんやと思う。それが私たちを越えて、先に行ってしまっただけで」
「なるほどな。でもお兄さんも実は変な人なんかも知らんで。ちょいちょい変なこと言ってたし。赤のくだりとか」
「人間誰しもそういうところがあるんかな」
「とりあえず、店員さんの鏡みたいな人やったな」
「客のテンションに合わせて、ちゃんと商品のことも説明して、結局買わせてるし」
「地面師って呼んでくれてたもんな、製品への冒涜と取られてもおかしくないのに」
「さすがやな」
変にエネルギーを使ったからか、店に入るまでパンパンだった胃は、小一時間でかなり楽になっていた。

結論として「最初から最後まで店員さんがついてくださるタイプの店」でも、いつも通りの自分でいればいい、ということだと思う。
迷惑をかけない程度に飾らず楽しくいられれば、その店員さんと私でしかできない購買体験が生まれるはずだ。
今度は一人で、料亭の娘へのプレゼントを買いに行ってみようかと思っている。


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