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母のもったいない精神が教えてくれた、モノを大切にする気持ち
先週、母と二人で鹿児島に行ってきた。
鹿児島に決めた理由は、九州に行ったことがないのと、名物アイス「しろくま」を食べたいと言う安直なものだったのだが、食事もおいしく、緑も沢山あり、のどかでとても良いところだった。
旅の事についてはまた改めて書くとして、日刊かきあつめのテーマは「雨」について。今回は旅行中に買った、ビニール傘から感じたことを書こうと思う。
鹿児島旅行の最終日、朝風呂に入りに行った母がビニール傘を携えて戻ってきた。
ビニール傘は、出かけた先でどしゃ降りな時に仕方なく買うレベルで、余程のことが無い限り使わない。脆い、愛着が湧かない、間違って持っていかれるのが嫌で傘立てに入れられない…と良いイメージが無く、普段は布製の傘を愛用している。
雨だと言うことにテンションが下がりめではあったが、それ以上に「この(一日で捨てるであろう)傘を一日中持ち続けるのか…」と億劫に思う気持ちが強かった。
この日は屋久島での大雨のニュースが多く取り上げられていたが、鹿児島県でも、5月のひと月分の雨量を上回る量の雨が一日で一気に振ったほどすごかった。
激しい風雨によって、骨が何本か折れたビニール傘。「鹿児島空港に置いて帰ろうよ」と母に言おうとした矢先、チェックインカウンターで傘を預けているではないか…。
「まだ使えるし、捨てちゃうのはもったいないわよ。使ってみて、壊れたら捨てるんでも良いじゃない?」と言い張る母。
「次に使った時、壊れるかもしれないもの持って帰るなんて労力のムダじゃん…。」と、疲れとイラつきで、ついボヤいてしまう。
現在、断捨離中のわたしにとって、母の「いつか使うかも!」と言うモッタイナイ精神の強さに、少しうんざりしていたのかもしれない。
カウンターで言い合っても仕方がないので、わたしが引くことでその場を収めた。
羽田空港への到着が遅れ、地元駅まで出ているリムジンバスの出発時刻が間近に迫っていた。
なんとか間に合いそうだ…!と、キャリーバッグを受け取り、出口に向かおうとしたら、母がまだベルトコンベアを見つめていた。(しまった…傘も預けていたんだった)
わたしはここでも「傘が無ければバスに間に合うのに。」と、またボヤく。結果、ギリギリのところで間に合ったので、母を責めてしまったことに反省した。
帰り道のバスでぼんやりと手元にあるビニール傘を見ていたら、丁寧に紐でくくられて、こわれものシールまで付いているではないか。
わたしがもう「不要」だと感じていたものに、多くの人の手が加わり、鹿児島から遠路はるばる東京まで来たことを思うと、急にビニール傘に対して愛おしい気持ちが芽生えた。
思えば、急遽の雨をしのいでくれて、風が強すぎて差してものの1分で骨が何本か折れたけども、懸命に風雨から守ってくれたし、まだ使える。
捨てる事が必ずしも「良い」訳じゃないなぁ…と思えた。
高いもの>安いもの、ではなく、安価だからと言って、使い捨てのように考えず大事にしようと思った。持って帰ってきた傘は我が家の傘置き場に仲間入りしている。
思わぬタイミングで、モノを大切にする気持ちを学ぶことになった旅だった。
編集:円(えん)