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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――④
前回の話はこちら。
4. モラと、お芝居――前半:冬公演、春公演
ここからは、暫く、モラハラというよりは、演劇サークルに所属していたことに特有であろう、稲田との間にあった良い思い出からトラブルまで、記憶の流れのままに書いていく。だから、時間軸は色々な結びつきで前後して、飛んだり戻ってきたりする。いわゆるモラハラ行為そのものよりも、この演劇が絡む辺りに彼への恨みが深まる理由はあったりするのだが、やはり全ては稲田のモラハラ気質と、私がそれなりに夢を見る人間だったために起きたのだと思う。
彼が、自分を大きく見せているだけで、本当にはそこまで知的ではないこと(後に、「かしこぶるんじゃねーよ」事件でそれが彼自身のコンプレックスであったことも浮き彫りにはなるが)、結構俗っぽい人間であることに気が付くまでには少し時間がかかった。というか、薄々気づきつつも、「努力して入った大学で、その辺の男とは一味違う、独創的で知性のある彼氏を得た」という勘違いを止めたくなかったのかもしれない。ここ最近は、フェミニズム等に少しずつ触れて、そういう「男によって自分の価値を決める」価値観からは解放されつつあるが、当時は、互いに高めえるような知的な男性に出会いたいという欲求は強かったし、顔はいまいちだけれど背が高く、サークルでは主導的な立場にあり、どうやら信を置かれている人で、楽しそうに演出をしている姿を見て、折角魅力を感じた気持ちを失いたくなかったのだと思う。心が冷えていくのは辛いことだから。
しかし、そうはいっても、心が燃え上がった時から冷えていくまでを書かなくてはいけないだろう。心が燃え上がった時というのは、緩やかだけれども、冬の本公演『検察官』の練習や本番の中でのことだった。分かる人は分かると思うが、この手の共同作業というものは、魔法にかかりやすくさせる。一緒にいる時間が長くなるし、色々な達成感を共にして、人生で最良の時を過ごしているような錯覚に陥らせる。
私と、Yは殆どセットのような役だった。私は、本当は、それまで比較的引っ込み思案だったのもあり、市長夫人で、フレスタコフを愛人にしようとさえするアンナ役をやってみたかったのだが、これは出来レースみたいなもので、この人にはこれ、というのが大体決まっていた。私は、演劇の本質は化ける楽しみにあると思うので(正確には、自分の中にある様々な側面を発見し、解放するという楽しみ)、最終的にやった役は気に入ってはいるのだが、そもそも「それっぽい」役以外許されていなかったことは今でも正直根に持っている。(でも、アンナ役は素晴らしかったので、勿論最終的にあれでよかったと思っているが、やってみたい!という感情を否定されるのは嫌なことだった)しかし、同期の一年生同士で、実はおいしい和み枠で二人セットのギャグキャラを演じるのは確かにぴったりだったし、私たちは十分頑張ったと思う。私などは、ちょうどよい機会だと思い、男役だからと髪をバッサリ切ったりもして驚かれた(実をいえば、好きなV系バンドのボーカルと同じヘアカットにしてもらっただけだったりするが!)。稲田がYと深く付き合ったのか否かはどうもよくわからないが、チラシ制作を巡り、自分なりのアイデアで進めているYと稲田の間で何か軋轢が生じたようで、そうこうしているうちに私と稲田は仲良くなっていって、奇妙といえば奇妙だった。一度、私は稲田とYと三人でうちで遊ぼうと誘ったことがあったが、Yは当日キャンセルで、稲田だけがきたなんてこともある。(本当に普通に遊んだだけ)そんなこんなだったが、稽古自体は、余裕こそなかったが何とかそれなりに楽しく、忙しく過ぎていった。前回に書いた合宿では、暫く離れていたという先輩が帰ってきて、足りない役をやってくれることにもなった。しかし、こういった色々なことの背景に、彼の人格の本質的な問題が関わっていたとは、その時は知る由もなかったし、知った時にも、彼の性格のねじれを真剣に考えることをしなかった。
彼のことを私はモラハラと言っているが、そもそも彼にはパワハラ気質があったのだ。要するに、目下・格下とみなした人間には滅法強いのである。しかし、上から言われたことには逆らえない。だから、顧問の先生なんかには従順だが、私には暴君になる。勿論、それが露骨になるのは交際後であったが、思い出してみれば、彼のそういう性格は少しずつ現れていた。
私は、浪人までして入った大学だし、取り立てて面白みのないまあまあまじめな学生だったので、なるべく授業にはしっかり出ていたし、今やだいぶ忘れてしまったが、古典ギリシア語なんて授業を取ったりもしていた。サークルは18時からだったが、授業も5限に出てしまうと、18時を少し過ぎてからの参加になってしまう。それでも、休みもせずに直行で急いで参加していたのだし、授業にちゃんと出るのは学生の本分だから、私には何も悪い所はなかったのだが、ある日、急いで稽古に飛び込むと、不機嫌な稲田が、自分がいなければいけない場面なので急いでコートを脱ぎ準備をしようとしている私にこう指示した。
「コートとらなくていいから、早く」
文字だけを見ると、そんなにひどいことを言っているようにも見えないが、私は少し怖くなって、慌てて言われた通りにした。
その夜、稲田から「今日はごめん」というメールがあった。後にも先にも、きちんと謝罪されたのは、これが最初で最後だったような気もする。まだ、私のことを「自分の所有物」とみなしていない内は、そのくらいの礼儀は守る心を持っていたらしい。そして、私は、謝って貰ったことで、「大事にされている」ような錯覚をした。単位をとることに熱心ではない彼が、承認欲求を満たしやすい指導的立場のサークルに授業も投げ出して全力投球するのは言ってみれば自然なことで、授業の後トイレも行かずに稽古に急いだ私は、褒められこそすれ、叱られるようなことは全くなかったのだが、そういう自然な道理がだんだんわからなくなっていったのだと思う。
もうひとつは、私自身にあったことではなく、後に彼自身が笑いながら話したので知っていることだ。私と年齢は同じだが、学年的には一つ先輩のHさんという女性がいた。兎に角凄い人だった。語学堪能、決断力あり、フットワークも軽い、超しっかり者。そもそも、入部の宣伝にきたのが、彼女と、もう一人の男性の先輩Tさんだった。このTさんが、宣伝以来姿を見せず合宿の時に帰ってきたというその人であるが、ここのところの事情は稲田の人格を大いに物語ってくれるものだ。
入部の宣伝の際、私たちには劇団のチラシが配られた。カラーで、そんなに派手ではなかったが、当然、チラシというのはタダで作れるものではない。カラーならば猶更だ。このチラシを巡って、実は一悶着あったのだという。稲田は、サークルの予算は、基本的に上演に大きく当てるべきで、宣伝になど金をかける必要はないと考えていたそうだ。そこに何か合理的な理由があったのではなく、要は、「好きなだけ金を使って、派手な舞台を作って目立ちたい!」というのが稲田の本音だったのだと思う。これは、彼から聞き出した訳でもなんでもないが、私の確信するところだ。だって、彼は後に「俺は、サークルの中で王だった」と言っているのだから。王様なんだから、俺が金の使い道は決めるんだぜ!というところか。しかし、Hさんは現実的だった。Hさんは、慢性的な人員不足に悩むサークルの行く先を若くして憂いており、五年生にもなって尚自分がチヤホヤされること以外に興味がない稲田に、敢然と「だって、そうやって宣伝に力を入れていないから、いつも新入生が少ないんじゃないですか!」と言ってのけたのだそうだ。ところが、稲田はその言葉を真剣に受け取らず、いかにHさんのやることが無意味で金の無駄遣いであるかをネチネチと説き、ついに気の強い彼女を泣かせたのだという。そして、そこにTさんがやってきて、事情を知ったTさんは握った拳を震わせ、「稲田さん……!!」と怒りを示し、それ以来しばらく絶縁状態になったのだという。
完全に、HさんとTさんが正しくて、稲田はクズなエピソード。しかし、稲田は笑ってこう続けた。
「ま、Tくんも、女の子の前だからかっこつけちゃったんだろうね」
お前と違って、男だ女でいちいち分けてねーよTさんは!!お前と違って真人間だよ、ヴァーーーーーカ!!!!!!!! と、今なら正面から唾を吐きかけて鼻フックで投げ飛ばしたい案件だが、それを聞いた時、私は自分が何を考えていたのか覚えていない。というか、彼が話している時、私は基本的に思考停止状態でただただ笑顔でウン、ウン、と話を聞くだけの人間だった気がする。とはいえ、多分、薄らと「ひどい」と感じはしたのだと思うが、彼への違和感はすぐに封じ込めてしまったのだろう。だって、自分が選んでしまった男だから、その欠点はなるべく見たくなかったのに違いないから。愚かだったと思うが、若かったので自分のことはもう許したい。
そういう闇を当時は知らないまま、本番を迎え、ゴーゴリの『検察官』は面白おかしく、それなりに成功して終わったと思う。ただし、稲田は回転する舞台に拘り、そのためにずいぶん大きな予算を使ったのだが、彼が回転舞台に拘ったのは非常に愚かしいことだと今は考えている。というのも、私のいた大学のその学部では、大学院に進む人はその時でも良いのだが、基本的に留学を経験する。Hさんも、その年の公演には留学のため、夏以降は関われなかったが、翌年の秋にますます語学に磨きをかけて帰ってきた。因みに、私はこの時「Hさんロシア語ペラペラ、いいなーあんな風にしゃべりたい!」と憧れを口にしたら、稲田は暗い顔で「あんなの、ピロートークで学んだに決まってるだろ」と吐き捨てたのだが、稲田はもちろん留学はしていなかった。彼の中では、海外にいって語学が出来るようになった女性は男と遊んだからということで片付くらしい。実際にそうかもしれないが、ならば、今やロシア人女性と結婚して、ロシア語ペラペラであろう自分はどうなのだろうと思うが、男にはそういう点で見下したような発言はしなかったので、純度100%の性差別だったのだと思う。付言しておくと、別にピロートークだろうが何だろうが、語学力が磨けたのならばそれで良いと思うし、そもそも出来る素地がなければそれも無理であろう。我がクソ父は、全く日本語ができるようにならなかった。バカはバカである。
さて、話がそれたが、彼は留学をしなかったので、他の同年代の同窓生ならば見ているような本場の演劇を一切見ていない。
マールィ劇場の『検察官』のような、オーソドックスながら伝統ある演出では回転舞台が効果的に使われているが、はっきり言って、予算の限られた学生演出で無理やり回転舞台を作ってやったところで、当然クオリティーは落ちる。しかも手動で回転だ。私たちがやるべきだったのは、そういう意味での背伸びではなく、自由度の限られた空間で、いかに工夫された演出をするかということだったと思うのだ。当時は文学にも演劇にもさっぱり通じていなかった未熟な私は、彼はアイデアを多く持つ独創的な人だと思い込んだが、井の中の蛙である彼は、本場の芝居を見たことがなかったから自信満々だっただけなのである。要するに、大人物でもなんでもない、正真正銘の小物だったというわけだし、どうも、彼自身薄々自覚がなかったわけでもないらしい。だからこそ、意図的に、彼は広い世界を避けていた。
とはいえ、諸々のことは後に感じ、考えたことで、当時の私はハイになっていて、魔法にかかっていて、これが青春なのだと思った。最終日は打ち上げのあと、終電を故意に逃がし、「送ってくれる」という稲田の申し出に喜んで、私の家の近くまで、他愛ない話をしたり、ふざけあったりしながら、寒いのも苦にならない幸せな気持ちで一緒に歩いた。ふざけあいのフリで、手を触れ合ったりはしたし、お互いに明らかな好意があったが、それらしいことはせず、無邪気な、楽しい時間を過ごした。
その後は、ささやかなデートをするようになり、付き合っている状態になっていく。年の変わり目だった。
まだ、幸せだった。
★次回もまた、演劇に関連して。
「ソラリスと、Tくんとかで、春に牧歌的な芝居やりたいね」と、彼が言ったがために引き起こされた辛い出来事について書きます。