無理ゲー社会とアドラー心理学
橘玲・著「無理ゲー社会」
生存欲求が満たされた今、生活貧困層以外の人間は、皆が自分らしさを求めて生きる。人生の意味、自分の夢を追い求める。自分探しという世界宗教。
岸見一郎・著「嫌われる勇気」
世界は単純である。自分が求める方向に自分は進んでいく。世界を複雑にしているのは自分自身だ。
「無理ゲー社会」というタイトルがキャッチャーなタイトルだなと思い、すぐ読み始めた。が、難しいすぎるよこれ・・・。でも納得。あなたの10年後を教えてくださいとか、あなたの夢は何ですかとか、聞かれることがいまの10代、20代は不愉快らしい。
一緒に目標に向かってステップアップしていこう!(ゴールがないと迷うから)
昔こうやって、後輩を鼓舞しようとしたら、「それは強者の理論ですね。」と切って捨てられた。うーん、なかなか気難しい。
「無理ゲー社会」みんながみんな自分の理想を持って生きることを求められる社会は、無理ゲー(攻略困難な難易度の高いゲーム)のような、社会だということらしい。
皆が皆、自分らしく生きる社会は多様性があるが、他人を認めることは、それだけ人付き合いが複雑になると言うこと。
正直この本を読んで疲労感がたまった。まぁ、そうなるんだろなと思うけど。やめよう、これ以上ややこしくなるの。
対してアドラーは。世界は単純なんだよと。私のバイブル本に「成功の掟」という本があるが、信念を持つことの重要さを教えてくれた本がある。(頭に刷り込みたいこと毎日朝晩50回ずつ唱えろ、とか言う体育会系の本だけど。。)自立した自分をしっかり持つこと、そして自分は世界の中心でなく、それを取り巻く共同体の一部なんだよと。
それも強者の理論っすよ。
と言って無視しそうだが。。そう言われたらもう、じゃあ好きにすればってなりそう。
自分らしさが辛いというよりは、問題なのは、自己中心的な考え方がある意味、肯定されつつあるのではないかと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?