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二十二年後のあとがき(2024年)


『ポスト・ムラカミの日本文学』改訂新版

 本書は2002年に朝日出版社よりCulture Studies シリーズの一巻として刊行された『文学:ポスト・ムラカミの日本文学』の改訂新版です。オリジナル版のタイトル表記にはシリーズ中のジャンル区分である「文学」が含まれ煩雑なため、当時から『ポスト・ムラカミの日本文学』の略称を用いていましたが、今回の版ではこの略称を正式な題名としました。また英語のサブタイトル、Japanese Literature after the Murakami Revolution はそのまま踏襲しました。
 改訂の方針は、本文に関しては誤植や事実関係の誤りを正したほか、現在の読者にとって説明が必要と思われる語句に関して言葉を補い、一部は削除しました。ただし全体の論旨には変更を加えていません。また章タイトルと小見出しも若干の変更を行いました。最大の変更は第三章を「保坂和志と阿部和重」とあらためた点です(2002年のオリジナル版では「渋谷はもう戦場だった」)。 具体的な作家名を目次に盛り込むことを重視したためで、本文の変更は行っていません。
 2002年のオリジナル版は幸いにもよい読者にめぐまれ、著者を文芸評論の仕事に導くきっかけとなりましたが、長いこと絶版状態でした。今回の改訂新版は、著者自身の出版レーベル「破船房」からの自主刊行です。朝日出版社版の編集に携わってくれた赤井茂樹さん、菅付雅信さんにはあらためて感謝を申し上げます。
 2024年の現在から本書を読み返すと、いくつかの感慨を覚えます。ひとつは本書が「村上春樹の時代」ともいうべき2000年代初頭の日本文学の世界へのイントロダクションになっていることです。そしてもうひとつは、その「村上春樹の時代」が、いままさに終わりつつあるということです。この問題は本書でカバーした1976年から2001年までの四半世紀の日本文学の「その後」について、著者が現在どのように考えているかと深くかかわるので、少し補足しておきます。
 村上龍と村上春樹のデビューが日本文学史における大きな切断面であったこと、このときのリスタートが現代日本文学に大きな成果をもたらしたこと。本書の主な主張はこの二点で尽きています。本書で大きくとりあげた「Wムラカミ以後」の作家たち(保坂和志、阿部和重、町田康、堀江敏幸、星野智幸、赤坂真理、吉田修一)は21世紀はじめの日本文学を代表する存在となり、いまも健筆をふるっています。また本書ではとりあげられませんでしたが、ジャンル越境的な「ポップ文学」を体現する作家として古川日出男、桐野夏生、舞城王太郎、桜庭一樹がすぐれた作品を発表しました。
 ただ、より大きな目で見た場合、彼らがもたらした現代日本文学の隆盛期はいま、締めくくりの時期を迎えているようにも思えます。1976年の村上龍『限りなく透明に近いブルー』の登場からおよそ半世紀が経ちますが、本書で論じたような「ポップ文学」は文学の世界ではいまも傍流にとどまり、オーソドックスな純文学と、エンターテインメントに特化した大衆文学やライトノベルとの間の懸隔がむしろ広がっているように思えるからです。 
 本書のクライマックスは、著者自身としては1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教事件に対し、村上春樹がどのように反応したかを書いた部分にあると考えています。「ポップ文学」とは、アメリカ合衆国に由来する様々なポップカルチャーの影響のもと、その裏側に張り付いていた暴力 (あるいは政治)の問題を軽やかに扱うための方法論でした。でもそうした課題設定自体が戦後世代、つまり団塊世代から新人類世代までのベビーブーマー固有の問題に過ぎなかったことも、いまや明らかになったように思えます。この世代が後続世代から「ブーマー」と呼ばれ、そのライフスタイルの総体が批判されている現在、本書はすでに歴史的な役割を終えているのかもしれません。
 他方で、村上春樹と村上龍の登場が日本文学にもたらした画期は、いまなお有効と考えることもできます。たとえば韓国現代文学において村上春樹の影響は決定的であり、まさに「ポスト・ムラカミのコリアン文学」とでもいうべき状況が長く続いています。現代日本文学が世界の広範な読者に受け入れられるようになったのも、本書で論じたような日本文学の「ポップ文学」的な性質が、グローバル化する社会のなかで一定の普遍性をもちえたからでしょう。
 いずれにしても本書は、一介の現代小説ファンだったライターによる、世紀の変わり目における日本文学の状況についての副読本です。現在の新しい読者にとって、この本のなかで紹介した作家や作品と出会うための手がかりになれば幸いです。


【ご案内】
この文章は破船房より2024年9月1日に刊行する予定の仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』改訂新版のためのあとがきです。同社はすでにBOOTHおよびBASEの破船房オンラインストアにて予約販売を開始しています。どうぞよろしくお願いいたします。(著者)


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