【名もなき感情1】大学受験が終わっただけなのに、人生やりきったような気分
「体調が悪くて、今日は休みます。」
仮病を使って、学校を休んだ。
あと数ヶ月で卒業を控えていた、高校の3年生の秋。
進学先が決まって、毎日幸せだった。
長い間、胸を苦しめていた大学受験のプレッシャーから解放されたのが、何より嬉しかった。
高校の3年間、毎日朝の6時に起きて夜の1時に眠るまで、ほとんどの時間を机に向かって人生の何の役に立つかわからない問題と闘っていた。
そんな時間が、やっと終わったのだ。
志望校に受かったときの喜びは、最初の数日がピーク。
以降は、謎の闘いから解放された喜びのほうが大きかった。やっと自由の身になった。
でも、この頃はまだ自由の身になっていた友達は多くなかった。
むしろ、戦闘中の友達のほうが多くて、学校にいくと教室中に漂う緊張感に窒息しそうだった。
今思えば感じ悪かったなと反省するが、進学先が決まってから(自分の中で受験が終わってから)一秒でも机に向かって活字を読みたくなかった。
周りが自習している中、居眠りするか、大学に入ったらやりたいことをノートにひたすら書いたりしていた。
実際に、卒業前にクラスメイトから「正直にムカついた」と言われたこともあった。
でも、当時の私は誰になんと言われようが、そんなのどうでもよかった。
まともに机に向かって本を読むこともできないくらい、自分の中では、なんだか色んなものが終わっていた。
ああ、やっぱりせっかく受験のプレッシャーから解放されたのに、教室にいるとまたもや息が詰まってくる。
貴重な時間がもったいない。
だから、決めた。
学校をサボる。
出席日数は足りていたし、担任の先生もこんなに自分勝手な子だっけ?と呆れていたので、堂々と「サボります!」と宣言しても、「はいはい、どうぞご自由に」と言われていたかもしれない。
でも、私は根っこからのチキンだった。
「体調が悪くて、今日は休みます。」
この一言を、100回ほど唱えてから電話をかけるほど。
小中高12年間に渡って、誰よりも「良い子」でいるために頑張った。
多感な時期はあったものの、反抗期もなかった。
親の言うこと、先生の言うことは、絶対。
まるで絵に描いたような「良い子」だった。
最後は、全く「良い子」ではなかったが。
最初から「良い子」じゃなかったかもしれないし。
みんなが学校にいる時間に、街を出歩いてる。
意外とこんな昼間にも、街中には沢山の人がいた。
特に行き場もなかったが、ただただ歩いた。
いずれ歩き疲れてふらっと入ったカフェには、大学生だと思われる若い人たちもいた。
彼らは、机に向かって分厚い本を読んだり、何かを書き込んでいた。
どこかで見たことある光景。
この光景を見たくなくて逃げたのに、また目に入ってしまった。
大「学生」だから、勉強するのは当たり前だし、
何も珍しいことではないが。
ふと、学校で暇つぶしに書いていた「大学に入ったらやりたいことリスト」を思い出した。
サークル、バイト、海外旅行、恋愛…
機会があれば、海外留学もいいかもね。
…
なんか可笑しいなー。
きっと大学生活は楽しいと思っていたが、
なんだか何一つしっくりこなかった。
きっと目の前の山を乗り越えたら、素敵な景色を見れると信じて走ってきたけど、今まで何を追っていたかわからなくなってきた。
まあいいや。
とりあえず、何にも縛られていない「今」この時間が最高。
…
今?
もしかして、私が一番求めていたのは今この時間?
何も追わなくてもいい。
何とも闘わなくてもいい。
昼間に街中を歩いてもいい。
ただ単に今この時間が好き。
心からこう思えたのは、随分久々だった。
いつぶりだろう?
多分それより前は…
(続き)