「父親が日本兵に……」、で始まるインドネシア人が、とうとう私の目の前に登場
お花見会の季節である。何気に浮かれたりする気分で、週末までも忙しい日々を送ってる中、いつもの美術館ボランティアで、その人に会った。
私にはイタリア在住の頃から、中国系インドネシアの友人がいたり、オランダへ来てからも、オランダの植民地だった国なのでインドネシア人の知り合いは多い。
でもよく考えたら、ストレートなインドネシア人にはあんまり会ってこなかったのかも。私が知り会ってきた人は全て、華僑の人たちであったと気づいた。
オランダと、インドネシア、日本の関係は?
オランダに住んでいる、インドネシア人は、日本がインドネシアを植民地にしたときに、オランダ人側につき、オランダ人同様日本兵による支配下で酷い目に遭った人が多い。
戦争が終わり、オランダ人と共にその方々もオランダへ移ってきている。オランダ人も含め、第二次世界大戦の爪痕はひどく彼らの中に残っていて、日本人を未だに恨む人も実は多いのである。(決して親日国ではオランダはない)この人の場合も、家族から戦争のトラウマは受け継がれたものである。
友人への手紙
Yさん、とうとう私、インドネシア人の方でいきなり私が日本人だと知った途端、日本兵がどのくらい恐ろしいものだったのかという話をするインドネシア人に会いました。
これが、あなたが若い頃オランダでインドネシア人に会って大層驚き、インドネシア人と、オランダ人、日本人で対話する会を立ち上げたきっかけになったのですね。
(日蘭イ対話の会)
とてもそれが、理解できました。
私ときたら、いい加減いい年なのに内心焦り、どうしようかと考えました。
日本兵が、目に何かを突き刺してと言い出した時は、「だめだ!」これはっ、と。
面倒なので、日本軍がすいませんと謝るべきなのか、と一瞬悩んだけれど、
あれらは、、、戦争。私の生まれる前のこと。そんなに簡単に済ませるところではないし……。
今できることはと何かしらと考えたところ、
彼は足を引きずってるようだったので、
「リフトはこちらですよ、上の階も見てください」と肘に手を当てて、リフトへ誘導をしたところ、
「日本語でDank je wel」とはなんて言うのですか?」と聞いてくれたのです。
「ありがとう」ですよ。
というと、彼は頑張って、ありがとう、と発音を何度もしてくれたのですが……、
横にいる付き添いの(?)オランダ人の方がうまく発音はしていたから、これは、わざと下手にありがとう、と言ってるんだなぁとわかったのです。
それでも、何か手伝えることができてよかったとは思う。
戦争は、人々の体だけでなく心を長い間傷つける。
家族にそれが受け継がれていく。
私は、本当だったらどうこの人に対して何を、言うべきだったのでしょう?
そしてふと、ドイツではこういう時のためにどのように子供たちを教育しているんでしょう、と思いました。
『戦場のメリークリスマス』
坂本龍一さんが、亡くなられて、あまりにショックで少し落ち着いたら何か書こうかなと思います。『自由を』体現しているかのように見えた坂本龍一さん。
「戦場のメリークリスマス」あの有名な、デビットボーイとのシーン。
『あなたは間違っている」「我々全てが間違っている」というシーン。
上の書いてあることにも通じますが、
今こそ、私たちは考えないといけないですね、戦争について。