今だから伝えられる。「その後悔もいつかきっと思い出に変わる」
人生で後悔したことは2度ある。
それはどっちも同じような後悔。
中くらいの失敗とかなり大きな失敗をしたあとの後悔だ。
そのどっちの後悔の時も思ったのは
「あのとき、どうしてやらなかったのだろう」
ということだった。
後悔というものは、2種類あるらしい。
「やってしまった」後に「なぜそうしてしまったのだろう」と思うことと、
「やらなかった」後に「なぜそうしなかったのだろう」と思うことだ。
僕の後悔は2度とも「やらなかった」後悔だった。
ただ、こうして「後悔」のことを書き始めているが、
少し前まで、自分に後悔したことなんかあるだろうかと思ったぐらい、後悔したことがあったことを忘れてしまっていた。
1度目の後悔は高校受験を失敗したときのことだ。受験直前の12月ぐらいからなぜか一切勉強しなくなっていた。そして、落ちた。
その後しばらくは傷ついていて、高1のころ少しグレた。グレてやってしまった行動は今となってはいい思い出だが、かなり後になるまで、自分の行動を分析できずにいた。二十年ぐらい経ったあと、そのときの気持ちを思い返せるようになった。
2度目の後悔は、田舎暮らしを始めたきっかけとなったことだ。
僕は仕事で大きな失敗をした。やるべきことをやらなかったためにおきた失敗だった。
その失敗はかなり大きな心の傷となり、何年も修復できずにいた。
その傷が癒えるのにずいぶん時間がかかった。
実は、田舎暮らしを始めたのは前向きな選択ではなかった。田舎暮らしといえば聞こえがいいが実は「都落ち」同然だった。
この暮らしは、前の場所から逃げるために始まった。
僕は前に住んでいたところから逃げてきた。
まず、前の場所、仕事、人間関係を捨てるために、距離的にも心理的にも、遠く離れることができることからこの場所を選んだ。
でもこの場所は偶然に、そしてものすごいタイミングで用意されていた。
逃げ出したいと思ったとき、ここがあった。
そして、ここでの生活が始まった。
そしていつしか、傷は癒えていった。
それが今では
「今の暮らしがこれまでの人生の中で一番のお気に入り」
とまで思うようになっている。
昨日、雨の歌のことを書いているときに、「雨のリグレット」という曲が気になって、「人生の後悔」について書いてみようと思いつき、自分のことを考えていたのだが、それほど大変な思いをしたことを忘れていたなんて、自分でも驚く。
人のこころの修復力はかなり大きいのだと思う。
もう今ではどっちの失敗のことも、自分を許している。
むしろ、その失敗があったから、今があるとさえ思える。
これを書きながら、本当に驚いているが、そう思うと、
人は失敗しても大丈夫なのだということを身をもって知ったのだ。
人生どんなに大きな失敗も立て直すことができる。
僕自身の経験からそう言える。
人生に失敗なんてない。どんなことにも意味があり、価値がある。
雨の後に、虹は出来る。
だから、虹を見ると素直に感動できる。
だから、僕は「虹の彼方に」の歌が大好きだ。
Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
虹の彼方の空は青く
信じた夢はすべて現実のものとなる