映画「花様年華」のホンコン、そして香港
香港の映画監督ウォン・カーウァイを知ってますか? 彼の映画の中から、「花様年華」(IN THE MOOD FOR LOVE)を今日は紹介。
この監督の他の有名な映画「恋する惑星」では、香港警察の人との恋愛の話もあり……。今は昔過ぎるその映画もいいのだけれど、なんといっても好きな独特のイメージのホンコンはこちらの映画「In The Mood For Love」だ。
実は、香港の動向についてのニュースがいつの間にか毎日目や耳に入ってくるようになり、頭の中が香港、ホンコンになってしまっている。
それで香港が舞台の映画や、そして私のホンコンの旅行も振り返ってみることにしたので、みなさん、よかったらお付き合いください。
この映画の特徴的な妖しい美しさはどこから来るのか。
まず誰でも口にするだろうけど、この映画の特徴とも言えるのは、オーストラリア人の撮影監督、クリストファー・ドイル(細かくいうと他に二人いる)によるこの退廃的で少し官能的、スタイリッシュな映像美。もはやこれに匹敵する映画は、ジャンジャック・アノーの「ラ・マン」、ジャン・ジャックべネックスの「べティ・ブルー」「ディーヴァ」だったり。
またはベルナルド・ベルトルッチ、ミケランジェロ・アントニオーニ の世界でしょうか?
そしてこの映画の要とも言えるのが、梅林茂のサントラ、In the mood for love。(棒線をクリックするとリンクへ飛びます)今日たまたまエンニコ・モリコーネさんが亡くなったけど、映画というものは、ストーリーや俳優たちの演技だけでなく、映像美と、音楽が加わるだけで、とんでもなくすごいものに変化する。それを、ウォン・カーウァイは熟知している。
また、香港の60年代の空気感が伝わってくるのには、やはりトニー・レオンと、チャイナドレスを着たマギーチャンの抑圧した演技。そして、その頃を彩る小道具の豊かさ。日本製の電気釜であったり、映画セットが非常に凝っている。
実際は、タイや、上海で撮影したカットも使っているらしいけど、クロステクニックを使ったり、コンピューター処理していたりと、その映像美に対して、信じられないくらいこだわる監督の態度が、こうまですごい映像にするのだとしみじみ。
私などはその辺りでかなりこの監督を尊敬してしまう。たくさんの賞も取り、英BBCが選んだ「21世紀最高100本」では、2位に選ばれてるのも当たり前の、当たり前でしょう。
オシャレすぎる映像美。でもよく考えたらダブル不倫の恋愛映画。
そして、物語なんだけど、ウォン・カーウァイの好きな1960年代という最も危なげに怪しい時代を背景に語られる、大人の不倫の話である、言ってしまえば、とってもシンプル。
始まりは、あるアパートへジャーナリストのチャウ(トニー・レオン)が妻と共に引っ越してくる。同じ日、隣の部屋にはチャン夫妻が引っ越して来ていた。チャウの妻とチャン夫人(マギー・チャン)の夫は仕事のせいであまり家におらず、二人はそれぞれの部屋に一人でいることが多い。初めの方にある、このアパートでヌードルを食べるシーンとか、侘しく淋しい感じがよく出ている。
その後、実はお互いの妻と夫が浮気していることを知り始め、そのうちに二人は次第に禁断の関係になっていく。既婚男女に訪れる別れ、お互いを思いながらもすれ違いを繰り返す、その時の流れが語られる。
なんともいえないメランコリックでロマンティックな恋愛模様が、怪しげな情感たっぷりのホンコンのイメージ、ムードが、観てるものを違う世界にどっぷりと誘ってくれるます。
返還前の香港へ行かないといけないと焦って始まった旅。
ここからは私の香港への旅について。
1995年ごろの冬、なんだか私は焦っていた。
1997年に香港はイギリスから中国に返還されるということに。 イギリスに返還されても香港の自治は50年間という長い間保たれると知らなかったので、留学の最中日本へ一時帰国するのなら香港経由でと、イタリアから香港経由で日本へ向かう飛行機のチケットを取った。
なんとかその頃の香港を実際見て、フィルムに記録しようと思ったのだ。
もうすでに、ホンコンからの脱出組は世界に散らばっていて、私がその頃住んでいたミラノでも、そういう香港人に会って話したりしていたので、よりわたしの香港への憧れは強くなっていた。
着いてすぐに大きなホテルへチェックイン。この頃は世界中どこへ泊まろうが前払いをするという制度がなかったので、このホテルで人生初めての前払いをしたという事で印象に残った。
チェックイン後、ホテルの部屋へ。荷解きもしないままわたしはそこで、次の日の夕方まで寝てしまった。一度起きたら、高熱が出ていた。お水だけ飲みたかった。流石に心細くなり、ロンドンにいるその頃の親友に電話をかけて声を聞いた。何を彼女が言ってくれたのかは全く覚えていない。
そのあとまたがくんと寝た。ほとんど一日をホテルで寝ていた。夕方起きてから、街へ出ることにした。熱はそのままあったので、薬局へ行こうと思った。わたしは今もそうなのだけど、高熱には実は割と強いのである。39度を過ぎると、ほとんどハイの状態である。
香港へ行く飛行機の中で、寒気がしていたから、飛行機の中で風邪をひいたに違いなかった。今考えたら、インフルだろう。薬局で、ビタミンCを手に入れた。それを手に入れた。その後、ジェケットを買うためフラフラと歩いた。考えていたより香港は暖かくなく、おまけに高熱でプルプル震えていたので、かなり寒い気がした。ようやくお店などで働くイギリス人らしい人とか、どこでも香港人が英語を話しているのが耳に入ってきて少し安心した。人々の顔もきちんと見れるようになってきた。
それにしてもなんていう喧騒なのかと驚いた。日本人とそう変わらない顔をしてる人たちがメトロの中で、私からしたら熱狂的なサッカーファンのような大騒ぎを普段から繰り広げているように見えた。
どこへ言ってもうるさかった。熱はあるのに、どんどん歩いた。そして市場(マーケット)に出た。おそらく、女人街あたりだろうか?
わたしは偽物のブランドロゴなどを売ってるお店や食べ物を売ってるお店でを通り過ぎ、ふと空腹なのに気づき食堂へ入って、適当にヌードルを食べた。美味しくとも何ともなかった。
よく考えたら熱で、わたしは舌が麻痺していたのであった。その日はホテルへ帰り、下痢をして、まだ高熱のまま寝た。
次の日は、バスで回った。熱は続いていた。誰とも話さず、ただただ歩いた。写真だけを撮っていた。眼に映るもの全てが、キラキラとしていて、激しくコントラストを感じた。バスに乗り、九龍の方へ行った。全てが夢のように遠くそして儚かった。どこへ行ってもどこへもたどり着かないような雰囲気があった。
相変わらず人々の喧騒は、耳に入ってくるのだけど、高熱のせいで、わたしはかなり消耗していたらしく、ホテルへ戻ったらそこで外へ出られなくなった。ホテルの一番上にあるたかそうな中華レストランで、恐ろしい量をオーダーして、よく食べ、そしてまた寝た。
そうやって、わたしの短い香港の高熱旅行は終わった。そう……言ってしまえば、高熱のまま歩いて写真を撮って、終わりの旅になってしまった。
次の日はホテルから飛行場行きのバスへ乗り、半分死にそうな顔で香港の朝を見ながら、飛行場へ向かった。預けてあった大きなスーツケースをピックアップして、どうにか日本行きの飛行機へ乗り込むと、隣に座ったのはどこかのツアーの添乗員さんであった。高熱だったので、心強かった。 (後で考えたら、このインフルと思ったのはサース(!)だったのではと思う。ここから一ヶ月どころか2ヶ月、日本へ帰ってからも、その後のイタリアでもわたしは苦しんだ)
この上下の二枚の写真は、私の思い出のホンコンから。
「一国二制度」は形骸化、終了か? 香港の未来は?
毎日毎日締め付けられていく、香港の日常。それを外から、ただ見てるだけであるが、香港とは違い急激ではないけれど、このコロナ禍の最中の私たちも(世界中)安全を餌に基本、共産主義、あるいは全体主義に呑み込まれていくことを予測してしまうのは私だけなのだろうか?
なんだから全て繋がっているように思ってしまうのだけど、、、、
こちらに住んでる香港人の知り合いは、日本レストランをやっていたり、ヘアカットをやっていたり、わたしの太極拳の先生も、香港人だ。
太極拳の先生は、1990年頃に、ホンコンを脱出している。香港第一脱出の人々のうちの一人だ。今の香港にはたくさんの家族がいるというが、彼は一言、デモをする若い人たちを「馬鹿すぎる」と言い放つ。
確かに馬鹿なのかもしれないけど、香港は金持ちと貧乏人との格差が本当に激しく、早くに外国へ脱出できなかった両親に生まれた子供たちが、今のこういう暴動に巻き込まれているとも聞く。
50年の間は、一国二制度としてとりあえずある程度の自治を保てるはずであった香港を信じていた人からすると、まさか、こんなに早く中国が色々な締め付けをしてくると思いもよらなかったのだろう。
最近では、イギリスやオーストラリア、台湾が、名乗りを上げて、脱出してきた香港の人たちのビザの緩和、パスポート取得へのヘルプを強くサポートしている。
逃げるが勝ちの時もあるんで、わたしは、今持ってるものを全部うっぱらってでもお金にして、あるいは親戚に借りて、ぜひ香港を出て欲しいと思う。これからの香港に未来を感じられない人は。
これから、多くの海外企業の資金はシンガポールへ流れ、フリーポートはおそらく、中国の海南島へいくのだろうけど、、、。
香港の映画界は?
ジャッキーチェーンは、すでに親中派として全くぶれず、中国の強引なこのやり方に賛成を示している。
それでは、ウォン・カーウァイ監督はどうなんだろう? 調べたら、もともと、中国生まれである。現在は、コロナウイルスの影響で中断していた新作「Blossoms」の製作を7月から開始。中国のスタジオで撮影を始めるらしい。
また、彼はこういう最近の香港の事態を見据えたように、映画「2046」というホンコンが中国に返還された50年後のあたりの世界、近未来を描いているので、ぜひこちらも見て欲しい。彼の葛藤が描かれてる気がする。
こちらの映画は主人公は相変わらず、チャウなのだけど4人の女性が入り込み、木村拓哉も出演してる。相変わらずの映像美と、音楽の美しさは変わらない。
テーマは、「失われた愛を取り戻したい男の話」、あるいは「なぜ過去には戻れないのか?」
香港の昔に、固執する人もいれば、捨て去る人もいる。後者に未来を見る人もいれば、失望する人もいる。これを恋愛にたとえた作品だと「2046」を位置づけることもできそう。
「2046」は彼の香港ラブな気がしてしまうのは、わたしだけではないと思う。
香港、ホンコン、あの60年代のホンコンも、90年代のホンコンも当たり前だけど過去である。決して戻らない。
これから2020年以降の香港が、希望がまだ持てるところであってほしいと、この監督同様、わたしは願う。
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