見出し画像

INFJにとっての「マイワールド」とは何か?


INFJにとってマイワールドとは何か?

マイワールド。

それはINFJを理解する上で最も重要なワードだ。
いや、むしろ「マイ国家」と表現したほうがいいかもしれない。
INFJは自分の国を作りたいのだ。

INFJは「現実は現実として存在する」と認めている。
決して「現実はクソだ!だから自分の国に引きこもる!戦争だぁ!!」という思考ではない。
現実は1つの国であるという認識だ。
世界中にはいろいろな国があって、それぞれの国で常識やルールも異なるだろう。

だから「自分の理想vs現実」ではなく、「自分の理想and現実」なのである。
あくまでも理想が"自分の国"として存在しているだけで、「あそこの国はなくなるべきだ」とはならないのと同じである。
ただただ、現実世界という国とは存在を異にして自分の国が存在しているだけである。

現実には常識や普通、社会通念などがあることも認めているし、「自分が現実に生きているときはそれに従うべきである」という線引きもしっかりしている。



なぜそのようなマイ国家を作り上げるのか?

一言でいえば自己救済である。

現実という国に生きている限り、自分のあらゆる行動、発言、思考は現実国家の基準に照らしあわされて解釈され、評価される。
例えば、「 1+1=3 私はこれが心地いい!」と感じる心も、「いや、現実世界では1+1=2だから。あなたのそれは間違いだ。」とされてしまう。

現実世界に生きている限りは、これを甘んじて受け入れなければならない。
「正しさ」と「間違い」が現実世界に住む人々の総意によって定義され、客観的事実ベースに基づく完全性になってしまう。

自分がどれだけ「これがいいと思う!」と主張したところで、「いや、現実世界という国に生きている国民の多数はそれを良いとは思わないらしいので良くないということで。」となってしまう。
主観的世界に基づく完全性はどうやら現実世界とは相性が悪いらしい。

そしてどれだけ本などで知識を暗記しようが、自分より知識がある人は腐るほどいて、確固たる知識を集めてもそれ以上にも以下にもならない。
世界には一生かかっても読みきれないほどの本が存在するし、暗記した知識を使って長い時間かけて導き出した答えだって、現実世界から間違いだとみなされてしまう可能性もある。
ならば知識を自分なりに調理(解釈)して、正しさや間違いから離れた独自の創作世界を作りたいとなる。

だからINFJはどんどん自分の好きなものや、心地いいもの、考えたことを話したくなくなり、現実世界とは別の国を作り上げる。
自分の国ならば何を「正しい、不快だ、価値がある」と定義しようが自分の裁量だからだ。
これによって自分の言動に救いが出来るのである。



現実世界とマイワールドを分裂させる

このように、「現実では自分の精神世界を表現する事は出来ない」と知ったことにより、現実とマイワールドとを分裂させる。
「くそー!悔しい!現実で私を認めさせるように戦ってやる!」という怒りを通り越して、もはや諦めが発生する。
「現実は現実。私は私。」と割り切ってしまう。

このようにしてINFJの中でマイワールドと現実世界の2つが出来上がるのだ。



マイワールドを作ったことによって発生する事

INFJはよく、「浮世離れしている」「儚い」「ふっと消えてしまいそう」といった印象を与える。
その理由は今まで話した通り、そもそも現実世界に生きていないからである。

親が自分の子供が一番大切であるのと同じように、INFJは自分の国が一番大切なのだ。
だから現実世界に対するある種の冷めた"どうでもよさ"が存在する。

例えば日本人がアメリカに行って、「うわ!ピストル持ってる!違法だ!逮捕だ!」とはならないだろう。
「は!?英語話してる!日本語で話せや!!」とはならないだろう。
アメリカにはアメリカの法律があることを承知の上で旅行に行くだろうし、むしろ「へぇ~、アメリカって日本と違ってこういう特徴があるのか。おもしろいなぁ。」の方が大きいだろう。
仮にそこで発生した不快なことも、命に関わるものじゃない限りは「いいネタが出来た。日本に帰ったら友達に話そう~!」くらいにしか思わないだろう。

INFJもこれと全く同じ構造で現実とマイワールドをとらえている。
現実には現実のルールがあることを知っているし、「あ、現実ってこんなことが起きるんだ」という当事者意識に欠けた俯瞰的な感想が出てくる。
現実で発生した不快なことも、「いいネタが出来た。マイワールドを構築するための材料にしよう」くらいにしか思っていない。

INFJにとって現実は異国なのである。
現実が嫌いなわけではなく、現実に生きている実感が薄いのである。
ある種の離人症であり、マイワールドが自分にとっての現実なのである。

これはSeが劣等であることと関係があるのかもしれない。
世界をどこか俯瞰してみていて、実体験として没入感覚がない。
よって映画やドラマを見てるような感覚となり、マイワールド(自分にとっての現実)の構築材料として視聴するような感覚なのである。

このように、現実から分裂しているため、INFJの中での正しさはあるが、現実世界と照らし合わせた正しさや間違いなどは存在しない。
だからこそ現実世界からの正しさや正解の基準でマイワールドを「間違ってる」「正しい」と評価されることがとても嫌いなのだ。
現実世界では他者に対して柔和だが、マイワールドでは信念が強く頑固な理由がここにある。

「私は現実は現実として認めているのに、私の世界にまで現実の基準を当てはめるな!」と不快になる。
INFJの国に踏み入って、その世界を評価することは最大のタブーなのである。
アメリカに行って「日本語で話せ」と言っているのと同じなのである。

INFJは現実世界のアレコレに対して何も言わない。だから現実世界の人もINFJの世界に対して干渉しないでほしいのである。
国で言えばそれは領土侵略に等しいからだ。

これらがINFJの微妙な距離感の原因である。
現実とマイワールドの線引きが濃すぎるのだ。



「教祖」と勘違いされてしまうINFJ

INFJは現実世界を評価しない。
評価するのはあくまでも自分の国のことだけなのだ。
そしてマイワールドなのだから当然他人に押し付けることもない。

自分の国を「こういう国だよ~!」と発信することはあっても、決して「私の国が世界で1番正しい。お前も信じるべきだ。」と押し付けることは決してしない。
むしろINFJは自分の考える事すらも疑っている。
仮に他人に発信するとしたら「私の考えたこれは本当に正しいのだろうか?一緒に考えてくれないか?」といった発信になるだろう。

侵略者に対しては異常に厳しいINFJだが、国民になってくれた人にはとても熱意を持って自国の思想を話すのに熱心になる。

INFJの承認欲求というのは、現実世界の中に生きる自分を認めてほしいわけではない。
○○賞を取ったから、お金を沢山持っているから、地位が高いから、イケメンだから。
そんな現実世界の客観的名誉はクソほどどうでもいい。
そんなことよりもINFJは自分の国を認めてもらえることが何よりも嬉しいのである。

これが主な要因となって、現実世界に生きる人たちから見るとINFJ国は「宗教的だ」と評価されるのである。現実世界の"普通"の基準からかけ離れていることが気持ち悪がられる原因なのだ。

INFJはなにも「自分の国の国民になれ!」「現実はクソだ!」などとは言っていないのにである。
現実世界で趣味が同じ人が自然に集まるのと同じように、たまたまそれが思想的なものであっただけに過ぎないのにである。

現実世界で科学的な事実から理論が体系立てられるなら、人間の言葉にならない複雑な感情だって体系立てられるはずだと。事実が数字や形として目に見える理論はわかりやすいが、感情は不明瞭で例外が多く、主観に依るところが大きいためにどうしても宗教的に見えてしまう。



INFJドアスラム

このようにINFJが他者に対して優しくて、冷たいのは現実と自分とを「外交活動」として捉えているからである。
わざわざ他国と軋轢や不和を生みたくないだろう。
なるべく穏便に済ませたいはずだ。

INFJが現実世界に旅に出ているとき、ドアスラムが働くことはない。
先ほど例に挙げたような、「まぁ現実世界という国のルールだしなぁ・・・」で割り切ることが出来る。

ただ、他国からマイワールドに甚大な実害を被ったときや侵略されたとき、INFJは国交を断絶し、一切の貿易活動を即座に取りやめる。
これがINFJドアスラムの正体である。

INFJは現実に対して諦めが強い。
だから「私が世界を変えてやる!」などといった現実に対して熱い信念もない。
INFJはどこまでも「私の国はこういう思想だけど、まぁ他の国の思想は自由だしな」なのである。
自分の国に攻撃をしてきた時だけドアスラムという攻撃が働く。
「人は人!うちはうち!」とよく聞くだろうか、その感覚に近い。

世界の正しさについて、現実的に関わりたいと思うなら政治活動や社会学を勉強して、経済学者や社会学者、政治家を目指すのが妥当だろう。



さいごに

理解者が誰一人として得られないまま生きてきた人は逃避先としてマイワールドを形成しがちである。
仮に他国の人から差別を受けた時、「まぁ自分は日本人だからか」と、自分という存在への人格攻撃として解釈する事は避ける事が出来る。
現実ワールドを絶対視をやめ、「あ、この人は自分とは違う世界で生きている人だった」という自己救済の世界に生きている。

一般的に「暗い」と評価される人は、外の世界と切り離された所にひとりでいて、独自のルールと価値観、世界観を持っている事が多い。
周りと干渉しない分、その世界は洗練されていて、現実的ではないにしろ「独創性」がある。

目に見える明るさと内に秘めた明るさは異なる。
私も目に見える性格は暗い人間かもしれない。
しかしマイワールドではとんでもないほど熱く燃え滾っているし、
脳内ではえげつないほどの言葉が飛び交っている。
そういった意味ではとても明るい人間なのかもしれない。

とにかくINFJは生きずらい理由はここにあると私は分析する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?