愛にしか埋めることができない心の空間。
人は様々なことで幸せを感じることが出来ます。幸せを感じた時、「心」が満たされるような感覚を覚えます。ただその幸せによって埋められる空間の中には、愛によって作られた幸せにしか満たすことが出来ない空間が存在すると私は感じています。そして愛によって作られた幸せがあれば他の幸福は必要がないのでは無いかとも思っております。他の幸福とは虚偽の幸福です。
「愛による幸福」と「虚偽の幸福」の分別をしたいと思います。
「愛による幸福」とは
愛による幸福とは、人に与えられた時と人に与えた時の両方で得られる幸福です。そして後者の「与える幸福」を理解している人は少数であると感じています。多くの人間は与えられる事・得ることによってのみ幸福を感じるものだと考えています。さらに与えられた時よりも与えた時に感じる幸福の方が大きなものであると私は感じております。
愛による幸福とは以下のような行動によってもたらされます。
○人に道を譲る
○ご飯をご馳走する
○手伝い事をする
○プレゼントをする
愛による幸福のほとんどには「嬉しい」という感情が伴います。人との繋がりや人の温かみを感じれた時にもその幸福を感じることが出来ます。不思議と相手が嬉しいと感じることをした時、施した側も幸福を感じることが出来ます。
「虚偽の幸福」とは
虚偽の幸福とは、多くが自己満足のみしかもたらさないもの場合がほとんどです。自分の為だけに自分自身が行動を起こして得た幸福です。
例えば以下のような行動です。
○必要以上のものを買う
○スイーツ(砂糖)を食べる
○タバコを吸う
一時は欲しかったものを手に入れて嬉しくなります。ただそのものが承認を求めて欲していたものだった場合はすぐに空虚感を覚えることでしょう。それはそのはずです。あなたが欲しいのはそのものを持っていることで人にかけられる「かっこいい」や「かわいい」などの承認の言葉だからです。そのもので生活が豊かになることではないからです。スイーツ(砂糖)やタバコの煙は体の中に入れると幸福感を感じる化学物質が含まれているので幸せだと錯覚します。ただ錯覚するだけなら良いのですが、両者とも血管や脳を破壊したり萎縮させたりします。よっていずれ病気に侵されることになるのです。簡単に幸福を得てきた代償を払う羽目にまります。払う代償を得た幸福よりも多くなると私は思っています。
最後に、、、
「愛による幸福(真の幸福)」は人と人との関わりの中に存在することがほとんどです。そしてその出来事を思い出すたびに、その時と同じ幸せを感じることが出来ます。「虚偽の幸福」は楽して得ることできる反面、代償を払う必要があります。さらに継続性がありません。もう一度その幸福を得ようと思えば同じ行動を取る必要があります。
もう一つ両者の大きな違いを挙げるとしたら、「お金が必要かどうか」です。
前者は人に親切にすることでも得られるものなので、日常の中に見出すことが出来ます。
後者はお金で買わないと得られないものばかりです。お金を払うということはそのお金を稼ぐために使用して時間も失うということです。支払う代償は健康だけではないようです。
愛による幸福を追求して健康的に継続的に大切な人と自分を幸せにして生きていきましょう。
少しずつ日常に変化を加えていけば必ず出来ます。応援しています。そら