怒りを赦すということ
不定期に訪れる「普段は周囲からちょっと引かれ気味なくらい楽観的なムーブ決めるクセに不意に何か一つでも不安を感じるとそこから全ての事柄において心配になって不安になって抜け出せない時期」、世間では「そわそわタイム」として認知されていますが、今まさにそんな感じです。
冒頭からよくわかんないこと言い始める癖をなんとかしたいとは思っています。思っているだけです。
前の記事にも書いたのですが、ここ最近は本当に自分のメンタルコントロールが下手になっている気がします。人との距離感も、仕事への向き合い方も、一人の時間でさえも。
季節の変わり目だからですかね。ただでさえ体調が気圧に左右されがちな民なので、いやはや、どうしたものかと柄にもなく考えております。
でもアンガーマネジメントに関しては相変わらず絶好調といいますか、高校生の頃からずっと変わらず穏やかものです。
怒るのって、本当に疲れるので苦手です。
とは言え叱るのと怒るのは違いますのでね、仕事の上でどうしても必要な時はちゃんと言います。文面でも、言葉でも。
今回はそんなお話にしようかと。
最近、なにかに怒ったりしましたか?
不平不満を吐き出すのとは違う、真っ直ぐな怒りとでも言うのでしょうか。噂によるとスーパーサイヤ人になる為には純粋な怒りが必要とのことですが、生憎と純度100%の地球人なもので、怒りってあんまり身近なものじゃないと思っています。あくまで私の場合ですが。
言いたいことは言うべき。
そりゃもちろんですよ。
言いたいように言えるならね。
言葉を選ばずに、思うままに相手に言葉を叩きつけて良いのであれば、きっと容易く人を傷つけてしまう自覚があります。それはきっと私だけではなく、他の誰にもがそうなのだと思います。誰かに傷つけられた経験があれば、それは尚のこと捗ってしまうのだと。
だからこそ言葉を選んで、伝えなきゃいけない部分を切り貼りして、順序を考えて伝えるようにしています。感情は二の次ですよ。声色に出てしまう部分は、ご愛嬌ってことで。
でもそれならロボとかAIにやらせたら良くね?なーんて考えてしまうのですよ。
読み上げソフトで伝えた方がラクよ。
疲れないし、ハッキリ伝わる言葉だし。
入力したもの読んでくれるんだべ?
しかしそうはならんのですな。
これをこうしたら、叱られた。普段ケタケタ笑ってるアイツが鬼みたいな形相で、すげぇ照準語で。反省しなきゃなぁ。と、一瞬でも思ってもらわないと繰り返すだろうと。
やっぱり叱られたのって覚えてるじゃないですか。優しく伝えてる内に解決すればそれに越したことはないんですけどね。
そうやって覚えてもらうことも必要なんだなと、今の役職になってから改めて考えるようになりました。
叱ってくれる人がいる間に。10代の頃はまるで賛同できませんでしたが、今になって痛感する日々です。
怒らず、怒られず、怒らせずな日々を過ごせたら良いなぁって思いました。
とっぴんぱらりのぷう