愛着障害の人の厳しい子育て・その2|質疑応答

こちらの記事▼への質問が続きました。質問を紹介しつつ、回答をまとめておきたいと思います。

回答は今朝、個別に質問箱にしましたが、まとめるにあたって、追記した部分もありますので、よろしければこの質疑応答もご覧ください。

※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼

※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。

■愛着障害の「かりそめの成人期」について

【質問①】「かりそめ」に作り上げた成人期でカウンセリングを進めて、愛着障害のクライエントが行きつく先はどこでしょう?

【お返事①】愛着障害の人のカウンセリングが終結すると

  • 幼児期(成人期)⇒ 成人期

になります。かりそめの成人期が、かりそめを卒業していくわけです。

これは精神年齢が、幼児期→学童期→思春期→成人期と発達していきます。実際に成長している自分に遭遇するケースもあります。幻覚を見るというのではなく、自分が〇〇歳くらいだなと実感する体験が、日常生活のささいな出来事の中で体験していくのです。数か月という単期間で、幼児期から成人期へ発達を遂げる人もいます。下記の記事もお読みください▼

しかし、成人期ですが、普通の成人期とはちょっと違って、成人期には、成人期初期、壮年期(中年期)、老年期の3期ありますが、20代でも成人期(老年期)くらいになる人もいます。実年齢を精神年齢が追い越していくケースもあるのです。これは愛着障害の人、特有の現象とみていいでしょう。

■愛着障害の「ハリボテ」と愛着不全の「空虚」

【質問②】ラジオ(2022.2.14)で愛着不全の「空虚」さのお話がありましたが、これは愛着障害 の「ハリボテ」と対になる言葉ですか? そしてそれはアイディンティに関してのことですか?
・親の倫理規範のまんまで自己がない、または反抗が終わってなくて自己が成立してない空虚 ?(愛着不全)
・受けとる倫理規範がそもそもなく五里霧中の中、余裕なくゼロから自己を作るからハリボテ?(愛着障害)

【お返事②】質問者さんが自分で結論を出していらっしゃいますが、その通りです。

  • 愛着障害の人に使った「ハリボテ」とは、生きていく上で現在必要なツールという意味です。おっしゃるように、一生懸命にゼロから作り上げたツギハギだらけの「かりそめ」の自己です。これがあるから社会生活を送ることができます。モビルスーツですね。

  • 愛着不全の人に使った「空虚さ」は、彼らは「怒り」を常に抱えているわけですが、その怒りが噴出したあとに見えてくる絶望的な感情がある、それが空虚である、という意味です。

    そしてその空虚さは、愛着不全の人にとっては、おっしゃる通り、アイデンティティが構築途上にあることからくるものです。自我(自己)同一性が確立していません。つまり自立しきれていない寄る辺なさから来るものです。発達段階でいうと、反抗期がまだ終了していない状態です。

空虚な感じは愛着障害の人も同様に持っています。何が違うのかというと、愛着不全の人は、怒りがベースにあった空虚さなので、空虚な感じに自信(パワー)があります。言い方がヘンかもしれませんが、しっかりした輪郭をもった空虚さです。

それに比べて愛着障害の人は、消え入りそうな空虚さです。ベースが怒りではなく、恐怖だからです。

(ここからは高間の試論です)しかし、恐怖と怒りは背反する感情で、ひっくり返るときもありますので、愛着障害の人の空虚さと愛着不全の人の空虚さは、どこかで反転する可能性もあります。つまり「自信のある空虚」←→「消え入りそうな空虚」、これらは反転する可能性もあるわけです。反転するのは、愛着障害の人の治療が進んでいった先に起こります。愛着不全の人は反転しません。

■愛着障害の人への父親(父性)の役割

【質問③】以前、父親の存在感はそんな無くても大丈夫と、言われてた気がするのですが、愛着障害に関しては父親の影響がわりとあるということですか?

【お返事③】確かに父親の存在は、母親の存在に比べたら小さいものです。子どもにとっても母親だけいれば十分ともいえます。この基本は変わりません。

この基本を押さえつつ、さまざまな場合に「父親(父性)の存在」が後押ししてくれることも事実です。例えば、昨日の放送で言えば、愛着障害の人の「かりそめの成人期」の「強さ」についてのことですね。

こういうふうに様々なシーンで父親の顔が見え隠れするのも事実としてあります。しかし、繰り返しになりますが、必要なものは、父親ではなく「父性」です。父性をもらえるなら父親でなくてもよくて、母親でもいいのですね。

■愛着障害の人のはかなさと強さ

【質問④】昨夜の放送 [2022/2/14] や今朝の質問箱で愛着障害の「強さ」 という言葉を使っておられて 「おや?」となってます。 というのは 愛着障害のキーワードは「儚さ」だと思ってたので。 かりそめの「強さ」で本当に強いわけじゃない から、やっはり「儚い」が回復前の愛着障害の人の印象でしょうか。(そういや『強く儚い者たち』という歌が昔ありましたね)

【お返事④】愛着障害の「はかなさ」はこの記事ですね▼

サイトの記事をよく読んでくださっててありがとうございます☺

愛着障害の人は、【幼児期(成人期)】でした。(成人期)が「強さ」の源泉です。そして、「はかなさ」は、基本的信頼感の構築に失敗した「幼児期」、つまり愛着障害(虐待)の源泉から出てきているものだと思います。

基本的信頼感は、人間が世界で生きていくためには、必要不可欠のものですので、それが無いというのは、はかない人生そのものであるということです。愛着障害の人々の「消え入りそうなはかなさ」は、そこから出てきています。

つまり、強く見せている、その背景には、消え入りそうなはかなさがあるということ。

強く儚い者たちという歌があるのですね。Coccoの歌だったんですね。

◇ラジオのおやすみ談話室:梅の花が咲いています。東京では2022年は2月1日に開花しました。16日から18日は、風は冷たいものの、日差しが届き、梅の開花も進みそう。
桜の開花は、東京で3月22日予想です。

⇒解決しない悩みのある方は、ソレア心理カウンセリングセンター へご相談ください。

Twitter でも発信しています。フォローいただくと、発信ばかりでなく質問箱のQ&Aを見ることもできます。【Twitter】→ https://twitter.com/soleapsy

いいなと思ったら応援しよう!