親への期待には灼熱感があり、親へのファンタジーには熱量がありません
【お返事】期待感とファンタジーはどう違うのか?これも愛着障害と愛着不全を分けるための重要なポイントですね。
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※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。
■期待は灼熱|安心がベース
期待感とは何でしょう。こころの底では基本的信頼感があって、そこから出てきているものが期待です。捨てられることはない、この確信をもっているので、こころの深部へ到達すれば、怒りなども臆せずに出すことができます。関係が切れるなど思ってもいません。
もう少し詳しくみると、こころの表層部では、見捨てられ不安が反応してビクビクしています。余計な感情は出さないように密閉しています。しかし、こころの底のほうではそうではなく、いつか分かってくれるはずだと確信しています。だからそうならないので、怒りが渦巻いています。表層と深部ではずいぶんと様相が違うのが愛着不全の人のこころの風景です。上部に見捨てられ不安、下部に怒りです。
けれど、親はいつまでたっても分かってくれません。この「分かってくれるはず」という確信めいた期待がなかなか現実にならないところで、モヤモヤ、烈火のごとくのたうちまわっています。不安になったり怒ったり。こころの底にあるマグマの熱量は半端ないです。この怒りによって、なかなか諦めがやってきません。
■ファンタジーは無熱|恐怖がベース
一方で、愛着障害の人のファンタジーは、幻ゆえ確信はありません。蜃気楼のような儚いものだと分かっている節があります。ファンタジーを持つ段階ですでに諦めが入っています。だから、ファンタジーには熱量はありません。ファンタジーをもちながらもどこかクールな風情が漂います。
愛着障害のこころの構造は、恐怖この一色に染め上げられています。この恐怖の由来がよく理解できていないと、怖いだけなので生活に支障をきたします。これでは生きていくのが大変ですので、この恐怖をファンタジー化しています。
ファンタジーですが、期待はしていないので、いつかそうなるとは思っていません。ただ、ファンタジー度が強い人には、熱量のようなものを感じたりもするでしょう。ファンタジーが何層にも重なっている人です。それだけ恐怖が強いとも言えます。そういう人はなかなかカウンセリングにやってきません。
しかし、恐怖が親との関係性に由来することを理解できれば、このファンタジーは崩壊していく運命にあります。幻なので一気に進むはずですが、そうはいかないことも多いですね。この原因はカウンセラーの自信の無さも一役かっているかもしれません。
「これをファンタジーと断定してしまってよいのか?」そういう迷いがカウンセラー側にあると、カウンセリングもブレまくる可能性もあります。カウンセリングが暗礁に乗り上げます。愛着障害ですから、強引にカウンセリングをドライブするのはご法度ですが、カウンセラー側に揺るぎないものがないといけないということですね。迷いのある人は、ぜひ愛着障害に詳しいカウンセラーにSVを受けましょう。
いまのところ、これが臨床像から得た、期待とファンタジーの違いです。
■まとめ
愛着不全の親への期待は灼熱感があり、ベースには安心感がある
愛着障害の親へのファンタジーは熱量がありません。ベースには恐怖がある
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■他の助けを求めるのもいいでしょう
もし、あなたが愛着の病い(愛着障害・愛着不全)を抱えている場合は、臨床心理士などの心理の専門家にアドバイスを求めるとよいでしょう。時間はかかるかもしれませんが、あなたのカウンセリングがうまくいきますように。
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