見出し画像

ドイツ逃避行2024 ❻ベルリン3日目

ドイツに行きたしと思えども、ドイツはあまりに遠し。
されど、戯言ならべる暇などない、いざ逃げよ。

10/17(木)ベルリン3日目


たしか8時半時頃に起床。
疲れてて二度寝三度寝をした気がする。お腹が少し空いていて、煮干しを食べた。

今日はカーリーさんが以前ホームステイさせていただいたJさんとWさんと一緒に観光することになっている。
お二人はベルリンではなく、エアフルトとハレあたりに住んでる。僕たちがベルリンに来ると聞いて、わざわざ会いに来てくれるのだ。
さらには、この翌日にベルリン出身のWさんのご実家にお呼ばれいただけることになっている。本当に至れり尽くせり。

カーリーさんがJ&Wとやりとりして、今日はシェーネベルク区庁舎で待ち合わせをすることに。
出発準備をしていると、宿のアイドル犬マルチーズが部屋に入ってくる。ナデナデ、コネコネと触らせてもらう。至福。

この日Prenzlauer Alee駅からSバーンの環状線、反時計回りに乗ったっぽい。記録が残ってなかったのだけど、景色の写真、降りたところから推測するに間違いない。
Googleマップ的には、右回りの方が早かったみたいだ。
降りた駅はInnsbrucker Platz、駅の壁にはschöneberg の紋章のような石板が飾ってあった。駅を出て交差点、すれ違った男性が、iPhoneに何かをブッ刺して分解していて、最後力ずくでバキッとひらいた後、中から何かを出して、ガワをそのままゴミ箱に捨てていた。怖(core)。
シェーネベルク区庁舎まで10分ほど歩いたと思う。区庁舎の隣には大きな公園があって、金鹿像あり。ポカポカ陽気が気持ちよくて、結婚の前撮り?的なことをしていた。前撮りって海外でもするんだろか。

由来などは見つけられず、鹿

J&Wはまだ少し遅れるらしいので、シェーネベルク区庁舎のなかを見学することに。
区役所内の食堂に用があるのだけど、区庁舎も観光できるようなので潜入。
気のせいかもしれないけど、高天井のロビーはバビベル冒頭で見た気もするけど…いずれにせよ、かっこいい。壁や柱の彫り装飾やらステンドグラスに興奮していた。
ロビーにはシェーネベルク区の歴史、区内の企業や組合?についてが木製ボードで説明してあった。

区庁舎とはいえ絢爛
組合の紋章かな?

この区庁舎内にユダヤ人の歴史資料コーナーがあるとのこと。標識に従いずんずん進んでいく。途中でバビベルでも見たようなグルグルと回る止まらないエレベーターを発見。止まっていた…。どうやら事務所棟は全体的に工事中だった。配線剥き出しで、工事業者が歩き回っていた。事務所棟は、廊下と幾つもの小部屋が並んでいるのみ、ドアも閉まりっぱなし。ドアの表札を見たが、担当者の名前と機関の名前。この機関が区庁舎の部署名なのか、それとも外部機関のサテライトとしてここに場所を借りてるのか、さっぱりわからない。
来訪者とかいるのだろうか。ずらっと並ぶドアが開くことはなく、ひっそりとしている。廊下を越えれば、同じように別の廊下が続き、同様にひっそりとドアが閉まりきっている。廊下の先にまた廊下。ほとんど景色が変わらない。
いささか迷路めいたところがあり、お手洗いで別れたカーリーさんの帰りが遅いので、探しにいった自分が迷子になりかけた。無事合流。
資料館は、亡命したユダヤ系の方々の写真付き資料が冊子でズラリと展示されていた。またグラフィティノベルなど、学校での校外学習にも使えそうな学習キットも用意。

動いてないんかい
明るいホールのような部屋

そろそろJ&Wが到着すると聞いてロビーに向かう。玄関で待っていて、大きなリュックを背負った男女に後ろから声をかけられた。
Jさん(ドイツ人男性、エンジニア関係)とWさん(ドイツ人女性、環境エデュケーター)のお二人到着。カーリーさんの感動の再会(3ヶ月ぶり)、そして僕の自己紹介。
Jさんはもみあげとヒゲが繋がっており、そのミドルロングヘアーを後ろで束ねて、SAMURAIといった感じだった。
Wさんは、話せば話すほど、もはや口から明るさが溢れ出てしまうような人だった。カーリーさんは、こんな素敵な2人に偶然にもホームステイできたなんて、とてつもなくラッキーなことだったな、と感じる。

さて、ご飯でも食べようかなとなって、お目当てのシェーネベルク市庁舎の食堂であるRatskeller Schönebergへ。ここはカーリーさんが前から目をつけていたところ。バビロンベルリンでロケ地として使われた場所だ。
入場すると、大漁裸男児(造語)の彫刻。景気がいいね。

脇にピチピチと抱え
コレコレー!

1130ころ。
ほぼオープン時刻だったので、まだ空いていた。テーブルが整然と並べられたホールを抜けると、キッチンコーナー。ここで欲しいものを注文するらしい。黒板には5つくらいメニューが載っていた。

その日のメニュー、安い…
右で注文し、左のレジへ
食べ終わる頃には混雑、人気なのね


肝心な料理の写真を撮り忘れた、致命的。
注文したのは以下の通り。

僕(カバヤ):Hühnerfrikassee、サラダバー、ぶどうジュース
カーリーさん:トマトソースのオープンサンド(メニュー表なし)、サラダバー、アップルジュース
J&Wさん:Grießflammerie、チェリージュース

Wさんに事前に説明してもらったところ、fricasséeはチキンのなにやらクリーム煮的なもの。「頼んでもいいけど、昔お父さんに作ってもらって私はクセがあるなと思ったのよね笑」と言われたんだけど。でも、気になって注文することに。僕がこんなふうに忠告を無視しても、うんうん、いいじゃん試して感想教えてよ!って感じ。最高。明るくていいな。さらに注文まで全部してくれた。
サラダバーは、お皿に食べたいサラダを載せて、グラム単位で会計する感じだった。

さて、気になるお味なんですが、僕の食べたfricasséeは、ほんと日本のクリームシチューですね(まとめサイトのような文章)。
フリカッセというのを初めて知ったけど、どうやら食材を最初に炒めてから煮込むクリーム煮で、ほとんど日本のクリームシチュー。それにチキン、キノコ、白アスパラ、ケッパー。そしてご飯にぶっかける。めちゃ美味くて好きだよ、というと面白がっていた。カーリーさんも日本人には好かれそうな味だねと話してた。
オープンサンドはメニューになかったんだけど、冷蔵ケースに並んでいた。美味しそうで一口もらったけどそっちも正解だった。
ところでJ&WさんのGrießflammerieは、あったかいフワフワのヨーグルトというか、パンナコッタみたいなものにチェリーのソースがかかってる。そして、デカい。ボールのような皿。一口もらったけど美味しかった。J&Wさん、ジュース含めチェリーづくしだ。

ここの建物の話をして、これはユーゲントシュティールなのかな?とか、ちょっと違うかなとかいう話をしてた気がする。Wさんは大学で美術史あたり専攻していたので詳しい。
ベルリンでは何してたの?と聞かれ、この2日間の話をする。Wさんはニコニコしながらフンフン頷き、Jさんは美味しそうに食べながら聞いてる。美術館はどんな展示が面白かったかと言う話題になり、カーリーさんがダンスの映像の話をした(前々回の日記参照)。
僕たちは身振りとかも含めて説明すると、そのコンセプトを理解してくれた(または読み解こうと考えてくれた。)
Wさんは、ハンブルガーバーンホフ美術館で昔見た面白かった展示について話し出した。10年以上も前だと思うし、アーティストの名前も忘れてしまったけど、写真の展示だった。
楽しんで見ていたのに、最後になってその作者はすでに亡くなっており、その人は生前公開しなかったものを勝手に知人が展示をしていた事実を知らされたそうだ。本人の意思なきままに勝手に展示された作品を前に「これってArtとしていいの?」と感じたそうだ。
なんかカフカみたいだなと思ってると、Jさんはスプーンを止めて、「それまるでカフカみたいだね」とまさしく言ってくれた。
そのままカフカはドイツ語で書いたんだよね?みたいな話をして、僕がボロボロの引き出しから朧げな記憶で補足したけど、ググったら色々間違っていた。
僕は赤ちゃん英語で時々参戦する程度だけど、聞く分には意外に理解できた。

1230頃。さて、どこに行こうかね。まったくのノープランでみんな集まった。
僕たちはミュージアムパスがある、と言う話をするとJさんが、技術博物館が面白いよ。とても、半日じゃ回りきれないほどだよ。と教えてくれた。そこは僕たちも気になってたとこなので、みんなで向かうことにした。

駅へと向かう途中、不思議な標識を見つけて写真を撮る。なにか印鑑のマークのよう。

道端のポールに突然の標識

カーリーさん含むドイツ語チームが案内を読んで説明してくれる限りでは、この標識の前にある家には、公務員のユダヤ人が住んでたっぽい。ナチス時代となり、かれは仕事も何もかも奪われたそうだ。
シェーネベルク区庁舎に資料館があった関係からか、区庁舎付近はよくみるとこんな標識がいくつか見受けられた。街が記憶を残そうとしている。

Bayerischer platz駅から、Möckernbrücke駅まで電車に乗る。
電車の中では、後ろの席から爆音で何かが流れ始めた。後ろを振り向くと、サウンドシステムを持ち込んだアジア系のおばさまが、爆音カラオケでセリーヌディオンのMy Heart Will Go Onを歌い始めた。
歌上手いのだけどセリーヌディオンというだけで笑えてきてしまった。

Möckernbrücke駅に降りて歩いていると、Jさんが草むらを指差し「見つけたよ」とWさんに報告する。どうやら環境エデュケーターで植物に詳しいWさんが、野草、雑草、街路樹のことを普段から説明していて、学生役のJさんは教えてもらったのを見つけると報告してるっぽい。面白い2人。
Wさんがサッと雑草のとこに行き、僕たちにも草花のことを説明してくれる。知識よりも先に、まずは見せて、触らせて、触った指の匂いを嗅がせる。それからその名前や使い道、効用なんかを教えてくれる。
ああ、こんな面白い人、なんで日本でそばにいてくれないんだ。
ドイツ語名だったので、ほとんど名前もメモできなかった。残ってるのはschafgarbe、セイヨウノコギリソウになるのかな。胃腸に良いのでハーブティーにするとか。
ほかにも、柳のような植物があり、これは味はまずいけどアスピリンの代わりになると教えてくれた。昔は歯間ブラシに使ったとか。
こうやって雑草を見てみると、かなり日本とは違う。まずあまり苔がいないし、シダ植物も少ない。キク科っぽいものはよく見かけるけど。

どんな道端も教室にしてくれる


1300頃、ドイツ技術博物館に到着。
ミュージアムパスを使用。ロッカーに荷物を預けることに。

博物館玄関、子供のおもちゃを展示

ロッカールームの床は、片手くらいの大きさの板が敷き詰められている。この木の板すべて、横段面に切り出された板、つまり年輪がみえている状態。展示に行く前に、ロッカーで立ち止まり、これらの木が何年くらい経ってるんだろ、と話し始める。展示に行かない。年輪を数えてみたりする。
そもそも、こう言う板って、綺麗に横段面で切るの大変そうだけど、厚さはどんなもんなのかな、薄いんかなとか、いや人が歩くのだし分20cmくらいのものを敷き詰めてるよ。とか思い思いに意見をいいあっていた。

さて、メインの展示内容は膨大。テキスタイル、通信、コンピュータ、飛行機、汽車、写真、映画、医学、化学、砂糖。これらが3つの棟で分かれている。はっきりいって、半日どころか1日は必要。
導入展示は、上記テーマのモチーフが小さな銅像で並べられ、台座に備えられたボタンを押すと、その技術の音がする。

テキスタイルのところでは、学校の課外授業なのか、子どもたちが何かを作る体験をしている。ドイツでみた美術館はどれも利用者の学習面にも注力しているのを感じられたけど、この博物館はそれこそ老若男女にとって学べることが多そうな展示や活動が多い。

型抜きのようなものでテキスタイルを加工

通信、コンピュータコーナーを見て回る。みんなで古いものに驚いたり、J&Wさんがこれ青春だわ〜とか話したり。
ポータブルラテカセを初めてみたカーリーさんは興奮していた。みんなで、これは人類の夢の機械だな、人間をダメにすると笑っていた。
コンピュータのコーナーでは、コンラート・ツーゼなる人物の解説。コンピュータの先駆者というと色々な人が出てくるけど、そのうちの1人らしい。当時、ナチ政権に出資して開発していたという暗い歴史があるためか、僕は名前も聞いたことがなかった。

公衆電話。
赤色受話器がこの電話会社のイメージ色

鉄道、写真、医学と回る。
鉄道は展示一つ一つが大きいし、街の歴史に関わるところがわかるとさらに面白そう。
写真は原理の話や、いろんな場面のカメラが展示されている。
カメラ・オブスクラ(オブスキュアって覚えてたけど、wikiを参照した)が置いてあり、レンズ越しに友達の似顔絵を描いてみよう!と言うコーナー。
Wさんが似顔絵を描いてくれたけど、美術畑出身の人でも、このカメラ越しには難しかったらしく、完成した似顔絵は大変なことになっていた。みんなでゲラゲラ笑った。よく見たら裏面にも、前の人が描いたらしい知らない人の似顔絵が残っていて、それもひどくて再度笑った。

情報量は見た目でまかなう
2000年代の香り
あのころ全てがスケルトン
ツマミとキーボードのデザインが好き
ツーゼ
これ可愛いけどディスクカメラなのか
カメラ・オブスクラ


写真が終わったあたりでクタクタ。ただし飛行機コーナーにあるルーフから街を見下ろせるとのことでそこには行きたい。
Wさんがオンライン会議があるので一時離脱。
Jさんと3人で、早足で医学コーナーを診終えて別棟へ移り、飛行機コーナーへ駆け上る。飛行機、数台展示してあってびっくりした。こんな街中の博物館に。

3人でルーフから街中を見下ろす。昨日行ったベルリンフィルが見える。カーリーさんは昨日の話をした。Jさんは、IFUKUBE?となったので、ゴジラの作曲で説明した。昨日やった曲は変拍子だったと伝えたいのだけど、変拍子の英語をお互い知らないので、変拍子を再現して、ライク・ア・プロッグ・ロックというと、「ah〜僕の好きなTOOLみたいなことね」と言うから、そう!と意気投合。2024年、TOOLで盛り上がる。

漫画でしか見たことないようなフォルム!
足元は金網で高所恐怖症ならムリ
徴兵の風刺絵が水木しげるっぽい
そういう時代がきたらいいね
鳥人間だー

1630頃。ロビーまで戻る。およそ3時間半もいた。Wさんが仕事のオンラインミーティングが続いてるようで、3人でアイスを食べに。どうならJ&Wさんがベルリンに来るとよく寄るアイス屋さんがあるらしい。
1650 agiori Eisという店に到着。

かわいい
これはカーリーさんの頼んだなにか

僕はカップのダブルで、ヘーゼルナッツとマンゴーを頼んだ。写真を撮り忘れた。コーヒーも一緒に注文。
お店の外に可愛い犬がいてみんなで見てた。ドイツ語や日本語の話などもした。
何かわからなかったが、spy on meと書かれた新聞があったので貰った。どうやらどっかで開催中のフェスみたいなものらしい。写真を見てるだけでも、わりと面白い。

Wさんが合流、途中で葉っぱを拾ってきてくれた。ドイツのナナカマドの葉っぱ。葉っぱの形から特徴を説明してくれた。
Wさんがアイスを食べながら、みんなで次にどこ行こうか相談。

その後、ベルリンテンペルホーフ空港跡地の公園へむかうことにした。
ここは2008年10月に閉鎖された空港をそのまま公園に再利用したところ。
そこまで30分くらい歩こうか?と言われたけど、僕たちが体力の限界っぽかったので、Uバーンで。mehringdamm駅からLeine駅まで移動。駅から公園まで歩いていく。

1830頃、公園に着くと、もう、本当に、すごい!何もない!ただ滑走路。驚いた。
あとでわかったけど、実際は結構いろんなモニュメントがあったり、空港の建屋をそのまま残してたり、ガイド付きツアーもあるとのこと。

Wさんが僕たちにビールとジュースを奢ってくれた。彼は誰時。もう飛行機が走ることなど滅多にない2キロほどの滑走路を、人々は思い思いに過ごす。スケボーに乗る人、ローラーブレードで行く人、自転車で走る人、ダンスの練習をする人、ジョギングをする人、何もしないで座って話す人。とにかくみんな好き勝手にやっている。

2kmの滑走路の上を人が屯する

僕たちは、どこに行きたいとかでもなく、この滑走路をズンズンと歩き出した。
閉鎖したベルリンテーゲル空港の話になり、スマートシティやらモール街にするやらの計画があるらしいことを聞いた。こっちのテンペルホーフ空港では、市民の運動によって、空港を残し市民に開放することを獲得したらしい。
日本でそんな議論起きるだろか。カーリーさんと2人で、愛知の万博公園跡地のことを話しているうちに、つらすぎて、ぁぁぁああ!と声をあげてしまったら、J&Wさんにカバヤはもう歩けないんじゃないか?休むか?と心配される始末だった。
とはいえ、1kmも歩くと流石に疲れてきた。半分まできたあたりで野良レンタサイクルが置いてあった。歩き疲れた人は藁にもすがる気持ちで乗るだろな。
正直なとこ、かなり暗くなってきたうえに、気がつくと周囲には歩いてる人が僕たちしかいなかった。
どうやらこの公園は19時までらしく、みんな帰ってしまったらしい。月明かりだけの滑走の真ん中。あと1km、引き返すか進まないかしないと、ここから出られない。

ふだんの僕らだったら、きた道を引き返すんだけど、J&Wさんが「向こうまで行ってみよ!たぶん、出口あるからさ!なければ柵超えよ!」ここでぶち上がってみんなで前進。
真っ暗ななかコウモリが飛んでいく。
遠くから妙に芳ばしい香りがする。少し進むと、今晩ここに泊まる人がコーヒーを挽いていた。泊まると言う選択、考えてなかったな。

月明かりの中歩き続ける


1km歩き終わり、ついに滑走路が終わったところで、真っ暗すぎて出口がわからなくなってしまった。
Googleマップをたよりに歩いていくと、小さいゲートを見つけた。
Gott sei Dank(ありがたや助かった)!とみんなで叫ぶと、ゲートは閉まっていた。
もう少し歩いた先の大きいゲートなら流石に空いてそうだね、と方向転換。
結局2kmの滑走路を出てからさらに2キロくらい歩いた。

会話の内容は、最近ゴボウを育ててるけど、日本ではどうやって食べるの?味噌汁に入れたり、ゴボウ天ぷらも美味しいよと教えた。
ふと柵越しに見える大通りにすごい量のパトカー、そしてパトカーに挟まれるバスが過ぎていった。そうだ。バイデン来てるんだったな…。関係者だろうね、とみんなで噂した。


なんとか出口に着いて、ふーっと休憩。この駅から、少し遠いけど僕たちのお気に入りのピザ屋さんにいくことした。僕たちはここを7年前見つけて忘れられないピザ屋の一つに数えていた。

1930過ぎ。Tempelhof駅から電車でschönhauser alee駅まで向かう。

ドイツの釣りの話があがった。ドイツでは釣りするのにも資格がいるらしい。しかも、釣りの種類ごとに講習・試験を受けて、通った人だけが釣りを楽しめる。じゃあ、旅行で釣りできないんだな。知識と意識をつけさせること徹底している。釣り好きとしてはめんどくさいだろな。

同じ電車内で、ギタリストが音楽を始めた。Jさんがイントロドンで、the cure。この曲好き、といった。僕はギターのリフでがんばれ森川くん2号みたいな曲だなと思った。
カーリーさんが僕たちの音楽の話をして、いつかドイツでライブしてみたいなと話した。
(個人的にはセリーヌディオン歌ってたおばさんみたいに車内でカラオケで歌いたい
)
するとWさん、兄弟ならいいとこ知ってるかなー…彼はバンドマンだから。と、詳しく聞くと、ハードコアパンクのバンドらしく、ずっと叫んでるらしいので嬉しくなった。

そういえば格言の話になった時に、「同じ川は流れない」的な言葉を教えてもらった。へー…あ、急に思い出したのが、「地獄の黙示録 ディレクターズカット」で、フランス人の女性と寝たあとに聞くセリフじゃん!とおもって、興奮して伝えた。今考えると、なんでそんなこと伝えたかったんだろうか。

さて、気づけば20時頃。駅からお店に歩いている。もうすぐお店ってところで、J&Wさんが、僕たちは帰る時間になっちゃうからテイクアウトにするよ!となった。
到着したのはLa Lupa e l'Orsoというピザ屋。ここは7年前泊まった宿のオーナーが薦めてくれた。
隣にはジョージア料理もあったので、いつか行きたい。
僕たちは席について、カプリチョーザピザ、ズッキーニと洋梨のサラダとビールを頼んだ。J&Wさんはここでお別れ、明日も会えるので寂しいけどbis morgenしました。
ピザめちゃくちゃ美味かった。我々は、カプリチョーザにのっていたアーティチョークの虜と化した。(帰国後もアーティチョークのピザを頼んだけど、全然違った。)
ズッキーニと洋梨のサラダかなり美味かった。かなり余韻に浸って食べた。日本にも流行って欲しい。

カプリチョーザ
なぜ日本でみないのよ

多分、食べ終わったのは21時頃。一度ベルリンのクラブとか行ってみたいな、と言ってた僕に気を遣って、カーリーさんが以前行ったところのイベントを調べ、面白そうだよ〜と教えてくれた。眠くて疲れたけど行きたくなる。と言うことで、トラムとバスに乗ってOHMに向かう。

2230くらいかな。OHM到着。
ここ以外にも、周りには他にもクラブが多いようで、若者が並んでたり音が聞こえてきたりした。
入りぐちには警備員がいた。荷物検査でかばんを見られて、スマホのカメラをシールで封じられた。あとは、サーっと入れた。カメラが封じられたので写真が撮れなかった。

この日は歌ものが多く、pc鳴らしながらオートチューンかけて歌ってる人が多かった。
結構、曲間の繋ぎとか手間取っていて、なんか親近感湧く。クールだけじゃないんだな。

それに合わせて踊っているのも、木曜夜だけどキメてきた若者たち。背中出したり、カツラ被ったりいい感じだった。1人仕事帰りっぽいサラリーマンのメガネのおっさんがシャツにスラックスのまま踊っていて、タバコを時々吸う仕草含め可愛かった。
酒を飲んでいたのもあって眠くなる。というか2人で寝た。
明日も早いので、最初の3組くらいですぐ出た。わりと面白かったけど、クタクタ。

24時だか25時。この時間はバスがメインになる。ベルリンの深夜はバスが走り続ける。バスを二つくらい乗り継いで宿にやっとついたけど、いろんな香りが服についていた。そのせいで、宿の番犬が扉の向こうでキャンキャン鳴いていた。タバコくさいけど、それではおやすみなさい。

次回ベルリン4日目、ついにWさんのご両親の住む実家へむかう。

いいなと思ったら応援しよう!