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『ポスト・ムラカミの日本文学』はじめに(2002)

 つい最近、家の近くの古本屋で、大学一年生くらいの若い男の子が連れの女の子に向かって、村上春の『風の歌を聴け』か村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が読みたいんだけど、置いてないかなあ、と話しかけているのを見かけました。
 女の子のほうはそれほど関心がなかったようで生返事をしていましたが、男の子はしばらく店の中でその本を探していました(残念ながら、そこの古本屋では見つからなかったようですが)。

 1980年代のはじめ頃、この二人の作家の小説をむさぼり読んだ世代としては、あれから二十年もたって、当時まだ生まれてさえいなかった若い世代が、二人の初期作品を読もうとしていることにある種の感慨を覚えます。
 この本は、1970年代後半に登場した二人の「村上」と、彼ら以降に登場した日本の新しい小説の書き手たちの系譜を、ぼく自身のかなり偏った読書歴を振り返りながら、できるだけ歴史的・構造的にまとめようとしてみたものです。

 小説に書かれる言葉は、まだ社会的に大きな声にはなっていない個人の言葉です。その意味で作家はよく「炭鉱のカナリア」にたとえられます。「炭鉱のカナリア」の役割は危機の到来をいち早く告げることですが、小説の役割はかならずしもネガティヴな状況を先取りするばかりではありません。あるところではすでに結実しているのに、まだ多くの人と共有されていない新しい考え方や生き方をもっともよく伝えうるメディアは、もしかしたら小説なのではないか、とぼくは考えています。

 でもそれは、かつて文学が担っていた一種の教養幻想とは違います。いまの時代に小説を読むことは、教養や自己実現のためではなく、人生の喜びや楽しさを他人と共有するための手段であり、すぐれた映画や音楽、その他のポップカルチャーとまったく同じです。「文学青年」や「文学少女」ではない人たちにこそ、ぼくはいまの日本の小説を読んでほしいと思います。

 あの日の男の子はもう、二つの小説を手に入れただろうか、読み終わってどんな感想をもっただろうか、女の子のほうはどうだろうか……なんてことを考えます。
 ここで紹介した本をすでに読んでしまった人も、まだの人も、本書を読んであらためていまの日本の小説の面白さをわかってくれるといいな、と思います。


※この文章は、2002年に朝日出版社から刊行された私の最初の単著『ポスト・ムラカミの日本文学』のまえがきです。現在絶版となっているこの本を、破船房レーベルより22年ぶりに復刊します。

【追記】
BOOTHとBASEにて予約販売を開始しました。発送開始は9/2の予定です。


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