煌めく星々に花束を
音楽というものは、本当にすごい。
その世界は、なんでもありなところ。
自分で好きにやっていい。何をしてもいい。
歌わなくてもいいし、アカペラでもいいし、いきなりとんでもない転調を入れてもいいし、なんか違うと思ったら何度でも書き直していい。
自由すぎてどうしようもなくなるくらい、全てが何にも縛られない世界。
今年も日々を彩ってくれた自由な世界へ、下手くそな文章で気持ちを贈ろうと思う。
たぶんそういうこと
音楽は「音を楽しむ」と書く。
縛られるものがないことは、音楽において最も重要で大きな条件だと思っている。
私の考えとしては、縛られるものがなかったからこそ音楽には所謂「ジャンル」というものが生まれたのではないかと思うし、数多くの楽器や声、楽器でないものまで使って音楽を作ることができるのも全てそれに関係していると思う。
だから、音は楽しい。
私は音楽が好き。
いつも私の傍には音がある。
音楽を作ったことはないけれど数え切れない程の曲や音符と関わってきたし、音を奏でることだってたくさんやった。
そうやって、音に秘められた楽しみを知ってきた。
音の楽しさは音を好きな人しか分からないかもしれないけれど、楽しさを分かるようになれるチャンスはそこらじゅうに散らばっている。
だから、もっと多くの人に知って欲しい。
この人のこの曲がいいから好きになってくれとか、そういうことは言わない。
ただ自分の愛せる音の流れを見つけて、その音楽を自分の中に取り込むことに喜びを感じられたら、それが1番幸せだと思う。
私にとっての音楽って、たぶんそういうこと。
歌うたいの本当
涙が出るほどいい歌がある。
そんな歌を歌う人の頭の中には何が描いてあるのだろうといつも心から思うし、それを誰かに届けている人のことを、尊敬している。
人の心を動かす歌をうたうことは、簡単ではない。
自分の想いを音楽に練り込んで、届けようと思って歌わないとうまくいかない。
でもアーティストの方々は、それを乗り越えてひとつずつ曲をリリースしていく。
そしてそれを誰かが歌い、またどこかへ繋げていく音の連鎖。
ところで、世間では何故か自分らしく歌うことがよく評価される。
でも私は、存在する歌を本人に近づけて歌うことも、独自の方法で歌うことも、それぞれの良さがあると思っている。
元の状態に近づけて歌う歌は、曲に隠れている感情や情景を原曲に繋げるように表現することができる。
自分らしく歌う歌は、自分なりのその曲に対する解釈を原曲と違った形で自由に表現することができる。
それぞれに面白いし、それぞれに魅力が溢れているし、それぞれに役目がある。
歌を誰かに届ける人々はきっとどんな歌い方のことでも認めることができて、愛することができて、ひとつひとつの良さをもっとたくさん知っているんだろうなぁ。
私もいつかそれを知りたい。
知って、もっと深みを感じて歌をうたってみたい。
音楽を誰かに届けるという立場に立つことはきっと私には少し難しいから、せめて音楽に乗せられた意味をたったひとつさえ落とさないように、ここで自分の色を足しながら奏でてみたい。
歌をうたう人は輝いているし、聴く人へ、またそれを歌う人へ、別の方向から輝きを与えている。
歌があれば、歌をうたえば、人にきらめく瞬間はある。
歌というものは、本当はそういうものなのだ。
紡ぐ言の葉
前にも言ったことがあるけれど、言葉遊びの歌詞があると曲の楽しさが増す。
韻を踏んでいたり、前後の歌詞と繋がって聞こえるような響きの言葉を使ったり。
そういうものがあればそこからどこまでだって考えは広がって、聴こえ方ひとつでガラッと見方が変わったりして。
そういう言葉たちは「ここはこういう意味かな」「ここに繋がるのかな」なんてたくさんの人に考えられるから、果てしなく遠くて大きな想像の海を漂う。
歌詞を大切に、よく見ると、いろんな秘密がびっくりするくらいたくさんある。
紡がれている言葉ひとつひとつがきっと「そこにある意味」を持っているだろうし、「選ばれた意味」を持っているだろうと思う。
それぞれ違う音楽と共に流れる言葉は、たとえ同じ言葉でも表すものは全く別だろう。
そうであるから、音と言葉は出会った瞬間に溢れんばかりの花が咲き、
花が咲けば、虹のような感情が生まれる。
ひとつ結び
終わりも近いから、私が今年いちばん度肝を抜かれた曲をひとつ、紹介しようと思う。
マカロニえんぴつの「トマソン」という曲。
この曲を初めて聴いた時の気持ちを一言で表すと、「全然意味分からない」としか言いようがない。
本当に、凄まじい衝撃。
普通に道を歩いていたのに知らない人からいきなり平手打ち喰らったぐらいの衝撃。
こんなのありなんだ、こんなことあるんだ、と思うくらいにはすごい曲。
音楽に対するうっすらとしたイメージを全力で叩かれ取っ払われた気分になる。
人生で1度も聴いたことがないタイプの転調があったり、「そんなことあるわけないだろ」と言いたくなるような歌詞があったり、曲が終わったと思ったらとんでもないひっかけがあったり。
言葉でこの気持ちを表すのは難しいけれど、実際に聴いてみると私が言いたいことは十分に伝わると思う。
彼らの音楽は、型破りなものが多い。
ただでさえ型なんて存在しない音楽の世界。
なのにそれさえ破っていると思ってしまう程、間違いなく何かが他とは違う異色の存在。
「音楽に弄ばれる」という感覚と共に、何故かすとん、と腑に落ちるような気持ち。
どの瞬間を耳にしても思わず声が出るくらいにはびっくりするでしょう?
そう、この場所は、こんな風に新しい音に出会える世界。
ふたつ結び
最後に、今年も私の毎日に色々な花を添えてくれた自由な世界たちへ。
今年も最高にいい音にたくさん出会ったし、もう一度巻き戻していくらいには面白かったし、ほんっとうに楽しかった。
どうしようもないことだってたくさんあったけど、音楽があればそれでいい。何だっていい、どうなったって音があれば私はぜーんぶ大丈夫だった。
音楽は生きていて、その命で人を生かす。
音楽は偉大だ。
音楽は一番星だ。
何よりきらきらした幻想世界のようで、私たちの目の前に確かに実在する幸せ。
私は君たちに、君たちの命を咲かせてくれた人たちに、今まで添えてもらった花々の何倍も大きい世界一の花束を贈ります。
カラフルなリボンを結んで、何より華やかに。
いつまでも居なくならないで欲しいから、明日からも変わりある日々を変わりなく彩ってね。
雨が髪を濡らす日、
暑い日差しが肌を通り抜ける日、
暖かさを遮る雲が空から見つめてくる日、
ゆらゆらと落ちてくる雪を纏いながら歩く日、
どんな日だって世界中の人々が音に想いを寄せて、瞳を輝かせながら幸せに浸ることができますように。
全ての一番星へ、愛をこめて。
煌
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