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【仙石線廃線めぐり③】道路に残る踏切跡

仙石線廃線めぐりの第3回目、今回は、榴ヶ岡駅を出発し、宮城野原駅までの痕跡を探します!

宮城野原駅寄りは廃線跡がそのまま駐車場になっているところや、踏切跡が道路に残っている部分があり、鮮明に当時をイメージできました!

「仙石線廃線めぐり」では、2000年に地下化された仙石線の、地上時代の痕跡を紹介していきます。 第1回では、仙台駅構内に残る廃線の痕跡、第2回では変わった踏切跡などを紹介しました。ぜひこちらもご覧ください。

それでは旧榴ヶ岡駅を出発!

柳の目踏切

榴ヶ岡駅を出てすぐのところにあるのが、「柳の目踏切」ですが、正確な場所はわかりませんでした。

というのも、廃線間近の前面展望動画の時点で踏切が映っておらず、踏切を構成していた道路もなくなっていたためです。廃線となる前から整備が進んでいた宮城野通の工事によって、早い段階で廃止になっていたのかも知れません。

撮影当時ここに踏切を示す平板はなかったので、航空写真を元に推定した大体の場所を写真に示しています。(現在は平板が設置されているようです。)

踏切を過ぎると、線路跡は左手の住宅地の方へ入っていきます。

第二悪水上踏切

住宅地に入った先は道路と並行しています。写真には写っていませんが、左手には榴岡公園があるところです。線路跡は、左側に見えるアパートや住宅群、一部この道路にも転用されていると思われます。

このエリアにあるのが「第二悪水上踏切」です。この踏切は個人宅専用の踏切だったそう。写真の向きで言うと、右側の道路から左側にある個人宅へ入るための踏切だったそうです。 現在はこの個人宅も踏切の痕跡もありませんでした。平板は榴岡公園の柵に設置されています。

榴岡公園

榴岡公園は桜の名所として有名です。仙台藩四代藩主の伊達綱村が京都から取り寄せたシダレザクラなど1000本あまりをこの地に植えたのが始まりと言われていて、桜の時期は大勢の花見客で賑わいます。

明治時代から戦時中には陸軍の歩兵第四連隊が置かれ、兵舎の一棟を移築した歴史民俗資料館もあります。

荒浜街道踏切

榴岡公園に沿った住宅地エリアを抜けたところにあるのが「荒浜街道踏切」!クロスする道を奥側に進むと宮城野原公園総合運動場(楽天生命パークなどがある)にたどり着きます。

ここで興味深いのは、道路の舗装。明らかに線路跡に沿って、道路の舗装を継ぎはぎしたような跡がありました。道路に対して斜めに踏切があったことがしっかりと分かります!

踏切の両脇は駐車場になっています。中でも面白いのは、宮城野原側の駐車場。線路跡らしいゆるやかなカーブが、そのままに駐車場へと転用されていました!

奥が榴ヶ岡方面


駐車場を抜けると別の道路沿いまで出てきます。

宮城野踏切

道路と並行した後に現れるのが「宮城野踏切」です。仙台から数えて9つめ、旧宮城野原駅前最後の踏切で、道を挟んだ向かいには仙台育英学園が見えます。

ちなみに、現在の仙石線は育英学園の反対側の道の地下を走っています。この踏切から先、線路用地は住宅に転用されていました。

旧宮城野原駅

旧宮城野原駅に到着です!
写真の右側、アパートになっているところから奥に向けてホームがあったそうで、この道には「東街道踏切」があったようです。
駅に到着する直前や出発直後の電車がゆっくりここを過ぎていたのでしょう。

まとめ

第3回は榴ヶ岡から宮城野原まで歩いてきました。仙台-榴ヶ岡間に比べると、廃線跡をそのままの形で転用している場所が多かったです。

荒浜街道踏切周辺で線路の痕跡を見つけたときはテンションが上がりました!榴ヶ岡-宮城野原間は、現在の仙石線よりも駅間が短くなっているので、あっという間です!是非歩いてみてください!

次回は、廃線紹介最後の区間である宮城野原-陸前原ノ町駅間を紹介します!

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