ささやき
スズキは大学生だ。スズキはいつも朝に風呂を浴びてから電車で大学へ向かう。
風呂上り、いつものようにドライヤーで髪を乾かしているとファンの騒音に混じってささやき声が聞こえた。
「今日はいつもより一つ遅い電車に乗ると良いですよ」
どうやらささやき声はドライヤーから出ているらしい。
「妙なこともあるものだ。しかし付喪神なんてものもあるそうだし、一つ付き合ってみるか」
ドライヤーは一人暮らしを始めた日に購入したモノでスズキにとって愛着のある道具の一つだった。
スズキはいつもよりのんびりと朝食を食べ駅へ向かった。
そして、駅のホームで電車を待っていると後ろから声をかけられた。
「先輩、おはようございます。先輩もこのお近くにお住まいだったんですね」
声の主は今年入学してきた同じ学部で美人と評判の女の子だった。
「やあ、おはよう君が近くに住んでいるなんて知らなかったよ」
かくして、スズキと後輩は一緒に学校へ向かうこととなった。
途中、共通の趣味なども見つかり話は大いに盛り上がった。
大学が終わり家に着くとスズキはドライヤーを持ち上げてまじまじと観察した。
「どうやらこいつのおかげで後輩とうまく話せたみたいだ。どういう理屈かはわからないが大切に扱わなければな」
それから数週間後、スズキは毎日後輩と一緒に大学へ通うようになっていた。
「先輩はもう論文のテーマは決められたんですか?」
後輩がたずね、スズキが答える。
「それがなかなか決まらなくてね、正直言って少しまずいんだよ」
そんなことを話した翌朝、ドライヤーで髪を乾かしているといつかのささやき声が聞こえた。
「今日の昼休みは図書館へ行きなさい」
「またこの声か、前回のようなこともある。今日は図書館へ行くとするか」
昼休み、スズキが何をするわけでもなくフラフラと書架を眺めているとたまたま居合わせた教授が声をかけてきた。
「やあ、スズキくん。昼休みにまで図書館を利用するとは感心感心。実は今ちょっとした研究をしていてね、君のような熱心な学生の助手を探していたんだ。もちろんタダとは言わない。君の論文も手伝わせてもらうよ」
論文に頭を悩ませていたスズキにとってこの提案はまたとないモノだった。
「はい、是非お願いします」
スズキは二つ返事で了承した。
家へ帰りスズキはドライヤーに話しかける。
「お前のおかげで今度は論文がうまく行きそうだ。これからもよろしく頼むぞ」
翌朝、髪を乾かしているとドライヤーが妙なことをささやいた。
「今日は大学へいかずに夕方、河川敷へ行きなさい」
スズキは首を傾げた
「昨日は図書館へ行けと言ったのに今日は行くなとはどういうことだろう。しかし、こいつの言うことだ従って損はあるまい」
その日の夕刻、河川敷へ行くと後輩が一人で泣いていた。
話を聞いてみると父親と喧嘩をして家を飛び出したらしい。しかしそんなことをしたのは後輩にとって初めての経験で彼女自信も困惑しているようだった。
日が落ちるまでスズキは後輩と河川敷で二人で話し、その日はスズキの家に後輩を泊め、明日の朝後輩を家まで送ることとなった。
後輩は少し心配しているようだったが、スズキは稚拙な反抗にみえるが後輩の成長のためには必要なことだと主張した。
翌朝、後輩を家へ送ると後輩の両親はたいそう心配していたようですぐに仲直りできた様子だった。
そして、後輩を連れて帰ったスズキも後輩の父親に大いに気に入られた。
「君はなかなか見所のある人間だ。私はT自動車の社長していてね、よかったら卒業後うちで働かないか?」
T自動車といえば誰もが知る大企業だ。こんなうまい話はないとスズキは承諾した。
その後のスズキの人生はトントン拍子だった。教授と一緒に論文を書いて大学を卒業し、T自動車に入社し、そして後輩とはささやかで幸せな結婚式をあげ、ついに二人の間に生まれた娘が7歳になった。
そんな人生の節目では必ずドライヤーからの「ささやき」があった。
スズキはそれに従っていれば全てうまくいくのであり、スズキもまたドライヤーを大切に扱った。
ある日、仕事から帰ると妻が電気屋の包みを持って話しかけてきた。
「ねぇ、あなたが下宿先から持ってきたドライヤーいくらなんでもそろそろ寿命よ。娘もそろそろおめかししたいお年頃ですもの。明日からはこれを使いましょう」
包みの正体は最新型のドライヤーだった。色あせてファンの回転音のうるさいスズキのドライヤーと比べて、その新型ドライヤーの未来的で滑らかな流線のデザインは幸せな過程の象徴とも言えるスズキの家族によく似合っていた。
スズキは考えた。確かに、俺はもう充分幸せは手に入れただろう。ドライヤーもそろそろ休みませてやらないとな。
「それもそうだな、壊れてしまって娘の髪を乾かす時に火でも吹かれたらことだ。古いドライヤーは俺が後で倉庫にしまっておくよ」
翌朝、娘を小学校へ送る前にスズキは新しいドライヤーで娘の髪を乾かしていた。新型のドライヤーのファンの音は静かでいて軽快で娘も気持ちよさそうに目を細めてファンの音に耳を傾けている。
あぁなんて幸せな日常なのだろう。
スズキは髪を乾かし終わるとドライヤーを止めて娘の髪を軽く撫でた。すると娘がしばらくドライヤーを見つめたあと笑顔で振り向いてこう言った。
「お父さん、今日はいつもより一つ遅いバスで小学校へ行きたいわ」
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