勇気って本当に必要?について考える。話
ワーホリに行く。と決めてから、
「勇気ある行動だね!」と声かけてもらえるようになったけど、少し前は、同じような行動しても「なんかひととちがうことして変わってるね!」だった。
時代が変化したのか、関わる人が変化したのか。
私の行動は至って昔から同じだけど、ありがたくハッピーに受け取る。
「勇気」と聞くとものものすごいエネルギーを要して、相当な覚悟がいるというイメージがあるけれど、本当に勇気がないと何にも行動できないのかというと違う気がする。それについて少し考えてみた。話。
実際、前回の話でも書いた通り、30歳過ぎて、ギリギリなワーホリ決断をしたのが1年半前。ただ、私は過去の経験から両親に話す勇気がなく、話したのはそろそろ言わないとと思っての今年の4月である。
(反応は想像してたものと逆で、「え、そうなの、いつから?いいね!」と軽く流されたので、これは笑った。)
この話は勇気がなく、ギリギリまで粘って起こした行動だ。
※
5年ぶりに幼馴染からLINEが来た。
「久しぶり!ちょっと相談があって。。。」
何事かと思ったが、私がいろんなとこに行ってるので、拠点はどうしてるのか聞きたかったらしい。そして話の流れから、友人も、最近ワーホリに挑戦しようかと思って、調べてみたけど、結果、年齢制限でダメだし、今までも願望だけあって行く勇気がなかったとのこと。
この話は、タイミングが合わず、調べた時には時すでに遅し。
けど、あの時勇気だけあれば!と簡単に言える話ではないので
難しいところ。
※
年々思うこと。
行動する前にいろんなことを考える。
考えて考えてたどり着くのは自分の知ってる範囲での結果だ。
それを超えるためには、変える、変わることの勇気は必要になる。
でも、そのことに気づいたときは、
絶望の方が強く、勇気なんて全然怖くない。
20代は自分のことも社会のことも分からず、ただただ直感でやったり、人から言われたことをやってみたり、本当にいろんなことをやってきた。
そんなめちゃくちゃな破天荒な過去でも自分の選択したことに、後悔したことはない。遠回りだなとは思ったりするけど、人生1回目だから。
別の選択肢を考えたりもするけど、結局は自分が選んだこと。それがその時の1番の選択と納得する。
けれど、いつも自分の選択肢に自信があるわけでない。
決めた後も、恐れはやってくる。
色々やるにあたって、直感で決めることもあるし、じっくり悩むこともあるし、変なループにハマって、ブラックホールに落ちることだって多々ある。
そんな時に意識してるのはちょっとした下準備をして少しずつ変化していくことだ。
大きく2つある。
①自分の目の状態を確かめる。
②勇気がない、不安でいっぱい、自信がない時は、
未来をイメージをする=「やってみた自分」と「やらなかった自分」はどっちが後悔しそう?楽しそう?面白くない?と。
これに限る。
①は、「目は口ほどに物を言う」のことわざ通り、本当にそう思っている。目がキラキラしてる人って本当にいるし、ワクワクが止まらない状態の人は大抵、目で全て伝わってくる。なので、自分の目の状態も結構気にしている。疲れている時や、限界な時は、大体目に焦点があっていない。どこか虚ろであるし、活きがない。
反対に、いい景色、いい人、いい空間に出会った時、目の状態がすこぶるいい。自分の目の状態が良くない時は、いい選択を見つけに旅に出たり、興味があることに全力を注ぐ。
②は、本当によくやる。
「臨場感をもて」と先輩に教えてもらってから、わからなくても、日々”臨場感とは?”とイメージしていた。これが今とても活きている!
「想像できることは実現できる」という名言もあるし。これは、悩んだ時に必須!もしイメージできなかったらイメージできるまで調べる。
気になることや、やってみたいことって
未知の世界なので不安もあるけど、それを差し引いて他に何が問題かを考える。そうすると、やらない方がつまんないなとたどり着く。
意外と出不精の私が行動してるのはここにポイントあるのかも。
こんな感じで、
勇気よりも日々の積み重ねを私は意識して過ごしてる。
そうすると、自然と時期は来るもので。
「勇気が出ない」とかは単に個人のマインドの問題なのかもしれない。
あーあの時勇気をだしてやってみたら良かったな〜と
思うくらいなら、今必要なちょっとの勇気なんて全然大したことないよ。
と未来の自分のためにここに記録しておく。
(こんな書いてもたまに迷走するからね。笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?