エッセイ 今年も、どうしましょう
(1800字程度)
どうしましょう。皆さん、どうしましょうか。2023年も年の瀬です。言ったところで何が変わるわけでもないのですが、とりあえず、どうしましょう。毎年言ってる気もするのですが、今年も、どうしましょう。
今年は卯年だってさ、ぴょんぴょん飛び跳ねるのもいいけど、もともとがそんな柄でもないし、僕らは僕らで地に足つけてじっくりいこう。
そんな話をしていたのが今年の正月。季節も、あれから一巡り。また冬がやって来ました。あの無駄話をしたのは一昨日だったか、それとももう三日以上経つのか、などと考えていたら、驚きの、一年。
時の過ぎるのは本当に早いものです。それも、年々、加速度的に早くなっていく。来年はパリオリンピックなどもありますが、今のうちからその次のオリンピックもセットで覚えておいて、それでちょうどいいぐらいかもしれません。
それでも結局、口のしている気もしますけどね。皆で互いに口にすると、安心できる不思議の言葉。
全く早いもんですね。どうしましょう。
さて2023年、一の位が3ということもあり、わたくし、ある時、あることに、気がついてしまいました。
「なんてこった!夏の日の1993からもう三十年じゃないか!」
そしてあれから三十年。
確か気温の低い夏の年で、米を輸入するかどうかでだいぶ紛糾していた記憶もある。
自らの記憶を否定するなどもはや欺瞞。否定するには堅固過ぎる事実。
そうなんですね。あれから三十年、すでに経ったのです。
そんなわけで、今年一年全体を通して、三十年という期間を一つの区切りとしてつらつらと考えることが増えました。例えば、年が明ければ、「ロマンスの神様」からも三十年です。内田有紀の主演の「時をかける少女」からも三十年。いつの間にか、三十年前の出来事を思い出すまでに、さほど時間もかからなくなってしまいました。能力の無駄遣いとはこういう事を言うのでしょうか。
さて、そんな遊びにたわむれていると、更に衝撃的な事実に気がついてしまいました。
「キル・ビルの公開から20年!?田中将大が24勝を挙げた、楽天の日本一からもう10年!?もうやめてくれ!涙が出ちまうだろうが!」
いかがでしょうか。驚きですね。当たり前のことなのですが、2003年から20年、2013年から10年の月日が経つ訳です。
単に数字で見るだけなら、どうと言う事もないかもしれませんが、具体的な出来事と共に振り返った途端、頭をガツンとやられたような衝撃を感じます。
そして、月日がたったというその事実だけでも驚きなのですが、さらに注目すべきは、現在地から近ければ近いほど、自分自身の感覚と実際に経過した時間との間に、大きな開きがあるという事です。
もちろん驚いてしまうのは不可避なのですが、「夏の日の1993」から三十年、と考えたとしても、「そうかー」としみじみと感慨に浸った後、「言われてみればそうだねー」と言う風に、案外あっさりと受け入れてしまえるようにも思えます。
しかしこれがマー君のヤンキース移籍から10年と考えた途端、「そんな事実があり得るはずがありません」と、冷たく拒絶してしまいそうにならないでしょうか。
他にも様々な出来事が2013年にはありました。文学に関する出来事だと、アリス・マンローがノーベル文学賞を受賞したのが2013年。村上春樹が「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を出版したのも2013年。「恋するフォーチュンクッキー」の発売も、2013年だったんですね。個人的に驚いたのは、「アデル、ブルーは熱い色」がカンヌでパルム・ドールを獲ったのも2013年だったということ。一瞬、意識が遠のきました。
これだけ挙げれば分かっていただけるのではないでしょうか。
30年前の出来事より10年前の出来事の方が、それだけの時間が経ったとは思えないのです。
このことには本当に驚きました。驚きましたし、同時に、キリがないなとも思いました。近い過去ほど実際以上に近く感じる訳ですから、私が今、過去の出来事を聞かされたとして一番驚かされるのは何年の出来事かとなると、それはもちろん去年の出来事な訳です。
去年の出来事となると。確かに早くは感じることでしょうが、さすがに何の感慨も起きないことでしょう。
そんなこんなで、10年、20年、30年と過ぎていきました。そして、去年の年末からも、また一年。やがて年が明ければ、正月からも同じく一年。
こんなことを書いている間に、気付けばすでに26日。全く、全く早いものです。どうしましょう。