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何故人は大勢と同じ事をしたがるのか?

皆さんは、
何故人は大勢と同じ事をしたがるのか
と考えたことはありますか?

よく目立つと人に嫌われる、というのがあります。
この目立つというのは、人と違うことを示します。
主に二つあげられます。

まず、その人の能力が突出している時。
色々な事ができる・才能がある・頭が良い。

こういう人に対して大衆が抱く感情が、

『妬みと羨望』

妬む
憧れる
といったもの。

そしてもう一つ目立つ行為が、
能力が著しく劣っている。
何にもできない・弱そう・無能。

こういう人に対して大衆が抱く感情が、

『疎み』

蔑み、あるいは侮り。

この両極端どちらかに位置すると、
憧れは別として
人は負の感情を抱かれやすい、
ということです。

人間は自分が負の感情を抱かれることを望みません。
誰だって嫌われたくありません。

でも妬まれると疎まれるとでいうと
どちらかというと
疎まれるの方がもの凄く嫌悪されます。

ものすごく嫌悪されるということは
無能にみえる方が、
いじめのターゲットにされる確率が
高いということです。

だから人というのは、
無意識にそれらを自覚しているが故に、
無能ではないフリをします。

見た目とかを綺麗にしたり、
出来るフリをしたり、
見栄をはったり、

とにかく
ターゲットにされないように
疎まれないように振る舞う。

でもやり過ぎると、
今度は妬まれる方にいってしまうので、
とにかく平均にいたがる。

そうすることが正解だと思ってしまう。

群れを作って、
みんなと同じことをしていれば安心感がある。

誰もが劣っている方にいくのが嫌。
劣ってない方も色々いわれるから嫌。
だから平均にいたがる。

これに慣れてしまっている人は、
その状態が当たり前だと思ってるので
苦痛はありません。

だから楽しく人とおしゃべりができる、
今まで当たり前のようにやってきているのだから。

でもこの感覚に違和感を感じる人。
私のように3人以上の輪の中にいると、
だんだん自分がなくなってくる感覚におそわれる、
何しゃべっていいのかもわからない、

しゃべってても何しゃべってるのかわからなくなる人。
こういう人は平均にいることができません。

平均内に自分をおさめられないので、
妬まれる人か疎まれる人か
どちらかよりになってしまいます。

私は疎まれる人でした。
だから嫌がらせを受けたりする、
よく大人しいといじめにあうとかいうじゃないですか。
違います。

自分より大人しそうな人なんて沢山います。
大人しいでも平均内にうまくおさめてる人は
いじめの対象にはなりません、
平均からはずれてる人がターゲットになる。

あとは、
この平均内というのはポジション争いが常にあります、
だって安心安全ですから。
みんなそこにいたいんで。

ポジション争いは常にあり、
ポジションの入れ替わりもとても激しい。
その戦いに疲弊した人、
そしてそこから蹴落とされた人も
平均内から外れていきます。

ちょっと話しがそれてしまいました。
話しを元に戻します。

とにかく平均にいたがる。
そこにいると安心感がある。


とするならば


平均内にいる人は
能力の高い人の足をわざわざ引っ張るのは何故か。

能力の高い人が
次から次へと出てきたらどうなりますか?

平均値が上がります。

テストの点と一緒です。
高い点の人が多ければ、平均点も高くなります。
平均値があがるとまずいんです。

というのは、
自分が能力をあげないといけなくなるからです。
平均値が上がると、
自分の立ち位置が下がってしまいます。

例えば、
自分は50の能力しかないのに、
平均値が70とか80とかになるとマズいんです。

だって平均より下の自分になってしまうからです。

先程もいいましたが、
妬まれるより疎まれる方が嫌悪されます。
そしてターゲットにされる。
だから平均より下になることは
あってはならないと思っているはずです。

でも自分の能力は50しかない、
じゃあどうすればいいのか?

能力のある人を引きずり下ろせば、
平均値は下がります。

自分の能力を上げようとする努力はせず、
能力が50しかない、
そのままの状態でなんとかしたい。

そんなことせずに、変わればいいじゃないか?
自分の能力をあげる努力をすればいい。
という話しになるのですけれど…

こんなに巷で
色んな人が
色んな本が
自分を変えよう変えようと言っているのに、
何故ちっとも人は変われないのか?

変われる人も勿論いますよ。
でも変われない人いるじゃないですか?
どうしてだと思います?


変わらないことが、
命より大事だと思っているからです


いやいやそんなことないでしょう。
なんだかんだで
命より大事なものなんてないでしょう。

って思うじゃなですか。

命より大事なんです、そのままでいることが。
捨てられないんです、そのままの自分が。
いるんです、そういう人が。

変わるということは
ある意味何かを捨てなければいけません。

それはプライドだったり、
名誉だったり、

でも捨てられないんです。

自分で自分のことを
いい風に解釈してしまってますから、

「ありのままの自分でいい」
「そのままの自分でいい」
「生まれながらの自分でいい」

まぁなんとも都合のいい、
誤魔化しのきく言葉がありますよね世の中には。

変わるということは、
今までの自分を自分で否定することだったりするので、
自分の価値観が全てだと思ってる人は
これをなかなか捨てられません。

でもよく考えてみて下さい。

「ありのままの自分でいい」ということを
許される人間なんてそうそういません。

よっぽど人間できていないと。
ありのままで、
そのままで許されるという人間は
既に相当な努力や経験をしている人のはずです。

でもそんな人間なかなかいません。

だから変わらない人というのは
本当に天変地異といったとんでもない出来事でも起きない限り、
自分の常識が壊されるくらいの出来事が起きない限り、
そのことに気付きません。

そういう人が大勢いる。

そしてその大勢の人間は大勢と同じ事をしたがる。
というのが私の考察になります。


あとがき:
そういえばこの前のほんまでっかTVで
根に持つ人で南海キャンディーズの山ちゃんが出てたのだが、
何だか話を聞いてるうちに

ん?

何だかウチの旦那と似てない⁇

ウチの旦那、記憶力いいんです。
私はそれに対して尊敬してるし、
規格外扱いされてきた人だから
それをバネに色々頑張ってるのを知ってるし、

でもこれ観て

「…まさか
山ちゃんと一緒…?」

と聞いたら

案の定
「そうだよ」

と言いおったー😂

マジか。
うぅーんでもなんだか複雑🫢

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