【愛とは何か?とりあえず蟻になれ】
愛って何だろ。
一度は考えてしまう言葉。
知ってるようで知らない
これは私の個人的な見解となりますので
ご承知下さい。
その前に
愛の反対はなんだと思いますか?
よく無関心とかいいますよね。
では愛の反対が無関心であるならば、
愛は承認ということになります。
無関心ではなくて
関心を持って欲しいということになるので、
承認欲求が第一の人にとっては
愛の定義はそうなります。
無償の愛という言葉もよくききます。
そういうからには有償の愛があるのか?
少なくとも無償とわざわざつけるからには
特別な意味がこもっています。
一般の愛と差別化をはかっている。
いわゆる入場料無料のようなもの。
一般的には
入場自体は無料では無く有料であるから
入場料無料という言い方をするわけなので、
それに似た感じにみえます。
しかし、
この無償の愛が
見返りを求めないものとするならば、
有償の愛には見返りを求めるものになるので、
そもそもそれは愛なのか?
無償の愛もまたそれは誰に対してなのか、
自分の大切な人だけに与えるものならば
それはただ単に
エコヒイキといえないだろうか。
愛とは…
一応ネットでざっと調べてみました。
他の人は
愛をどういうものだと思っているのだろう?
と調べてみてみると
まぁ簡単にあげていきます。
愛とは相手を尊重するもの
愛とは相手に与えるもの
愛とは相手を大切にするもの
愛とは相手を理解するもの
愛とは相手を支えるもの
と出てきました。
noteで愛とは何かをAIに聞いた方がいて、
その答えもほぼ同じようなことを言っています。
でもこれって裏を返せば、
全部それが欲しいってことですよね。
尊重されたくて、
与えられたくて、
大切にされたくて、
理解されたい。
それも特別に自分だけ。
理解しないと愛にならない、
尊重しないと愛にならないわけですから、
自分が他人から与えられる愛も
同じ定義ではないと納得しないでしょう。
これ、
当の本人ならまぁ気分がいいんでしょうね、
特別扱いの上、なんでも貰えるわけですから。
でも客観的にみると、
正直にいいますね
ひねくれ者と思われるかもしれませんが、
欲しがりすぎて気持ち悪いな、と。
私にも承認欲求はありますが、
いくらなんでも欲しがりすぎかな、と。
あくまでも個人的にな意見となります。
とすると…
愛はあってないようなもので
その人の主観でしかありません。
善も悪もそう、
正義もそう、
美人もブスもそう、
主観でしかない。
昔流行った格好なんて
今見るとダサい、になるのは主観だから。
時代によってコロコロ変わる。
主観でしか無いと言うことは、
実は存在しないということ。
じゃあ何故、
愛という言葉があるのか。
それは求めるから。
みんな愛を求めている。
みんな愛されたい。
しかし
求めるだけの価値がその人にはあるのか
愛されるだけの人間になれているのか
そこをすっとばして、
綺麗な言葉で己の欲望を隠し、
しれっと当たり前のように
それを求める行為は
ただただ自分の気分にあわせてくれる
ロボットを要求しているようにみえます。
ということで、私があえて
そういった体での愛を定義づけるのなら
それは
呪い
ですかね。
愛とは主観であり、人の呪い。
だから可愛さ余って
憎さ百倍なんてことが言える。
ではここからが本題。
本当に愛なんてないのか?
さっき私は主観であるならば、
存在しないといいました。
その人その人によって
愛の定義がかわるわけなので、
そういった意味では
存在しないといっていいでしょう。
しかしこの愛とやらは
人間都合で考える
まがいものの愛だとしたらどうでしょう。
本物はどこにあるのか?
それを知るには
我々は蟻になるべきだと考えます。
タイトルでも書きましたが、
別にこれは蟻でなくてもなんでもいい。
ゾウでもいいし、アメーバでもいい。
虫でもいいし、細菌やウィルスでもいい。
それらの目線で立ったら、
何か見えてきませんか?
全ての目線で考えた時に見えてくるもの、
少なくともそれは
人間ご都合主義を捨てなければ、
おおよそわからないようになっています。
人間目線を捨てて、
全ての目線に立ったその先に
本物があると思いませんか?
あとがき:
私「ねぇ愛の反対って何だと思う?」
旦那「愛だけに……」
私「え?何?」
旦那「愛だけに、 い あ 」
あい→いあ
もぅ本当にね、呆れましたよ
何言ってんだコイツ…
しかしこれもまた真実…🤪
因みに人間目線やめないと最後の方は
意味がわかりません。
悪しからず。
2024年5月加筆修正