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「速読」からの「速書き」のワケ


茂木健一郎さん。

https://note.mu/kenmogi/n/nb1f8097cbdbe

文章のテンポ設定が遅すぎると、あるいは、自分にはそれほど速いテンポでは文章が紡げないと思い込んでいると、結果として無意識の流れが滞るようになり、クオリティも下がってしまう。

 だから、時には、自分としては無理なんじゃないかくらいの速いテンポ設定で文章を書いてみる練習をするのが良い。

 だーっと脱抑制して、無意識から文章を源泉かけ流しにしてみるのだ。


ぐほぉ~~
感覚的にはわかっていたことをことばに表されて改めて気づきとして理解の段に腰をおろさせてくれたような文。

そうだよ。そういうことだよ。

成毛眞氏の「本は10冊同時に読め~本をよまないひとはサルである~」を読んでハッと思ってから、3~4冊の本を同時並行で読むようにしている。

すると、我流の速読が身についた。
どんな?と聞かれると説明しづらい。
走る電車から外の景色を見るような感じ。
気になるなにかは焦点あわせて追いかけ、また目線を正面に戻すあのかんじ。


その後、インプットした頭の整理と理解を深めるために投稿を始めた。
書きながら疑問が湧き出したらググったりするのでさらに知識の余白がひろがったり、他の知識と結びついたりすることに気づき、楽しみながら書いている。
それが楽しめなければ、文字にするのは時間もかかるし大変でしかない。

そしたら今度は、アウトプットが加速し始めた。当初は読みやすさやら文脈を気にしながら書いていた気がするが、
昨今は、文章考えて書く、ではなく、浮かびながら書いている。時には親指が脳の指示を待ちきれないで書いているような気さえする。

あまり戻ったり読み返したりしないから誤字が多いので、そういうところはAIに頼りたい。

Facebookが「7年前の投稿」などを出してきたとき、自分の文に時間の流れの違いをハッキリと感じた。

これも進化と呼んで良いものなのか。
この衝動はいったいなんなのか。
速読同様、スピードを求めているわけじゃなく、生活かかったライターでもないので、あるとすれば知識欲、成長欲。

ホモデウスにあるように、ニンゲンは、そしてわたしも、神に近づきたいからなのか。

髪を切る順番が近づいてきた散髪屋にて。

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西村圭司(にしやん)
問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。