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HBO製作ドラマ"チェルノブイリ"で描かれる青い光は事実なのか

HBO製作のミニドラマ、"チェルノブイリ"がIMDbでテレビ番組史上最高評価の9.6点を記録し、ランキングの第1位になった。このドラマの完成度はまさに究極、全5話のうちどれもが圧倒的である。近いうちに日本でも公開されるはずなので言えることはただひとつ、必ず鑑賞されたし。

この宣言によって全国民の鑑賞が確約されたので、チェルノブイリが持つ圧倒的な魅力についてこれ以上説明する必要はなくなった。ではこれ以降、私はこのドラマの"欠点"について指摘する。それは、チェルノブイリ第一話に描かれている「青い光」についてのことだ。先に注意事項を書いておくが、私は物理学の専門家ではないので、以下の考察については素人のものとして捉えて欲しい(注釈1)。また、和訳を始めとして、ここが間違っているぞ!という意見も受け付ける。

さて、肝心の第一話は、4号炉で起きた原子力事故発生から数時間を描いている。そして私が問題にする青い光は、爆発した4号炉の炉心から空に向かって一直線に放射されているものだ。この放射は、かなり離れた位置からでも観測されており、しかも一瞬ではなく、少なくとも数分間は続いているようにみえる。

他の描写はともかく、このシーンだけは光景があまりにも非現実的すぎるため、直感的に疑いを持ってしまった。ただこのドラマが持つ性質から考えると、なるべく史実に基づいて描いているとも推測できる。であれば、これは実際に起こったことなのだろうか。劇中で言われた言葉が脳裏をちらつく。もしかしてチェルノブイリを常識で考えることはできないのか。


"A just world is a sane world. There was nothing sane about Chernobyl."


まず、私が青い光をみて想起したのはチェレンコフ放射だ。これは、核分裂などによって放出された荷電粒子(電子など)の速度が光の速度を超えたときに光が放射されるという現象である。この現象については、東海村JCO臨界事故などで「青い光が出た」という証言と紐づけて記憶している人も多いだろう (注釈2)。

出来るだけ簡単に説明してみる。まず光は物質を通過するときに減速してしまうということをわかって欲しい。例えば水中で歩くのが遅くなるように、光の速度も約3/4くらいまで遅くなる。つまり、光が減速する水の中で、すごい速さで走っている奴がいれば、こいつらは光速を上回ってしまうかもってことだ。そして、こいつらが実際に上回ってしまったときに発生する光がチェレンコフ放射である。そしてこの光は、空気中を音速以上で移動したときに生じる衝撃波のようなもの、としてしばしば説明される。

つまり核分裂が起こると、凄い速度で電子が飛び出す。これによってチェレンコフ放射が起こってしまう、という訳だ。

さて、私自身、青い光がチェレンコフ放射であることを前提にした上で疑問に思ったことがふたつ。ひとつは、天を貫くビームのような形でチェレンコフ光が放射されるのか、ということ。水などの溶液中ならともかく、空気中の光の速度は真空中の光の速度とほとんど変わらない。そんな状況で、核分裂によって発生した電子が天を貫くビームのようなチェレンコフ放射を発生させられるか。そしてふたつめは、ドラマにあるほどの長期間放射されていたのか、ということだ。


まず、青い光についての記事をいくつか調べてみた。チェルノブイリは日本公開前なので日本語の記事はまだほとんどない。ただ英語で調べてみるといくつか発見できた。

Interesting Engineeringのライターが書いた記事によると、ドラマ"チェルノブイリ"の不気味な青い光は、やはり"チェレンコフ放射"だと言い切っている。なるほど、うーむ。そういえば劇中でも原発副技師長が"チェレンコフ放射だ"みたいなことを言っていた気がする.......やはり"チェレンコフ放射"で間違いないのだろうか。


続いては、ニューヨーク・タイムズのドラマ"チェルノブイリ"についての記事をみてみよう。これによれば、原子炉から"チェレンコフ放射"によって青い光が出ることがある、が、それがマンハッタンでの追悼の光のようになることはない、と断言している。


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マンハッタン, 追悼の光, https://en.wikipedia.org/wiki/Tribute_in_Light


どちらが正しいのだろうか。ますます分からなくなってしまった。他の記事もいくつか読んでみたが、あまり信頼できる情報が得られない。

そこで私はWikipediaを当たってみることにした。ただ我々がWikipediaを参考にするときは必ず、以下の言い伝えを復唱しなければならない。

ー Wikipediaを信じるな!

研究者にとって、Wikipediaを引用することは推奨されるものではない。ただし、個人的には、調べ物の過程で経由するのは問題ない、というスタンスを取っている。つまり、良い記事には良い引用がある。Wikipediaを直接引用するのはダメでも、Wikipediaの引用文献をしっかり読んだ上で、その引用文献自体を引用すれば問題ない。ちなみに科学系は英語版の方が内容が充実しているので、英語で調べるのが良い。

上記のリンクにはこういう記述がある。

After the larger explosion, a number of employees at the power station went outside to get a clearer view of the extent of the damage. One such survivor, Alexander Yuvchenko, recounts that once he stepped outside and looked up towards the reactor hall, he saw a "very beautiful" laser-like beam of blue light caused by the ionized-air glow that appeared to "flood up into infinity.[52][53][54]

これをすごく適当に訳してみる。

大きい爆発の後、被害の広がりをより明確に把握するために発電所に勤める多くの従業員が外に出ました。生存者のひとりであるAlexander Yuvchenkoはこう語ります、「外に出て原子炉を見上げると、イオン化された空気が発光することによって生じたとても美しいレーザーのような青い光が、無限に湧き上がるようにみえました」。[52][53][54]

要するに、Wikipediaによると青い光の目撃者が実際にいた、ということらしい。さらにこの青い光はチェレンコフ放射によるものではなく、イオン化された空気が発光することによって生じているのだ、と。だがWikipediaを信じるわけにはいかない。

......と言うことで引用文献を見てみよう。文末に記されている[52][53][54]が引用文献になる。これらを以下に示す。

[52]  Bond, Michael (21 August 2004). "Cheating Chernobyl: Interview with Alexander Yuvchenko". New Scientist. Archived from the original on 15 May 2019. Retrieved 8 November 2018 – via ecolo.org.

[53]  "Chernobyl 20 years on". Archived from the original on 24 September 2016. Retrieved 11 September 2016.

[54]  Meyer, C.M. (March 2007). "Chernobyl: what happened and why?" (PDF). Energize. pp. 40–43. Archived from the original (PDF) on 11 December 2013.

このうち、[52]には比較的有名なNew Scientistというイギリスの科学雑誌が引用されている。ただし、New Scientistという雑誌の科学的な信頼度はなんぼのものなんだろう。全米科学健康評議会 (American Council on Science and Health, ACSH) が作成した科学報道のクオリティをみてみる。


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縦軸は「読むべき記事があるか」、横軸は「証拠に基づいているか」と記されているようだ。つまり、左上ほど良い雑誌ということになる。これによると、New Scientistはそれなりに信頼できそう。ちなみに先ほどのNew York Timesは、科学的にあまり信頼できない記事が多い、ということになる。

New Scientistがそこそこ信頼できると分かったので、実際に引用文献[52]を見ていこう。[52]はNew Scientistによる青い光の目撃者 "Alexander Yuvchenko"へのインタビューだ。

(原文) "From where I stood I could see a huge beam of projected light flooding up into infinity from the reactor. It was like a laser light, caused by the ionisation of the air. It was light-bluish, and it was very beautiful. "

(訳) "私が立っていた場所から、原子炉から無限に湧き上がる巨大なビームを見ることができました。 それはレーザー光のようで、空気のイオン化によって引き起こされるものでした。 薄い青みがかっており、とてもきれいでした。"

Wikipediaに記載されていた通り、Alexander Yuvchenkoは実際に"追悼の光"をみたと語っている。また、[54]についてもAlexander Yuvchenkoによる同じ表現が引用されており、引用元は[52]と同じものになっている。つまり[52]と[54]は結果的に同じ引用元ということになるので、この引用はあまり褒められたものではない。そして[53]に関してもAlexander Yuvchenkoによる証言である。

つまり、現在のところ、青い光が発生したか否かについてはAlexander Yuvchenkoの証言のみによって成り立っている。科学的正しさにこだわっていたものの、結果的に証言のみという結果になった。ただ、結局青い光が出たかどうかについては証言によってしか示せないだろう、そうなると他の人の証言も欲しいところ。色々と調べているうちに、ウクライナ科学アカデミー元校長であるVladimir Chernousenko氏の証言を見つけた。ちなみにこれは、V. M. CHERNOUSENKOU, Chernobyl - Insight from the Inside, Springer-Verlag, Berlin & Heidelberg (1991)という書籍から引用している。

(原文) "Vladimir Chernousenko, ..., has reiterated the story of a witness that was out fishing on the cooling pond some 500 m away from Block 4 when the accident happened. He heard a large clap followed by an explosion. Then, in a couple of seconds he saw a bright blue flash that was followed by an enormous explosion."

(訳) "Vladimir Chernousenko氏は、事故が起こったときブロック4から500mほど離れた冷却池で釣りをしていた目撃者の話を語りました。 目撃者は、爆発による大きな破裂音を聞きました。 その数秒後に彼は明るい青い閃光を目にし、続いて巨大な爆発が起こりました。"

なるほど、どうやら釣り人も青い光を観ていたようだ。しかし、"青い閃光"というのが気になる。閃光ということは"追悼の光"のような天を貫くビームではないし、長時間持続するものでもなさそうだ。

うーむ、はてさて、彼らは青い光を確かにみたということは分かった。ではこの青い光は一体なんだ。ここで、もう一度信じるべきではないWikipediaに立ち返ってみた。日本語版Wikipedia - "臨界事故"の項によれば、"青い光"の説明についてはこのようにある。

ほとんどの臨界事故ではいわゆる「青い閃光」が観察されている。これは臨界状態に達した核物質の周囲の空気が強いX線またはガンマ線(または水中などの特殊な物質の中ではベータ粒子など)のパルスによって電離されるために生じるものである。この「青い光」についてはしばしば"チェレンコフ放射"であると誤って認識されることがあるが、実際には、空気(ほとんどは酸素と窒素)に含まれる電離した原子(または励起された分子)が基底状態に戻る際に放出する青いスペクトルの光によるものである。

つまり、チェルノブイリで描かれた閃光はAlexander Yuvchenkoの証言の通り、核分裂によって活性化した周りの酸素や窒素の原子が元の状態に戻るときに出る青い閃光(または発光)だったということになる。なるほど。

さらにWikipediaには、私の疑問ひとつめを解決する答えも記載されていた。この引用については、難しいので読み飛ばしてもらって構わない。

これらの粒子のうち、空気中を数cm以上にわたって進むことができるのはベータ粒子だけである。空気は非常に密度が小さい物質であるため、その屈折率(およそ n=1.0002926)は真空の屈折率 (n=1) に比べてごくわずかしか大きくない。従って空気中の光速度は真空中の光速度 c に比べて約0.03%小さいだけに過ぎない。ゆえに、核分裂生成物の崩壊によって放出されるベータ粒子がチェレンコフ放射を生じるためには、ベータ粒子は真空中の光速度の 99.97% 以上の速度を持たなければならない。放射性崩壊によって放出される、ベータ粒子のエネルギーは約 20MeV を超えることはなく(14B の崩壊で生じるベータ粒子が 20.6MeV で最もエネルギーが高く、次いで 32Na の 17.9MeV が続く[7])、またベータ粒子が c の 99.97% まで達するのに必要なエネルギーは 20.3 MeV なので、核分裂の臨界によって、空気中でチェレンコフ放射が起きる可能性は実質的にはない。

要するに、空気中を通過するときの光の速度がそもそも速すぎるので、荷電粒子は必死に頑張らないと光速を超えることができない。また、臨界事故による核分裂くらいでは電子がこの速さを叩き出すことはまず不可能、そして、先ほども言ったように荷電粒子が光速を超えないとチェレンコフ光は出ない。ということで、"青い光"はチェレンコフ放射ではなく、イオン化した空気によるものだったという理論だ。ちなみに眼球に満たされた液体で直接チェレンコフ放射が起こった可能性もあるが、だとすればレーザーのようにみえるとは考えにくい。なるほど、これで全てが丸く収まった......危ない、Wikipediaを信じてはいけない。特にこの項目については、この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分ですという記載まである。なおさら信じるわけにはいかない。もう一度こっそり復唱しておこう。

ただ、これらを調べている過程でひとつの論文をみつけた。スウェーデンの研究者らが2017年に報告したチェルノブイリ事故についての再検証論文だ [1] (注釈3)。

これによると、"青い光"の目撃者は最低でも二人いると記されている。そしてこの二人と言えば、先ほども記したAlexander YuvchenkoとVladimir Chernousenkoだ。Alexander Yuvchenkoは青い発光を目撃し、Vladimir Chernousenkoは青い閃光を目撃している。この論文の著者らは、多様なデータを検証したうえで新しい仮説を提唱している。

まずAlexander Yuvchenkoがみた青い発光は、前述の通り爆発によって燃料が露出したところに空気が触れることで、イオン化されて典型的な青色発光をしたことによるもの(注釈4)、としている。次にVladimir Chernousenkoが見た青い閃光については、全く別のメカニズムで起こったのではないかと彼らは言う。つまり、核爆発によって上空まで一気に吹き上げられた超高温の破片が冷えるときに黒体放射によって青色に光ったということである。

......ということでそろそろ結論。目撃者を信じるならば、HBO製作の"チェルノブイリ"第一話における青い光は事実のようだ、そしてこれらは電離放射線によって空気がイオン化することで生じるものらしい。ただ時間の長さについては目撃者が一人しかいないうえ、彼も一瞬しか観測していないため事実は分からない。

ただしドラマ"チェルノブイリ"での青い光まさしく不気味で、どこか神々しく、正気ではない世界の象徴としての光だった。その意味で、正誤はともかくまさしく完璧な演出だったと言えるだろう。

それに、2017年の報告についても正しいとは誰も断言できない。まあ、今後も科学者たちや歴史家たちによって更なる検証と、理解が進んでいくことだろう。科学とはそもそも不安定の足場のなかで高め合っていくものなのだ。以上。




注釈1: 物理学の専門家ではないが、生物学の専門家ではある。生物学といえばチェルノブイリでも被爆者の症状について詳細に描写されていたが、これについての説明は新潮社から出版されている「朽ちていった命 - 被曝治療83日間の記録」が詳しい。

注釈2:東海村JCO臨界事故での青い光が本当にチェレンコフ放射なのかということについては不明。

注釈3:ちなみにこの雑誌のImpact factorは0.953......個人的にIFが1を切ったらかなり怪しいのだが、まあ良いでしょう!

注釈4:これについてはさらに複数文献を調べて引用すべきなのだが、直接チェルノブイリの青色光とイオン化空気の関係を論じた別の文献をまだ発見できていない。私の力不足である。

[1]. Lars-Erik De Geer, Christer Persson & Henning Rodhe. A Nuclear Jet at Chernobyl Around 21:23:45 UTC on April 25, 1986. Nuclear Technology, 201(1), 11-22.

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