ぼくのこころの旅
「中学の時、合唱コンクールの課題曲が「心の旅」だったんだ。それってすごく粋だろう?」
これは同窓生みんなの自慢だった。
同窓会の最後には校歌じゃなくて、この歌を大合唱する。
「あーだから今夜だけは」の出だしから、みんなのテンションは一気に上がる。
僕のクラスの壁には誰が貼ったのかわからないが、スティービーワンダーのポスターが貼られていた。それを先生も咎めなかった。
卒業アルバムにその様子を撮った写真がある。ついでに言えばそのポスターの下の席に写っているのは同級生の中のアイドル的な女子だった。
もっとついでに言えば、その年の合唱コンクールで、一年上の先輩のクラスの自由曲は「ボヘミアンラプソディー」だった。この話を思い出すだけで、ワクワクする。
「心の旅」に話を戻そう。
僕らが中学1年の時、少し前に「心の旅」は大ヒットしていた。
チューリップの曲は、どれもビートルズの影響を露わにしているけれど、そこがいい。
イントロなしでいきなりサビから入るのは、「HELP」、「She Loves You」、「Hey Jude」などと同じだ。
「心の旅」は西鉄電車の車内アナウンスのBGMでオルゴールバージョンで流れていたのだけど、西鉄電車もまた粋だよねと今でも思う。
あー明日の今頃は僕は汽車のなか
汽車じゃなくて電車に乗っているけどね。しかし、今の若い人に汽車って通じるのかな。
心の旅 (チューリップ)
+ + +
ブレバタを知ったのは何がきっかけだったか思い出せない。
当時よく通っていたレコードレンタルの「黎紅堂」で借りたレコードの「Pacific」が最初だった気がする。そのあとしばらくして、この曲を知ることになるが発売からはだいぶたっていたように思う。
でもこの曲が好きになったのはもっとあとだ。
僕は36歳の時に、会社員を辞めて独立した。
通勤ラッシュから解放され、通勤というものから解放され、勤務時間というものから解放され、だれに監視されるわけでもなく、僕はフリーになった。
ある日、僕は平日の昼間に天神の街を歩いていた。
歩きながらフリーになったことを実感していた。
そんなとき、この曲のフレーズが頭に浮かんだ。
今でも気まぐれに街をゆくぼくは
変わらないよあの頃のままさ
この曲は、学生から社会人になる端境期のモラトリアムの「ぼく」と
「夢」なんかあっさり諦めて、サラリーマンになり、紺色のスーツに身を包んだ「きみ」のそれぞれの人生のかたちを詞にしている。
36の僕は、モラトリアムの歳ではなかったけど、
フリーになったことの喜びと不安がいつも同居していた。
ひさしぶりなんかじゃなくて、いつも聴いていたサイモン&ガーファンクルは僕も大好きで、どこかこの「ぼく」に自分をオーバーラップさせていた。
しあわせの形にこだわらずに
人は自分を生きていくのだから
独立したことは後悔していないし、
むしろそれが自分の性格に合っていると思っていた。
なのに、不安だけはいつもあった。
そんなとき、この曲が僕をなぐさめ、励ましてくれた。
そうだよ。僕は僕の人生を生きていけばいいのだと。
その後、職を変え、今ではカフェとエンジニアのダブルワークをしているけれど、
やっぱり、時々この曲を聴きたくなる。
そして、今もまだ子どもみたいなところがある自分のことを思う「あの頃のまま」だと。
あの頃のまま (ブレッド&バター)
このころ住んでいた家から、福岡市内に出るために珍しく乗った西鉄電車の車内で、次の駅を知らせるアナウンスとともに聞こえてきたのは、オルゴール調の「心の旅」だった。「こころの旅が始まる」のフレーズが不安をかき消して、これからを夢見させてくれた。
+ + +
春生まれの僕は四季の中で、春が一番大好きだ。
冬の寒さがどこかへいき、日に日に暖かくなる3月は、なにかとせわしく過ぎていく。
そんな流れる季節のなかで、この曲のイントロが頭に浮かぶ。
独立は僕一人でしたことじゃなく、妻が一緒だった。
本当は僕としては、妻のそばに出来るだけ居てあげたいと思って、妻のために独立したつもりだった。もちろん、それは形になったのだけど、フリーになっていつになっても不安がなくならない僕を支えてくれていたのは紛れもない妻だった。
瞳を閉じれば、あなたが
まぶたの裏にいるだけで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい
この詞を聴くとしみじみと妻が居てくれてよかったと思う。
上手くはいかぬことこともあるけれど
天を仰げばそれさえ小さくて
昼間に見える白い月を見るたび、
「たいしたことない。大丈夫」
と気持ちを明るくさせてくれるのもこの曲だ。
3月9日 (レミオロメン)
だから、僕の旅には、君をポケットに入れていくよ。
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