愛着不全が治るまで何年かかりますか?|【結論】被ばく量・扱う無意識のタイプによって異なる

【質問】愛着不全のカウンセリングは長くかかるということですが、だいたいどのくらいでしょうか? 10年くらいは覚悟した方がいいでしょうか。 高間さんの質問箱から学んで何となく愛着不全かな....と思ってる者です(理由:指摘される レ ベルの心配性(段取り癖)、人の目や批判に常に脅えてる)

【お返事】私の臨床経験では、愛着障害よりも愛着不全のほうが回復するのに時間がかかります。質問者さんが愛着不全かどうか、つまりどの程度の強度を持った「不安型愛着スタイル」の人かどうかは分かりませんが、愛着不全の方々について、私がこれまで経験した知見を参照しながら、質問に回答いたします。

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■被ばく量によって違う

「愛着が足りていない」事態を放射能に例えると、その被ばく量によって、愛着不全の主な愛着スタイルである「不安型愛着スタイル」の強度が異なってきます。強度とは、どの程度の不安なのかということです。中核の不安は、「見捨てられ不安」です。この不安がどの程度強いかです。愛着が足りていない感じが強いほど、見捨てられ不安も強くなり、不安型も強くなります。

・誰との愛着が不全なのか?

愛着不全でも、母親との関係でそうなっているのか(これが多いのですが)、父親との関係でそうなっているのか、あるいは両者の影響を受けているのか、その「被ばく量」によって、回復までの時間に違いがあります。被ばく量とは「毒親度」ともいえそうです。

また愛着不全の場合は、父親がどんな人だったかの影響も大きいですね。母親との関係が不調でも、父親との関係が築けていれば、いわゆる「傷」は浅いです。浅いといっても、中心の見捨てられ不安は母親との関係ですので、そこに変化はないので、回復への道のりは相変わらず簡単にはいきません。

・当然、ご本人の気質なども考慮に入ってきます。こちらは、まだ私の中でまとまっていません。

愛着不全の回復には、本人のどのような気質が功を奏するのか?これは難しい問題です。自分のことをあまり深く考えない気質、というより習慣があるのが、この愛着不全の方々に見られる代表的な気質です。これだと不全感にも気づいていないということです。だから回復していないことになります。回復しないと本人は意識的には楽ですが、周りは困ります。

これは気質ではありませんが、自分の気持ちを詳しく表現できる能力のある人だと、安全な場所でそれを表現できれば、回復が進むように思います。表現には、文章だけでなく、芸術も含まれてきます。そうやって自分の気持ちを細かく表現できる能力は、回復に寄与するように思います。

・また、年齢によっても違います。

おおむね若い人のほうが、ある程度回復するまでが早いです。これはおそらく「被ばく量」の影響でしょう。若いほうが、当然、被ばく年数が短いですからね。けれどこれはあくまでも原則です。毒親度によっては若くてもダメージは大きい場合もあります。

これらを総合して、何年くらいかかるのか?回答としては、10年かかる人もいれば、5年の人もいるし、1年以内の人もいます。

また、愛着不全でなくても、こころの深い部分に降りていった場合、長い時間がかかるということはあり得ます。

そしてもう1つ、こころのどこへアクセスしていくかで、年数や回数は異なります。例えば実際、10年通ってきている人でも年に1回という人もいて、様々なんですね。

■こころのどこへアクセスするか

こころは重層です。意識から無意識まで層をなしています。そして意識と無意識の間は大きく断絶しているといいます。心理学も、意識のみ扱う心理学、無意識まで扱う心理学、さまざまですね。私の場合は、意識・無意識、両方を扱います。なぜかいうと、気がつかないで行っている行動が少なくないし、たまに行う夢の解釈などは無意識に直結しているからです。

特に、愛着に問題のある人は、無意識下に封じた気持ちの渦がたくさんあるように思います。なぜなら幼児期に形成されるものが損傷を受けているからです。これらは記憶しているものもあるし、記憶の外にあるものもあります。結果、無意識を扱っていくことになります。

年齢の若い人は意識の部分だけでも良い場合がありますが、中年期に入ってくると抑圧している人が増えてくるため、無意識を扱うことが多くなってきます。そして無意識を考えると、無意識の種類によってアクセスする場所が異なります。

◇個人的無意識と集合的無意識

一般的にはカウンセリングで扱う世界は、個人的無意識の世界です。あなただけの無意識の世界。普通はこれだけで十分でしょう。しかしカウンセリングをしていくと、集合的無意識まで扱った方がいい場合、あるいは集合的無意識的な現象がやってくる場合などがあります。「やってくる」というのは気がつくとそっちまで巻き込まれていたということです。

集合的無意識とは、個人を越えた無意識、国家や民族を越えて人類全体に共通して存在する無意識のことです。ユングによって提唱されました。無意識には、個人的無意識と集合的無意識があって、個人的無意識を集合的無意識が支えていると規定しています。例えば、

・ふっくらとした体型のイメージには母親的なものを感じる
・厳しく教え諭してくれるイメージには父親的なものを感じる などです。

◇曼陀羅(マンダラ)が集合的無意識の出入り口

しかし、集合的無意識が個人的無意識の世界に侵入している部分があります。ここからは私の試論になります。人類普遍のイメージは、くさびのように個人的無意識に侵入していると思わざるを得ないことが往々にして起こります。

一番よく観るのが、箱庭でマンダラが置かれる場合です。マンダラとは、仏教の世界観を表現した円形の絵のことです。この円形のものが箱庭で置かれるときがあります。箱庭は、全くの個人的無意識を表現したものですが、マンダラ状にパーツが置かれるときがあります。

ここから集合的無意識への道が開きます。「マンダラが出現すると症状が悪化もすれば、回復もする」と言ったの河合隼雄先生の達観でした。私は、マンダラは、集合的無意識に巻き込まれたり、そこから脱出したりする、ブラックホール・ホワイトホールの役目をしているとみています。

◇八識(はっしき)

仏教では人間の心理を8つに分けています。(→以降は心理学用語です。)カウンセリングでは、この八識すべてにアクセスしますが、メインは個人的無意識でした。つまり末那識にアクセスするのです。

1. 眼識(げんしき)→視覚
2. 耳識(にしき)→聴覚
3. 鼻識(びしき)→嗅覚
4. 舌識(ぜっしき)→味覚
5. 身識(しんしき)→触覚
6. 意識→五感を統括する認知

7. 末那識(まなしき)→個人的無意識|執着
8. 阿頼耶識(あらやしき)→集合的無意識|カルマ(業)

「釈迦は優れた心理学者」AIの父が仏典をテキストにする理由のブログに、仏教がAI開発に役だったという話が載っていました。

故マービン・ミンスキー(MITの教授)は、AI開発のために、人間のこころの構造を知る必要があったのです。現在の心理学ではそれは不十分で、宗教を探索したところ、キリスト教やイスラム教も不十分だったが、仏教にはそれがあったといいます。それが上の八識です。

■まとめ

・愛着不全のカウンセリングの年数は、被ばく量によって違う。

・愛着に問題のある人は、個人的無意識へのアクセスが必須ですが、集合的無意識に分け入っていけないときもある。そのタイミングは箱庭の曼陀羅に示される。

⇒解決しない悩みのある方は、ソレア心理カウンセリングセンター へご相談ください。

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