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エッセイ もの言わぬソナタに渾身のブラヴォー
今回は上手く書けたと悦に入るのも束の間、後になってしっかり読んでみると、どこか新鮮味に欠けるところがある。おかしいなと思って違和感のもとを探ってみたら、何とまあ、全体の構成が同じ。
皆さんは、そういうことってありませんか。私なんかはしょっちゅうなので、最近では、うまく書けてるなら構成が同じでどこに不都合があろうかと、開き直っているところすらあります。文章どうこうの前に、気迫で自分を正当化する、気持ちのこもったその姿勢。甲子園で投げてる高校球児なら見上げたものなのでしょうが、四十半ばの雑文書き、早急に見直すべきかもしれません。
しかし、何はさておき、ソナタ形式の万能さよ。
音楽に疎い方でも、ソナタという言葉を耳にした事くらいはあるはずです。冬のソナタなんてドラマもありました。若い方には、ご存知ない方もいらっしゃるんでしょうか。恋愛ドラマの王道の様なドラマでした。
冬のソナタの例を上げずとも、ソナタという言葉の伴うタイトルというのは、世の中にわんさかと溢れかえっていますね。しかし、その内容を理解されている方は、意外と少ないのではないのでしょうか。このソナタ形式なのですが、実は文章に応用すると、勝手に文章全体が盛り上がっていくという、非常に使い勝手の良い優れものなのです。
形式自体を調べれば納得頂けると思うのですが、Aに対してBがあり、反復があり、それを踏まえた展開がありと、ここで詳細を述べる事はしませんが、これで盛り上がらないはずがないんですね。試しに、ベートーヴェンの交響曲第5番を聴いて頂きたい。ソナタ形式でできている第一楽章と第四楽章を聴けば、その盛り上がり方に、あなたも音源に向かって拍手喝采せずにはいられないでしょう。大丈夫です、うんともすんとも言わないCDに向かって、数え切れぬほどアプローズを送って来た私がここにいます。恥ずかしがることはありません。仲間が増えるだけです。その、仲間に入るのが問題なのだと言われれば、返す言葉もないのですが。
しかし、このソナタの素晴らしさよ。実に、特筆すべきものがあります。冗談っぽく書いていますが、これが案外本気なのです。
この記事を読んでくださっている皆さんにも、機会があれば試してみて頂きたいです。
同じテーマでも、構成次第でこうも変わるのかと感じていただけるはずです。文章、特にこういったエッセイ風の文章においては、構成がいかに大事か、考えさせられることしきりです。
それはさておき、ソナタと名のつくタイトルの多さといったら、なぜこんなに多いのでしょう。三部形式とか変奏形式とかに比べて、圧倒的に多い。
恋の三部形式。違和感だらけで、逆に気になりますが、これが映画のタイトルなら、間違いなくミニシアター系でしょうね。映画館に行ったら、スラムダンクのポスターがあって、ワンピースも隣にあって、も一つ隣には、恋の三部•••ないな。なんか知らんが、あってはいけない気がする。
恋の変奏形式。ん?待て待て、そんなはずない。恋の変奏曲。おいおい、これは黙って見過ごせねえぞ。いかにもありそうじゃねえか、と思いましたが、これは多分ダメダメなやつの話ですね。あっちで女をつくり、こっちで女をつくり、女を泣かせながら、更に変奏を繰り返す。あれ!これって源氏•••な訳ないですね。ものが飛んでくる前に、戯言もこのあたりにしときましょう。
形式とは少し異なるかもしれませんが、最近ではカノンという言葉もしきりに目にしますね。カノンコードにしても、あそこまで普遍的にバッチリ決まるとなると、その潜む力には、時代を超え、国を越え、もはやヒトという種に訴えかける何かがあるのではないかと、勘繰ってしまうほどの素晴らしさです。
ソナタ形式にも、そんな、どこか秘められた魅力の様なものを感じずにはいられません。
もっともっと、たくさんの美しいソナタに、拍手を送りたいものです。もちろん、うんともすんとも言わぬ、CDにも。
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